実直に、ひたむきに。
そんな仕事がいつの日か、“好きな私事”になる。
20代の僕らには、35-36歳くらいの先輩って、どうしてもかっこよく見える。
なぜかって? いま僕らがスタートを切ろうとしてる“社会人になる”ってことの門をくぐり、
15年ちかく自分の仕事に向き合ってきて、いまも現役で走り続けているからだ。
20代前半から30代後半って、就職して社会を知り、結婚して家庭をもち、
独立してあらたな夢に駆け出したりもする。それが自分の一生のかけがえのない土台になるんじゃないかって、やっぱり思う。
20代の僕らがいま、ちょっとこわがってるのは、「本当に、このままでいいのか?」ってこと。
だから、先輩たちの生き方に学んでみたいと思った。
ーー「若者と世界を繋ぐ」をMissionに掲げ活動する僕ら〈The Youth〉にできること。
The Youth Session Vol.1のゲストは、渋谷区西原にある〈PADDLERS COFFEE〉代表の松島大介さんと
あらゆる人が集うゲストハウスの草分け的存在〈Backpackers’ Japan〉創業者の本間貴裕さん。
この日初めて会ったふたり。それぞれ歩んできた道は違うけれど、
人生の岐路を決めてきたのは、いつだって「人との出会い」だった。
そんな松島さんと本間さんの生き方から、「好きを仕事にする」って何か考えてみる。
松島大介
1986年東京都中野区生まれ。
中学卒業とともにポートランドへ。21歳で東京に戻りカメラマンの仕事やアルバイトを続けて、25歳で世界旅行へ。
2011年の東日本大震災を、滞在していたブラジルのTV中継で目の当たりにして帰国。東北でボランティア活動をするなかで、
のちに〈PADDLERS COFFEE〉を共同で立ち上げることになる加藤健宏と出会う。2013年にポートランドを代表する
コーヒーロースター〈STUMPTOWN COFFEE ROASTERS〉の日本唯一の正規取扱店として同店をスタート。
2018年4月には同じ西原地区に家具と雑貨のお店〈BULLPEN〉もオープン。
本間貴裕
1985年福島県会津若松市生まれ。
20歳の時に1年間オーストラリアを一周。その時に出会ったホステル、ゲストハウスという文化に感銘を受ける。
大学時代の友人と鯛焼き屋を始めて事業資金を集め、24歳で〈Backpackers’ Japan〉を創業。
「あらゆる境界線を越えて、人々が集える場所を」という理念のもと、2010年から〈ゲストハウスtoco.〉〈Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE〉〈CITAN〉を東京に、
〈Len〉を京都にと、計 4つのゲストハウスを開業。2020年にはスウェーデンの建築デザイナーらと日本橋の〈K5〉をプロデュース。
Interviewer 佐藤岳歩
1997年宮城県仙台市生まれ。2019年、「若者と世界を繋ぐ」をミッションを掲げ、株式会社The Youthを創業。食やアート、音楽やデザインをコンテンツに、人とひと、若者と大人、文化と価値観が交わる場と状況づくりをおこなう。2021年5月、ローカルラウンジ「Echoes」(宮城・仙台)をオープン。その後、カフェレストラン&ミュージックバーラウンジ「Common」(東京・六本木)をプロデュース、運営する。
Text_Takashi Kobayashi
01 人生を左右した20代。それぞれのターニングポイントは?
シドニーのとあるゲストハウスで。
…入った瞬間に鳥肌が立って(本間)
司会・佐藤岳歩(以下、佐藤):今日はよろしくお願いします。参加者の半数以上が学生の方でして、今日は「好きを仕事にする」をテーマにおふたりのお話を伺っていきたいと思います。
本間貴裕(以下、本間):よろしくお願いします。ちなみに今日、松島さんとは初めてお会いするんです。
松島大介(以下、松島):はい、そうですね。本間さんのことは、もういくつもゲストハウスをつくって、同い年なのにほんとすごい人だなと思って一方的に知ってました(笑)。よろしくお願いします。
佐藤:本間さんは、ラウンジに人が集い「あらゆる人が交流するゲストハウス」の原風景をつくってきた人と言っても過言ではないと思っていまして。そして、松島さんがやっていらっしゃる渋谷区・西原にある〈Paddler Coffee〉もまた、ポートランド風とかではなく、松島さんがつくるほんとうに居心地のいいカフェであり、独自の企画展も開かれたり、さらには家具と雑貨のお店も開かれたりと…。そんなおふたりは、僕ら学生から見ると“自分の好きを表現し続けてきた先輩”として映っています。
そして、おふたりに共通しているのが、海外を経験しているということ。20代のときを振り返ってみて、海外の経験は今の仕事にどんな影響を与えていますか?
本間:えっと、つまり「今の仕事をしようと思ったきっかけ」みたいな話からかな、まずは?
佐藤:そうですね、はい。お願いします!
本間:…そうですね、僕は20歳のときにオーストラリアに行った経験が大きかったですね。
佐藤:オーストラリアに行こうと思ったきっかけは…何だったんですか?
本間:19歳の頃、大学2年の終わりくらいだったかな、司馬遼太郎の《竜馬が行く》という本を読んだのがきっかけでした。坂本龍馬を題材にした歴史フィクションなんですけど、フィクションではあるものの、坂本龍馬って実在する人物じゃないですか。だから、“こんなふうに生きた日本人がいるのか!”と、ぶん殴られたくらいの衝撃を受けて。そしたら逆に“こんなすてきな日本人がいるのに、なんてダメなんだ、おれは”って、すごく自己嫌悪になって(笑)。そんなことがあって、ひとまず海外へ出てみようと思って、オーストラリアへ行くことを決めました。
佐藤:いろいろな国があるなかで、オーストラリアにしたのは、どんな理由があったんですか?
本間:正直、海外に行くのビビってたんです。襲われるとか、スリにあったり、殴られたりしたらどうしようって。だから、背負っても逃げられるバックパックにしようと思って、25Lくらいのものを買ったんですよ。そしたら今度は、荷物が入らないっていうね(笑)。ダウンとか入れられないから、あたたかい国に行こう!と決めて、英語もしゃべれるようになりたかったから、オーストラリアにしようって、ことで決めました(笑)。
佐藤:意外な理由ですね。ただ、海外へ行きたいと思っている学生もいると思うんですが、「その一歩を踏み出す勇気」って、そう簡単にもてないと思うんです。…本間さんの場合は、どんな心境でしたか?
本間:いや、大学がそこまで面白くなかったというのもあると思う。それで《竜馬が行く》に触発されて、1年間休学してオーストラリアへ行くって決めちゃって。だけど実際には、自分のなかでは「夢・自由・友情」みたいな旅を思い描いてはいたものの、心底では不安でいっぱいだったね。だから、いざ着いたら、もうどうしていいかわからないし、寂しくて、早く帰りたくなってしまって…。
文字通り、1日目の夜に寂しくて泣き、2日目にはどうしていいかわからずに、シドニーの駅前の交差点で立ち尽くしていたんです。そしたら、日本人のバックパッカーに「大丈夫ですか?」なんて声をかけられたりもして。よっぽど不安そうな顔してたんだと思いますよ。
佐藤:そんなことがあったんですね。
本間:それで、その旅行客に「ひとまず、宿をとったらいいよ」と言われて、シドニーにある〈シドニーレイルウェイスクエアYHA〉というところを案内されます。で、そこに入った瞬間に鳥肌が立って…!
ラウンジには若い人ばっかりいて、黒人も白人も、アジア人もいるし、いろんな国の人たちが、ビール片手にわいわい楽しそうに話していて、僕に話しかけてくれたりもするんですよ。
それがもう、寂しさもあって、あまりに嬉しくて。“こんな場所があるんだ!”と衝撃を受けたのが、これまでにゲストハウスをつくってきた原点と言ってもいいかもしれない。
01 人生を左右した20代。それぞれのターニングポイントは?
恥かしいんだけど、
ほんと何も考えてなくて、
ただアメリカに憧れてたし、
向こうに行けばハイスタの歌詞も
わかるようになるのかな?とか
思っていました(笑)(松島)
佐藤:いまにつながるターニングポイント。本間さんは「オーストラリアでゲストハウスに衝撃を受けたこと」がひとつありましたが、松島さんはいかがですか?
松島:僕もその、本間さんと原点は似ていると思うんですけど、海外に出たことが自分のなかで、ほんとに大きくて。
佐藤:中学校卒業と同時に、ポートランドへ行かれたんですよね?
松島:そうですね。でも、僕の場合は、なんて言うんだろう、ほんとたまたまで。あの、僕は、小学校のときから野球をやっていて、中学でも続けたいと思っていたのに、地元の中学校に野球部がなかったんですよ。それで別の中学行くしかないってことに…。なおかつ勉強が嫌いで、僕3コ上の姉がいて、僕が中学どうするってときに、高校受験をめちゃくちゃしてたんですよね。それを見ていたから、“高校受験は絶対したくないなぁ”と思って、エスカレーター式で高校までいける中学校を選んだんですよね。
それなのに、中学卒業のタイミングで、高校に上がる試験に落ちちゃって、“あ、これやばいな”ってなって(笑)。エスカレーターで上がれなかったんですよ(苦笑)。
本間:エスカレーターできなかった、と(笑)?
松島:そうなんですよ(笑)。それで、ほんと恥ずかしい話なんですけど、英語の成績が1だったりして…。
佐藤:そこからポートランドへ?
松島:なんて言うんだろう(笑)、なんでかわからないんですけど、もうちょっと遡ると…。
中学生のときに、野球部の副キャプテンやりながら、地元の中野にあるスケボーショップ〈FATBROS〉とか通っていて。なんか、レールに座ってるスケーターのお兄さんとかがめっちゃかっこよくて、僕なんか野球部の格好で入っていったら叱られたりとかして。だけど、そこでファッションとか音楽とかぜんぶ叩き込まれて、中学生のときに、裏原宿のスケボーショップとか行ってたんですよね。
そういうことも影響して、どこかアメリカン・カルチャーみたいなものに憧れをもっていたということもあったし、高校もエスカレーター式で上がれないし、どうする?ってなって、お世話になってた人とかに話したら、「このままアメリカ行ったら?」みたいな話になって。
佐藤:当時松島さんがお世話になっていたスケーターのこととか、めっちゃ気になりますが(笑)。
松島:(笑)。まぁ、それで、たまたま親の知り合いで、オレゴン州のポートランドに住んでる人がいるぞってなって。それで、英語もしゃべれなかったし、アメリカなんて行ったこともなかったけど、受け入れてくれる学校を見つけてもらえて、中学卒業して、むこうに行くことになったんです。
本間:いや、それって、僕がオーストラリアに行くなんてことよりも、ずっとハードルが高かったと思うんですよね。15歳で渡米しちゃうって。
松島:いや、ほんとうに恥ずかしい話なんですけど、たぶん、何も考えてなかったんですよ…。何も考えなさすぎて、「アメリカに行けるんだったら、むっちゃ憧れてたし、ハイスタの歌詞とかもわかるのかな!?」とかしか考えてなかったんです(笑)。
本間:ハイスタね(笑)。僕ら、もろハイスタ世代だからね(爆笑)。
松島:もう、ほんと考えてなくて、なんか西海岸なのか東海岸なのかとか、距離感もぜんぜんわからないままだったから「毎週末はポーランドからニューヨークに行けるのかな?」とか思ってて(笑)。
本間:遠すぎて、行けないから(笑)。
佐藤:(笑)。むこうに行ってから、大変じゃなかったですか? ちなみにこのスライドの写真は当時の…?
松島:あ、とりあえず、そっか、この写真は、15歳のときで、はじめてポートランドに行って「とりあえず金髪にしよう」と思って、金髪にしていたときの写真です(笑)。一緒に写ってるのが、クリスチャンとマイケルなんですけど、僕は英語もしゃべれなかったけど、ずっと野球をやってたから野球には自信があって、ふたりよりも野球がうまかったから、すごく仲良くなって。
佐藤:野球を通じて、言葉の壁を越えて、仲良くなれたんですね。
松島:あと、スケボーもやってたから、いろんな友だちと仲良くなれましたね。
いまでこそ、ポートランドって有名になりましたけど、当時2001年とかなんて、日本人はぜんぜんいなかったですし、強制的に英語をしゃべらざるを得ない学校環境だったから、もうなんだろう、とにかく、英語わかんないけど、とりあえず友だちについていって遊びに行ったり、みんなの家に行ったりとかしていて。それでなんだかんだしたら、しゃべれるってよりは、なんとなく、わかるようにはなっていって。
佐藤:高校3年間をポートランドで過ごして、そのあとも、ポートランドにいて、やっぱりむこうの生活やカルチャーに、響くものがあったんですか?
松島:そうですねー、うん、とりあえず、高校生活でみんなとコミュニケーション取れるようになって、友だちがいたから、“帰る理由がなかった”というのが正直なところですかね。
それで当時からスケボーやっていたんですけど、周りにめちゃくちゃうまい人たちがたくさんいたから、ビデオを撮るようになったりもして。そしたら、映像を学べる専門学校みたいなのがポートランドの郊外にあったから、そこに行きたくて親に相談して、行かせてもらうことになって。それで気づけば、7年間。という感じでしたね。ポートランドでの生活は、第一のターニングポイントですね。
02 人生を変えた東日本大震災。2011年3月11日
ブラジルを旅していた最中、
街中のテレビで津波を目の当たりにして、
映画のワンシーンにしか見えなくて、
もう、よくわからなかったです…(松島)
佐藤:松島さんは、7年もの間、日本を離れて当時どんな生活をされていたんですか?
松島:そうですねー、結局2001年にポートランドに行って、2008年(当時21歳)に帰ってきました。だけど、日本から離れすぎていて、日本人だし、日本大好きだけど、なんか離れすぎてしまったから、「もう日本のふつうの暮らしに戻れないんじゃないか」とか「仕事もしたことないけど大丈夫か?」みたいな不安もあって、仕事をする気ににもなれなくて、なんか罪悪感みたいなものもあったりして。
佐藤:15歳から21歳までを海外で過ごしたら、そうもなりそうですね…。
松島:だけど、とりあえずお金を貯めようと思って、何でもいいから時給1,500円くらいのテレアポのバイトとか、コンビニのバイトとかするようになったんですよね。それでとりあえずは200万くらい貯めてから、また海外へ旅に出たんですよね。だけど、そのあと2011年に「3.11 東日本大震災」があって。
佐藤:そのときはどこにいらっしゃったんですか?
松島:僕はちょうど、ブラジルのサルバドールという大きな繁華街にいて。毎日、旅人生活なんかしてるから、やることなくて、適当に起きて、適当にやりたいことしてフラフラしていました。だけどある日、ブラジル人のおばあちゃんが急に泣きながら、僕に抱きついてきて「ハポネーゼ!」みたいなこと叫んできて。「え?どうしたの?」ってなって、街中のテレビを見たら、ちょうど津波の映像が流れていて。あのー、映画の《Day After Tomorrow》ってあるじゃないですか?
本間:はい
松島:もう、あの映画のワンシーンにしか見えなくて、もうよくわからなかったんですよ。それで慌てて日本に電話しても、ぜんぜんつながらなくて。しかたなく宿に戻ったら、NHKがネット配信でリアルタイム放送していたんですよね。それでも、「ああ、これはやばいな」と思って、もう感覚的には、何が何だかわからない感じでした。
本間:そう、僕らの世代って、2011年の「3.11 東日本大震災」の影響は、避けて通れないですよね。あのとき、僕らって、24とか25歳で、就職して2、3年目とか、大学卒業したばかりくらいのときで。「これから、自分は何をやるか」ってちょうど考えていたときに、東日本大震災が起きたから、それくらいどうしても避けては通れない大きな出来事でしたね。
佐藤:本間さんにとっては、オーストラリアでの原体験と同じくらい、人生のターニングポイントになったとお聞きしたことがありましたが。
本間:僕のなかでのターニングポイントは、オーストラリアと東日本大震災です。2011年の東日本大震災って、僕らは会社をつくってから1年後くらいだったかな、東京入谷にゲストハウス1号店となる〈toco.〉をオープンさせてから半年後くらいのタイミングでした。
ようやくビジネスとしてきちんと軌道にのって、自分たちの給料ももらえるようになったタイミングで。
それで僕は福島県出身というのもあって、いても立ってもいられず、なにかできることをしようと思って、ひとまず、何ができるかもわからないままmixiでお金を集めたんです。お金があれば寄付もできるし、いろんな使い方ができるだろうと思って。そしたら、予想以上に多くのお金が集まって。これはと思い、きちんと現地でボランティア活動をするNPOチームをつくって、復旧作業のお手伝いを始めました。
松島:僕も本間さんみたいに、お金を集めたらなんとかなると思って、mixiやFacebookでそういうことをやるって言ったら、車を貸してくれる人とかお金を寄付してくれる人とかがいて。
僕は2011年の3月の終わりくらいに南三陸に行って。着いたら、もうマンガの『AKIRA』みたいな光景で、もうなんて言っていいか、言葉にならなくて。それから、僕はブラジルから帰ってきて仕事もしてなかったので、結局8月くらいまで、いろいろなボランティア活動をしていました。これがきっかけで、〈PADDLERS COFFEE〉を始めた加藤と知り合って。
佐藤:そうだったんですね。
02 人生を変えた東日本大震災。2011年3月11日
被災したおじちゃんに
「人生好きなことをやったもん勝ちだよ」
なんて言われて、本当にそうだなと思って、
で、いま〈PADDLERS COFFEE〉をやっているんです(松島)
松島:僕も自分の人生において、やっぱり3.11は大きな出来事でしたね。僕も何かできないかなと思って、友だち伝いにいろいろなところで活動してたんです。そしたら、別荘を一棟貸してくれる人が現れて。そこを拠点に半年くらい活動してました。
たまたま、めちゃくちゃいい別荘を借りられて(笑)。で、全国から友だちとか、友だちの友だちとか、ほんといろんな人がここに集まって、活動に参加してくれて。バンドマンとか、音楽関係の人も多かったから、入れ墨だらけみたいな人もいたんですけど、夜になるとみんなでご飯を囲んで一緒に飲んで唄ってみたいなときもあって。初めて会う人どうしでも、同じ目的があるから、すーっと仲良くなっていくみたいなのを目の当たりにして、とても新鮮で、そういう時間っていいなと思ったり。
それであるとき、娘が流されてしまったというおじちゃんとかもいて。なんて声をかけていいかわからなかったけど、でも、なんか…「人生好きなことやったもん勝ちだよ」って言ってくる人とかもいて。それで僕、「人生は好きなことやったもん勝ちなんだな」ってすごく気づかされて、好きなことをちゃんとやろうと思ったんです。で、いま〈PADDLERS COFFEE〉をやっているんですよ。
03 「好きを仕事にする」の原動力は?
たとえその時に断られても
本当にこの人と仕事がしたいと思ったら、
ずっと誘い続けるみたいなこともありますね。(本間)
佐藤:本間さんは「オーストラリアでのゲストハウスの衝撃」と「東日本大震災での“本当に誰かの約に立つことを行うことこそが人を活かす”という実感を得たこと」が人生のターニングポイント。松島さんは「ポートランドでの生活」「東日本大震災での“好きなことをやったもん勝ち”という気づき」があったようですが、自分たちの仕事をつくってから、これまでに大事にしてきたことはありますか?
本間:難しいなぁ、えーいろいろあるよね。えっと、最初からずっと大事にしてきたのは、「好きなことを、好きな人とやること」ですね。仕事って、人生の1/3とか1/2くらいの時間を使うから、やっぱり好きな人たちと時間を過ごしていたいんですよ。その“好き”っていうのは、ただ人として好きって意味だけではなくて、尊敬する人と仕事をしていたんですね。一緒にメシ食ってて楽しい人と過ごしていたいし。ほかにも色々あるけど、それが一番でかいんじゃないかな、と思いました。
佐藤:そういう人と出会うきっかけはどんなところにあるんですか?
本間:うーん、いやー、〈Backpackers’ Japan〉をスタートさせたメンバーも、みんな友だちだから、あんまり増やそうとか、経営者として勢力的にビジネス交流会みたいなところへ行こうとか全然やってなくて。大学の仲間とか、被災のボランティアで知り合った仲間とか。
佐藤:仲間から仲間へ、自然と増えていった感じですかね。
本間:そうですね。ただ、本当に一緒に仕事がしたいなと思って、会った瞬間に気持ちを伝えたこともありました。たとえその時に断られても本当にこの人と仕事がしたいと思ったら、ずっと誘い続けるみたいなこともありますね。
03 「好きを仕事にする」の原動力は?
僕は仕事に行くって感覚よりも、
“自分の家に友だちが遊びに来てくれている”
みたいな感覚だから(松島)
佐藤:松島さんの場合は、〈PADDLERS COFFEE〉から家具や日用品を扱う〈BULLPEN〉へと新しいことに挑戦し続けていると感じているのですが、一体その原動力はどこから来るのですか?
松島:なんて言うだろう…僕はずっとコーヒー屋をやろうと思っていたというのはないんですけど、たぶん本間さんたちの「あらゆる境界線を越えて、人々が集える場を」というコンセプトに近いのかもしれなくて、ほんとずっと「いろんな人が集う場所をつくりたかった」というのはあったんです。
ちなみに、本間さんのことは、同い年ってこともあって、第三者的に「うわ、すげぇな」って思って、ほんとすごいなと思っていたんですけど、僕なんかはほんとに社会経験もなくて、21歳までアメリカでフラフラしてて、日本へ帰ってきたらバイトして、また旅に出てみたいなことをしていたから、ほんとあんまり考えずに好きなことだけをやってきたって感じなんですよね。
それで、飲食店で働いたこともないのに、震災のボランティアがきっかけで、たまたま加藤っていう今のパートナーと出会って、コーヒー屋をやろうってことになって、始まっていて。
本間:あ、僕も社会人はやってないですよ(笑)!大学卒業してから、1年間はたい焼き屋をやってお金を貯めて、そのまま会社を起こしているので。たい焼き屋は好きなことではなかったけど、それを経て、好きなことをやり続けてたみたいなところはありますね。
松島:あ、そうなんっすね! 僕の場合は、自分が将来何をやるのか?って見つめ直したときに、料理はできないし、コーヒーも淹れられなくて。自分の得意不得意を考えたら、まぁ唯一、コミュニケーション能力と行動力だけには自信があったんですよ(笑)。それで、コーヒー屋をやろうと考え始めたら、唯一コーヒーの経験があった加藤に相談できたから、そのままスタートしたって感じで。
佐藤:「人が集まる場所をつくりたかった」という気持ちを、コーヒー屋としてやっていこうと思った背景には、どんなことがあったんですか?
松島:まず思い立って〈PADDLERS COFFEE〉ってコーヒー屋をやろうと思ったけど、コーヒーのことを全然知らなかったんですよね。ちょうどその頃に「そういえば、コーヒー農園って、南米にあるよ」って姉から教えられて、グアテマラの農園にとりあえず行って、コーヒー豆ってこんな風にできてるんだぁとか見て、帰りの経由でポートランドに寄ったんです。それで友だちが〈STUMPTOWN COFFEE〉で働いてたから焙煎所を見せてもらうことになって。ただ単純にコーヒーの勉強をさせてもらおうと思ったら、そこからなんか急にとんとん拍子に話が進んで。
本間:それで〈STUMPTOWN COFFEE〉の豆を日本で初めて扱えるようになったの?
松島:そうなんですよ(笑)。なんかアメリカ人ってノリなんで、「南米に行ってきて、日本でコーヒーショップやりたいんだけど」なんて話したら、「お前、おもしろいな」みたいになって。それでそのまま、友だちが働いていたからってこともあって「コーヒー屋やるなら、〈STUMPTOWN COFFEE〉の豆使っていいよ」って話になって。
本間:やばいね(笑)。
松島:それで日本に帰ってきて、震災で知り合っていた加藤が唯一のコーヒー業界の知り合いだったから、相談して。加藤はそのとき〈STREAMER COFFEE COMPANY〉で第一線でやっていて。
それである日、渋谷富ヶ谷にある〈FUGLEN〉で加藤と待ち合わせして、「実は〈 STUMPTOWN COFFE 〉ってところの豆を日本で扱っていいって言われたんだけど、どう思う?」って話したら、「やばいよ!」って(笑)。「ヤバすぎるし、ここで話す話じゃないから(汗)!」とか言われて。
会場:(笑)
松島:「ヤバすぎるから、とりあえず移動しよう!」みたいになって(笑)。
本間:コーヒー屋さんで話せる話じゃないよね、それ(笑)
松島:(笑)。ちょうどそのとき、加藤も次のステップを考えてたから、「のちのち一緒にやろうよ!」ってことになって。で…あれ?それでこんな話でよかったんでしたっけ?質問なんでしたっけ?
会場:(笑)
佐藤:えっと(笑)。コーヒー屋を始めていこうと思ったきっかけやモチベーションみたいなところをお聞きできたらと!
松島:ああ、はい、えっと…(笑)。まず、僕はコーヒー屋の経験もなかったから、自分にできることは何だろう?って考えたときに、「コーヒーもつくらないし、全部自分でやらない」ってことがすごく重要だと思っていたんです。
佐藤:全部、自分でやらない?
松島:「餅は餅屋」ってあるじゃないですか。デザインはデザイナーで、コーヒーはバリスタでみたいな。で、僕は何ができるだろうって考えたときに、人を集めるってことならできると思って、できないことは人にお願いして、ちょっとできるみたいなこともあえて絶対にやらないようにするとか、スタッフにも得意なことをやってもらうとか、そういう風に思って仕事をしています。それで僕の場合は、仕事に行くって感覚よりも、「自分の家に“友だちが遊びに来てくれている”みたいな感覚」でお店をやっているので、なんだろう、むしろ、そういう感覚でお客さんからお金をいただいて、ありがとうまで言われて、ありがたいことだなって思っています。
本間:ほんとうに、ほんとにそれは僕もそう思います。
04 「好きを仕事にする」とは?
僕が中学生の頃に見てきたものというか、
根本には「教育」って言ったら上から目線になっちゃうから違うんだけど、
なんか商店街にそういう風景がつくれたらいいなぁと思って
商店会の理事をやっていたりもして(松島)
佐藤:おふたりの話を聞いていて、「場所をつくるという手段が、自分の描いている世界を実現させる手段」のようにも思ったんですが、やはりどこかに、描きたい世界みたいなものが明確にあるんですか?
本間:あ、それは本当にたまたまだよね。僕はたまたまオーストラリアに行ってゲストハウスに出会って、松島さんはコーヒーに出会ったわけだし。それが床屋だったら床屋をやっていたかもしれないし。なんかね、たまたま自分のなかにはそれしかなかったんですよ。
佐藤:ただ、目の前にある道を突き進んだら今になった、みたいな感じですかね。
本間:いまになってこれまでを振り返ると、きれいなストーリーにも見えますけど、その当時は就職するかどうかも1年くらい迷ってたし、みんなにダセーとか言われまくってたし。
佐藤:そういうときがあったんですね。
松島:僕もそう、ほんとうにたまたまで。これ去年の年末、〈PADDLERS COFFEE〉の年内最終営業日に撮った写真なんですけど…。
松島:まぁ、ほんとに、お客さんやスタッフがいてくれて、いまの自分の生活があって、単純にそれに感謝しているというか、彼らがいてくれるから僕らは成り立っているし、なんかみんなほんと、みんないいんですよね、って自分で言うと変ですけど(笑)。
本間:なんの話だっけ(笑)?
松島:結婚式のスピーチみたいになっちゃった(笑)。
本間:いいよいいよ(笑)!次行こう(笑)。
会場:(笑)
松島:(笑)。あのー僕は、渋谷区の西原ってところで、お店をやってるわけですけど、ここはすごい大切な場所というか。ここの写真に写ってる人たちのお店が、全部この西原商店街にあるんですね。で、僕は、ここの商店街の理事もやっていて。空いた物件とかがあると、友だちに声をかけたり、こういう人たちがいたらいいなってみんなに相談したりしていて。
佐藤:商店街の理事もやってらっしゃるんですね。
松島:というのも、自分の親も自営業で、商店会長とかやってたんですよ。だから、小さいときに商店街で買い物したら、おじちゃんたちに声をかけられたり、おつかい頼まれたりとかしていて。で、いま僕のお店の周りには保育園とか小学校もあるから、子どもたちが学校帰りにジュース飲みに来たりするんですよね。「おう!まっちゃん。ジュースちょうだい!」「いや、ダメでしょ(笑)!」みたいな感じで。
会場:(笑)
松島:で、僕、中学のときとかって、スケボーショップ行ったりして、わからないことがあれば先輩に「いまかかってる音楽何すか!?」とか「先輩!これ何のTシャツですか?」とか聞きまくっていて、たぶんウザがられてたと思うんですけど(笑)。だけど、それっていますごく役に立っていて。だから、なんだろう、僕が中学生の頃に見てきたものというか、根本には「教育」って言ったら上から目線になっちゃうから違うんだけど、なんか商店街にそういう風景がつくれたらいいなぁと思って商店会の理事をやっていたりもして。
佐藤:僕、ほんとうに思うのは、〈CITAN〉さんとか〈PADDLERS COFFEE〉さんへ行くと、スタッフとお客さんの垣根を越えるというか、そういう関係を、まずはひとりの人として楽しんでいるということを、やっぱり感じて。
本間:松島さんの話聞いていて思ったけど、こういうフラットな感じってすばらしいよね。それに自分だけでやらないで、まわりの人を信じるというか、いいよね。
松島:いや、まぁ(照)、なんて言うんだろう、コーヒー屋やっていて、いつもいいなって思うことがあって。僕も海外へ行くと、どこかで出会った人に、おいしいものを教えてもらったり、いろいろ知らなかったことを教えてもらえたりって、やっぱりよくて。それで僕もお店をやっていると、海外からいろんな人が会いに来てくれるから、そうやって人と出会える瞬間があるとやっぱり、お店やっててよかったなぁって思ったりして。「人が集う場所をやっている」と、こういういいことがありますよね。
本間:また、頑張ろうって思えるっていうかね。
04 「好きを仕事にする」とは?
なんとなくでも、自分の選択肢のなかで、
良さそうだなって思うものを選んでいく
ってことが最大限なのかなって思うよね。 (本間)
佐藤:松島さんや本間さんみたいに、やっぱり、自分が好きと思えることをやろう、ということが大切なのかなと思ったんですが、一方で、「趣味と仕事はわけた方がいい」なんて聞くこともあるんですけど、そのあたりおふたりはどうお考えですか?
本間:けっこう難しいよね…。例えばみなさん、「好きな食べものは何ですか?」って聞かれたら答えられると思うんですけど、「好きな仕事は何ですか?」って聞かれるとなかなか答えられないと思うんですよ。それって、好きな食べ物はいろいろ食べたことがあるから、そのなかから比べて、これが好き!ってものを選べるじゃないですか。だけど、仕事はそうもいかないから難しい話だと思うんですよね。
僕自身なんかは見られ方としては、「好きを仕事にしてる」って見られているだろうし、もちろん好きなことをやってるんだけど、じゃあ最初から、「これが好きだから、この仕事をしよう」と決意したかというと、まったくそうじゃなくて。なんとなく、これかなってことくらいしか見えてこなかったんですよね。
佐藤:なるほど。そうですよね。
本間:そのー、体験できないけど、どんな仕事があるかは知っておいて損はないかもしれないけど、なんとなくでも、自分の選択肢のなかで、良さそうだなって思うものを選んでいくってことが最大限なのかなって思うよね。
それで、僕、20歳のときにオーストラリアに行ったら、マリファナをずっと吸ってるヒッピーのおじさんに出会って、朝起きると太鼓叩いて、マリファナ吸って、また太鼓叩いてみたいなおじさんだったんだけど(笑)。そのおじさんに、「お前は将来、何になりたいんだ?」って聞かれて、僕は教育学部だったから「先生です」って言ったら、「先生というのは、君が選んだのかい?」って言われて、「ええ、選びましたよ」って答えたら、「嘘をつきなさい」って言われて(笑)。
会場:(笑)
本間:「先生以外の仕事を、君は何を知ってるんだ?」って聞かれて。ーーいや、けっこう「こいつふざけんなよ!」って気持ちと「いや、マジでそうかも…」って気持ちとで、ほんと衝撃的で。実際、先生以外の仕事って考えたことなかったと思って。あれは明確に覚えていて、マリファナの匂いと太鼓とドレッドのおじさんの前で悩む自分(笑)。あれはでかかったなぁ。
佐藤:(笑)。もしかしたら、明確に「これになりたい」ってことがなくても、いろんなことに視野を広げてみて、経験してみれば見えてくることもあるってことなのかもしれないですね。
本間:いろいろやってみて、ダメだったらやめればいいし、変えればいいし。だけど、好きなことが見つからないならそれはそれで、何かを一生懸命にやっていると、何が起きるかっていうと、さっきも言いましたけど、人に「ありがとう」を言われるようになったりするんですよ。人に「ありがとう」って言ってもらえたら、とりあえず人のこと好きになるし、やっぱり自分のやってることが好きになるんですよね。
佐藤:それって早く知るに越したことはないですか?
本間:絶対早い方がいい。ただ、僕なんか、宿のレセプションに入ると予約を間違えるし、バーに入ってもふるまいがなんか違うし、周りの人たちが自分よりできることってたくさんあるじゃない。そのなかでも、いろいろやっていくと、ふと「あ、これは自分の方ができるかも」と思う場所があったりするわけですよね。
佐藤:なんか、ある意味、“ジェネラリスト”じゃないですけど、平均点を全部越えられるようにするってよりは、「自分だったらこれ」と思えるところをガッと行き切っちゃうみたいな…
本間:や、えっとね、ジェネラリストも行き切ってればいい。ほんとうに満遍なくできるよねってことなら、とことん行き切ったらいいわけだし。もう、自分はこれができるってなったら、とことん圧倒的に突っ込むみたいな人っておもしろいと思うんですよね。「コイツのここはまじでダメだけど、あそこはマジですごい!」みたいな人ってやっぱりなんかいいじゃん(笑)。
佐藤:松島さんは、自分らしさを磨いていくことについて、どう考えていますか?
松島:うーん、僕はさっきも話したように、中学生の頃からスケーターみたいな人たちのところに行って、「今かかってる音楽何すか?」とかいろいろ聞いてて、ウザがられてたと思うんですけど(笑)、でも、なんかみんな多分、けっこう教えてくれるんですよね。
本間:そうそう、教えてくれますよね、意外と。
松島:僕も最初、とりあえずコーヒー屋やるって言ったときには、近くにいた〈Little Nap COFFEE STAND〉の濱田さんとかに、ものすごい大先輩だけど、話したら「熱いね」って言ってくれて。そうやっていくことで、いまの〈PADDLERS COFFEE〉も始まっていて、なんだろう、自分の足を使って歩いていけば、わかることってあって。
佐藤:自分で探していくってことですね。
松島:なんか、お店とかでも、僕もインスタやってるから、タグ付とかで「コーヒー屋さんのこれがおいしくて」とか「あのお店のあの時計が気になった」とか見るんですけど、「聞いてくれたらすぐに答えたのになぁ」って思ったり。だって、話しかけられたらめちゃくちゃうれしいし、年とか関係なく、お客さんから教えてもらって「それいいっすね!」」とか、僕らはみんなより上の世代かもしれないけど、ふつうに話を聞くのがやっぱり楽しいから。で、僕自身も、自分が思ってることをどうしたら答えに近づけるかとか、どんどんストイックにやっていって、人に聞いたりとかもして。なんか、そういうソーシャルネットワークの世界っていうのも大切だし、僕も大切にしてるけど、そのあと現実のなかで、いろいろ会って話すことで、また現実で続いていくこととかもあるから。あれ、全然違う話してる(笑)?
佐藤:いえ、大丈夫です(笑)!
松島:あれ(笑)?なんて言うんだろう、好きなことはどんどん好きって言っていけばいいし、それが別に合うでも合わなくてもいいと思うんです。
本間:多分、だから、「好きを見つける」ってよりも「好きになる」って感じだと思うんですよね。やり続けて、「ありがとう」って言われるようになって、「好きになってる」みたいな。
05 「好きを仕事にする」のその先へ
次にやりたいのは、
人と自然を繋ぐこと。(本間)
佐藤:おふたりはこれから、どんな自分の姿を思い描いていますか?
本間:えっと何枚かスライドを用意してきたんですけど。そのー、僕はけっこう自由に働かせてもらってきたと思っていて。やりたいことやらしてもらったし、反対されても押し切ることもできたし、だけど、それは多分みんなが信じてくれたってことがでかくて。それでこのスライド(ティール組織の体系図)は組織論で。細かく説明するとあれだけど、要は僕らの会社って責任者をおかないようにしてるんですよ。店長とかマネージャーとかチーフとかがいなくて、全部自分の判断で決定できる。バリスタが豆を決めて、音楽変えたい人が音楽変えて、キッチンがメインを変えたければ変えてって、それぞれが考えて変えられるという方式を目指して、この2年くらい続けてきました。みんなが信じるものを信じて、みんなと話し合って、よくしていくという組織にしていきたいと思っています。
佐藤:これだけ個人の裁量に任せる組織づくりは、まだなかなかないですよね。
本間:あとは、来年ハワイに92部屋のホテルをオープンさせます。そのコンセプトが「人と自然をつなぐ」。いま自然の問題が山積みで、僕らの世代もそうですが次の世代はもっと環境の歪みを喰らうはずで。
それで僕らの業種で何ができるかって考えたら、ただ泊まっておしゃれだねみたいな場所じゃなくて、社会と地球にプラスのインパクトがある暮らし方の提案をできる場所としての展開を、ホテルとして示したいと思ったんです。
佐藤:そのコンセプトには、どんな思いがありますか?
本間:「人と自然をつなぐ」って、「繋ぎ直す」というニュアンスも含んでいて。テクノロジーが発達する前は、人は自然のとなりで生きていかなくちゃいけなかったけど、いまはそうではないですよね。都市ではなかなか自然を見ることができないし、世界的に見ても、経済は右肩上がりでも、地球に対しては延々借金してきたってことがわかってきたじゃないですか。とにかく、人と自然の距離を縮めていくということを、集中してやっていきたいと思っています。
05 「好きを仕事にする」のその先へ
子どもたちが「よく親の行ってたコーヒー屋が〈PADDLERS COFFEE〉だった」とか
そういうことを続けていけたらいいなと思います(松島)
佐藤:ありがとうございます。松島さんはいかがですか?
松島:いま、本間さんのお話を聞いていて、すごいなぁって、同い年で僕なんかよりずっと先のクリエイティブな理由があるし、尊敬しました。僕のお店の場合は「Go with the Flow」ってコンセプトがあるんですけど、なんか〈PADDLERS COFFEE〉自体がいろんな流れを得ていまがあって、考えていないわけじゃないんですけど、あんまり考えたことがなかったというか。
でも、今、ほんとうにまちづくりをしたいなとか、もうちょっとこう規模感的には小さいけど、いま好きでやりたいことってそういうことかもしれない。
僕は自分もそうだったけど、子どもたちが育っていく環境って、すごく影響していくと思っているから。お店の近くに保育園も小学校もあるから、子どもたちが少しずつ学校帰りとかに見てきたものとかが、なんていうだろう、根本になったらいいのかな。自分の母親が保育士だったってこともありますし、なんかそういうことで、街がちょっとよくなっていくといいなって思っています。
英語がしゃべれるスタッフと英語で話す時間をつくるとか、環境問題に興味がある子にはそういう話をするとか、そういうことがあちらこちらで起きてる街並みというかになっていったら、なんかいいなぁって。
本間:〈PADDLERS COFFEE〉といっしょに宿やりたい!
松島:よろしくお願いします(笑)!
本間:ガチでオファーします(笑)!
松島:あ!お願いします!!
いま、あなたのなかで、ふたりのどんな言葉が引っかかっているでしょう。読み返す度に、また違うところに惹かれるかもしれませんし、バッグに忍ばせたノートに書いては、何度も何度も読み返すような言葉もあるかもしれません。人生は一度きり。今日の話も一度きり。二度とはやってこないいまを、どれだけ自分の好きに向かっていけるかは、自分が決めるかもしれないし、誰かに導かれるかもしれないけれど、出会いってものは、路上の知恵とはよく言ったもので、いつか自分の人生をよかったと教えてくれる道標になるのだから、あきらめず、真新しい明日を生き生きと、上を向いて歩いていけば、かならずいいことがありますよ。と教えてくれたふたりの対談なのでした。