CHAPTER Vol.4 【MAKE】

堀江 麗 (29)

HOLON プロデューサー

ただ「おいしいね」で終わるのではなく、問題を提起したり、だれかの行動を変えたりしたい。クラフトジンを通して、社会的に意義あることをしたい。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。



なにをするにも、すぐ“外”を見るタイプだった。「自分の生活をおいて友達のためになにかする」とか、「日本のことも知らないのに国際協力する」とか。でも、そうじゃないと、両親がさとしてくれた。


●出身地はどちらですか?
東京で生まれましたが、父の留学&転勤ですぐにアメリカへ。バークレーに2年、ニューヨークで3年過ごして、5歳の頃、また東京へ戻ってきました。

●当時はどのように過ごされていましたか?
どんな風に過ごしたかについてはまったく覚えていませんが、食べ物の記憶だけは鮮明で。「あの店で食べたニューヨークチーズケーキの限定バージョンの味」とか、「あのメーカーが販売していたレーズンのお菓子がおいしかった」とか。

●幼少期に環境の大きな変化にさらされたわけですが、東京へ戻ってきてから苦労はありませんでしたか?
帰国して半年間幼稚園に通って、すぐに小学校に上がったのですが、苦労はありませんでしたね。アメリカの幼稚園では、さまざまな人種が同じクラスにいて、知らない言語が飛び交っていたので、そのぶん多様性に対するキャパが広がったのかもしれません。もしくは、自分が死ぬほど鈍感だったのかも(笑)。わりと怖いもの知らずな性格なんです。

●お父さんはどのような仕事をされていたのですか?
当時は金融系の仕事をしていました。でも、ずっと社会のためになる事業をしたいと考えていたようで、わたしが高校生の頃、会社を辞めて独立。いまは、簡単に言うと、環境不動産と金融をかけあわせたような事業をおこなっています。振り返ると、わたしは父が進む道に憧れて、父を意識しながらいろいろな選択をしてきた気がします。

●大切にしている教えなどはありますか?
以前は、なにをするにもすぐ“外”に目を向けるタイプでした。「自分の生活をさしおいて友達のためになにかをする」とか、「日本のこともロクに知らないのに、国際協力をしたい」とか。でも父からは、まず自分自身が満足できる環境をととのえない限りは、外に意識を向けてもうまくいかない、ということをずっと言われてきて。それは、いまではとても実感しているところです。


好きなことへのよどみない熱はあるのに、目的が見つからない。高校時代は悩みの多い時期だった。


●ここからは、『HOLON』(※1)を立ち上げるまでのいきさつについて訊かせてください。アメリカで過ごした頃の食の記憶が鮮明とのことですが、さかのぼると、その頃から食に興味を抱いてきたのでしょうか?
そう思います。家族で食事をしているときも、ずっと食べ物のうんちくを言っているような小学生でした(笑)。たとえば、ヨーグルトには三層あって、いわゆるヨーグルトの部分とホエイと呼ばれる水分、そして蓋に付いたギリシャヨーグルトみたいになった部分。その三層それぞれをこんな料理に使えそうだ、とか。たとえば、この食べ物はこの向きで口に入れると甘みをより感じやすくて、こっち向きならこんな香りがする、とか。そんなことばかりが気になって、味覚や嗅覚だけは、家族からしきりに褒められていました。

※1:クラフトジンブランド『HOLON(ホロン)』。“ととのえる”時間に寄り添うクラフトジンブランド。ストレスや疲れを抱えやすい現代人にやさしい東洋のハーブやスパイスなど9種類のボタニカルを調合。心と身体の調和をテーマに、その味わいを保ったまま口あたりのよさを引き出すため、ジンとしては低アルコールで仕上げ、炭酸水などで割るとアルコール度数10%前後で楽しめるのが特長

●その頃からすでに、将来は「食」にたずさわりたいと考えていましたか?
いえ、食と仕事はまったく結びつかなくて。というのも、家族の多くがオフィスワークを選択していて、それが当たり前のように育ちました。だからわたしも、仕事といえばコンサルや金融、みたいなイメージしか持っていなかった。でも勉強は苦手だったので、高校時代なんかも、まわりにならって大学を目指すくらいしかできませんでした。

●高校生活で印象に残っていることはありますか?
高校時代は、勉強もそれ以外もこれといった得意がなく、コンプレックスまみれでした……。派手な格好で、“つけま”を重ね付けしてプリクラ撮るのが趣味、みたいな生活を送っていましたね(笑)。でも相変わらず食への関心は高くて、よくお菓子をつくって友達に配ったりしていましたが、べつにそれがなにかにつながるわけでもなく。好きなことに対する情熱はあるのに、目的が見つけられず、悩んだ時期でしたね。ただ、高校時代から海外は大好きで、いつか海外で仕事をしたいとは考えていました。

●大学時代はどのように過ごされたのでしょうか?
なににもつながらなかった高校生活を挽回しようと、「大学は、とにかく行動と勉強!」、そう思って過ごしました。まずは1年生の夏休みに、本を100冊読んでみたんです。それを達成したのが、わたしにとってはひとつ大きな成功体験になって。また、そのなかで心理学に興味を持ち、そこから勉強がたのしくなっていきました。


自分やまわりのひとを大切にできて、そのうえ、遠くのひとも幸せにできる。大学卒業間際に、食をライフワークにすると決めた。


●高校時代には、海外で働きたいと考えるようになったということでしたが、そのためのアクションも起こしていましたか?
大学の途中まではそうでした。インドやネパールといった途上国をはじめ、アジアやヨーロッパのさまざまな国をめぐって、海外で働きたい気持ちは高まっていきました。でも、そのさなか、自分の近しいひとが、海外の残酷な事件に巻き込まれてしまって。それをきっかけに、知らない国や地域に飛び込むことに恐怖心を抱くようになり、海外に対する考え方も変わってしまいました。これからどうしようと悩んでいるとき、ふとよぎったのは父の言葉でした。外に目を向けるまえに、まずは自分とまわりのひとを大切にし、環境をととのえること。そしてそのとき、「食かもしれない」と思い至ったんです。

●というと?
食なら、自分をメンテナンスできるし、家族や友達につくると喜ばれる。解決すべき社会問題もあちこちにある。つまり、自分やまわりのひとを大切にできて、そのうえ遠くのひとを幸せにできる可能性を秘めている。大学卒業間近にして、食をライフワークにしようと決心しました。

●以前は食にかかわる仕事のイメージが湧かなかったということですが、そこから、どのように仕事に結びつけていきましたか?
大学を卒業して、院に進みました。心理学のなかでも認知科学という分野を学び、それを食と結びつけた研究をおこなうことに。同時に、『オイシックス』(※2)でインターンをしながら、研究を活かしたり、逆に研究題材をもらったりしていました。 

※2:有機・無添加食品やミールキットなどの自然食品宅配会社。有機野菜などの食品宅配専門スーパー「Oisix」、有機野菜などのカタログ食品宅配「大地を守る会」、有機野菜などの個別宅配「らでぃっしゅぼーや」を運営。

●実際に食とかかわる仕事に就いてみて感じたことは?
面白さと同時に葛藤も生まれました。とくに廃棄問題。さまざまな企業と関わって仕事をするなかで、生鮮食品を扱うとかならず廃棄の問題に直面することを知りました。そして、やっと食にかかわる仕事ができたのに、自分のなかで良い解決策を見出せずフラストレーションが溜まっていきました。そのときに、社会性と食がきちんと交わる題材を見つけられるまでは、食を仕事にするのはやめようと決めた。そして、新卒でグーグルジャパンへ。


自分が本当に生み出したいものを生み出し、それを広げる手段として適切にコミュニケーションをとるためのマーケティングをしたい。それがだれかのよろこびにつながるのであればなお良い、と考えるようになった。


●自分のなかできちんと折り合いをつけられるタイミングがくるまで、一旦は食の仕事と距離をおくことにしたわけですね。グーグルジャパンではどのようなことをされていたのですか?
およそ2年間、広告枠のコンサル営業をしていました。オンライン広告の施策や若い世代に向けたアプローチを企業と一緒に考えるのが仕事でしたが、自分のスキルが足りず、営業として数字をあげることと、コンサルとしてお客様目線の施策を考え切ることの両立に苦労しました。最終的に評価されるのはあくまで数字であり、そのためクライアントと伴走できない、それが歯がゆかった。そうして働くなかで、自分が本当に生み出したいものを生み出し、それを広げる手段として適切にコミュニケーションをとるためのマーケティングをしたい。それがだれかのよろこびにつながるのであればなお良い、そんな風に考えるようになっていきました。

●なにが最終的な決め手になって退職したのですか?
ジンに出会ってしまったからです。退職する1年くらい前のことでした。ある日、渋谷と恵比寿のあいだにある『The Flying Circus』(※3)という店に偶然入ったのですが、そこに世界のクラフトジン100種類とさまざまなトニックウォーターが置いてあって。「そもそも、ジンとトニックって分かれてるの⁉︎」と驚きつつ、そのうちひとつのクラフトジンの瓶を開けてみたんです。すると、信じられないくらい良い香りがして! もうその瞬間、「好きーーー!」って(笑)。今まで飲んでいたジンの印象が大きく変わった瞬間でした。翌日から、毎日ジンを飲むように。

※3:元渋谷駅埼京線ホームを望む空き地にてトレーラー営業するモバイルバー。

●瞬時に恋に落ちた、と。幼少の頃からの鋭敏な感覚があったからこそでしょうか。そうじゃなければ、香りをかいでもピンとこなかったかもしれない。
たしかに、そうですね。それからは、ジンを扱っている店を巡ってメモをつけたり、自宅に専用の棚を買ったりしてたのしんでいました。そうしているうち、自分でジンをつくってみたくなって。実際に浸漬などの方法でジンをつくっていたところ、クラフトジンをつくれる人間を探しているひとと偶然に出会って。それが、いま一緒に『HOLON』をやっている『株式会社カンカク』(※4)の社長でした。「やりたいです!」と申し出て、それから半年ほど、グーグルジャパンで働きながら副業することに。

※4:「テクノロジーとクリエイティブの力で、新しいライフスタイルを創り出す」というミッション実現のもと、インターネットとリアルな業態をつなぐ、様々なサービスを展開。


●その半年間はどのように活動したのでしょうか?
はっきりと覚えていないくらいめまぐるしい半年間でした。最初は、蒸留所からつくろうという話だったので、物件探しから。でも、なにせ知識も経験もなかったので、さっそくつまづいてしまって。一方で、商品開発のいろはを知りたく、ハーブティーのブレンドをしたり、トニックウォーターをつくったり、小規模の商品開発を続けていました。

●トニックウォーターって、自作できるものなのですか?
スパイスやハーブを使ってつくります。ただ、主原料であるキナの木は基本的に日本で使えないので、そこから日本の木に興味を持って。試作のためにいろんな木を食べてお腹を壊してしまった、という経験があります(笑)。

●エキセントリックですね(笑)。
クラフトジンやその他飲料の商品企画・開発に舵を切って、ほどなくグーグルジャパンを退社しました。


度数が低くてもおいしいジンはつくれる。そんな仮説を立て企画提案するも、どこも門前払いだった。


●蒸留所を立ち上げることは一旦は諦め、堀江さんが考える商品を実現できる企業や工場を探していったということでしょうか?
そうです。でも、これがまたうまくいかなかった。まずはOEM先を探そうと、コンセプトベースで考えたジンを試作して持っていくのですが、どこも門前払い。ジンのアルコール度数は45〜50度が一般的なのですが、当時わたしは、30度くらいまで度数を落としたい、と考えていました。香りをたのしんでリラックスできるようなジンを作りたかったんです。もちろん一般的にジンの度数が高いのにもちゃんと理由はあって、要は、表現できるアロマの幅が広いということなのですが、同時に、それではアルコール感が強すぎてアロマをたのしみきれないと感じていました。でも、さまざまな蒸留所に出向いてそうした商品の製造をお願いしても、「その度数は実現できない」と取り合ってもらえなかった。そして、そうこうしているうちに『エシカル・スピリッツ』(※5)というクラフトジンのブランドが現れた。それはまさに自分のつくりたい世界観のジンで、「やられた….」と思いました。

※5:「循環経済を実現する蒸留プラットフォーム」をモットーに、循環経済の実現を目指し新時代のジンやウィスキーを生産する蒸留ベンチャー。

●先を越されてしまったということですね。
でも、間もなくして『エシカル・スピリッツ』の代表から連絡があったんです。トニックウォーターをつくっている話を知り合いから聞いたらしく、マーケティングだけでなく、蒸留にも携わる形で関わるご提案をいただきました。もちろん「行きます!」と即答で、『株式会社カンカク』と掛け持ちするかたちで『エシカル・スピリッツ』で働くことに。当時、エシカルの蒸留責任者の席はすでに埋まっていたので、わたしは蒸留所の立ち上げからハーブ園の企画、マーケティング、PRまで、なんでもやりました。そうして蒸留所ができて、いよいよ製造を開始するというタイミングで、わたしのつくりたいジンも製造ラインにのせてもらうことができたんです。

●紆余曲折ありながらも、かなりの短期間で『HOLON』の立ち上げまでこぎつけましたね。
実感としては長々と準備したようで、実質4ヶ月ほどで、クラウドファンディングを経てブランドを立ち上げることに。いま、それから1年少しが経ちました。


ジレンマのひとつは、ビジネスとアートの両立の難しさ。もうひとつは、自然のなかに身を置く時間が少なく、使う素材の研究がしきれないこと。


●かねてから望んでいた食にかかわる仕事を自分でたぐりよせたいま、『HOLON』を通して堀江さんが実現したいことは何ですか?
安らぎやリセットの時間に、瞑想やヨガのようなメディテーションとして『HOLON』のジンが作用してくれるといいなと思っています。わたし自身もオン・オフの切り替えが苦手でしたが、5年前くらいから気を配るようになって、いまではジンを飲むこともその一環です。

●『HOLON』のパッケージにも「DRINKING AS MEDITATION」というコピーが記されていますよね。
最近は「ととのう」という言葉もよく使っています。以前知り合いに、『HOLON』を飲んだときの感覚にサウナのととのうに似た部分がある、と言われたことがあって。たしかに、交互浴でゆるめたり研ぎ澄ませたりする行為は、アルコールにも通じるところがある。実際、「ととのうジン」と表現するようになってから、クラフトジンを知らないひとにもその魅力が突然伝わりやすくなりました。いま、ととのいたいひとがいっぱいいるということかもしれませんね。

●うまくいかないことや、悩みなどはありますか?
『HOLON』をやっていて、ふたつジレンマがあります。ひとつは、ビジネスとアートの両立の難しさ。もうひとつは、業務に追われて自然のなかに身を置く時間が少なく、使う素材の研究がしきれないこと。もちろん、ビジネスだからこそ開発の時間に制限が生まれ、スピード感も生まれます。アートとして納得できる完成度かどうかはさておき、飲み手の満足にしっかりコミットできていれば、プロダクトとして十分成り立ちますし。でも、とことん研究し、表現したいことを貫くことも、自分のなかでチャレンジしたいことなんです。


ただ「おいしいね」で終わらず、問題提起したり、だれかの行動を変えたりしたい。これからは、意義を見出したい。


●その気持ちが、ひいては『HOLON』の新しい展開につながっていくような気もしますね。
そういう意味では、「メディテーション」や「ととのう」という文脈を、自然にある素材を使って表現していきたいと考えています。なにもアルコールである必然性はなくて、たとえばジンをつくる際に出るボタニカルの残渣(ざんさ)を使ってポプリをつくってもいいし、あるいはなにか体験として届けられる可能性もあるかもしれない。そうしたことを、これからじっくり探っていきたいと思っています。

●ブランドを立ち上げて1年と少しにして、すでに堀江さんの意識のうえでは、ジンはどちらかというと手段になっているようです。
まさにその通りですね。クラフトジンをつくって「おいしいね」で終わるのではなく、なにか社会に問題を提起したり、多くのひとの行動を変えるきっかけになればいいなと思っています。なにか意義のあることをしたいんです。

●『HOLON』自体がしっかり自立しはじめたからこそ、きっぱりと外に目が向いている。やはりいまでも堀江さんの深層には、お父さんの言葉や存在があるようですね。最後に、将来の夢について訊かせてください。
大それたことをいうようですが、ダライ・ラマに憧れていて。彼を目指して生きています(笑)。彼の素晴らしいところは、まず、愛と知性があること。知性があれば、だれかに寄り添いたいときに想像力が生まれます。想像力があれば適切なアプローチがとれる。その前提として愛があって、しかも彼の愛は限りなく広い。自国のひとだけでなく、世界中のひと、さらには仏教とは真反対かのように思える科学にまで歩み寄ろうとしていて、とにかく、もうかっこよくて! わたしも、社会的なことをやりたいとは言いつつ、愛と知性をもって適切な行動をしないと本当の課題解決はできないと思っています。毎日毎日、「ぜんぜんできてないな…」と思いながら、それでも、彼のような人生を目指しています。


Profile:堀江 麗 Rei Horie

HOLONプロデューサー。東京都出身。Google Japanに数年間勤務の後、『株式会社カンカク』にて、クラフトジン『HOLON』の立ち上げを行う。そのほか、『東京リバーサイド蒸溜所』の製造はじめ、さまざまな食領域の開発コンサルを行う。

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Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Photo : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : Gaku Sato

2022.04.28