CHAPTER Vol.15 【EAT】

佐々木 奎太 (25)

バリスタ/Common マネージャー

コーヒーにまつわるぜんぶをやってみたかった。ひと通りやってみてから、自分がどのポイントを好きなのか、見定めるためにも。そうやって動いているうち、“就職”という選択肢はいつのまにか消えてしまった。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地はどちらですか?
生まれは福島県ですが、すぐに宮城県仙台市へ移り住みました。

●幼少期のことで記憶に残っていることはありますか?
祖父母が米農家だったので、たまに水田に入って作業を手伝ったりしていたことはぼんやりと覚えています。お米はいまも実家から送ってくれていて、Common(※1)ではスタッフのまかない用に使っていたりします。

※1:食・音楽・アートなど、さまざまな文化が交差する六本木の街に開かれたカフェレストラン&ミュージックバーラウンジ。

●家族構成は?
父と母、そして2つ上の兄と4つ下の弟の、男だらけの三兄弟です。中学までは全員がサッカーをやっていて、そのため土日も遠征やらで忙しくしていました。兄弟のなかでは兄と弟が趣味なんかが似ていて、僕は母と一緒にどこかへ出かけたりすることが多かったですね。

●どんなお母さんでしたか?
ずっと、斜め後ろから寄り添い、支えてくれていました。造形教室の先生をしているのですが、僕も小学校のときに絵のコンクールでいい賞を取って、それを褒められた記憶があります。

●お父さんはどうですか?
去年還暦を迎えた父は電気工業系の会社でシステムエンジニアをしていますが、仕事内容については、正直いまでもそんなに詳しく知りません。父は、自分が上京するまでずっと単身赴任をしていたため、こまかくコミュニケーションを取ることはなかったのですが、じつはいろいろと気にかけていたりして。とはいえ恥ずかしがり屋とか寡黙というのでもなく、僕の友達なんかとも仲良くなっちゃうタイプ。

●これまで家族からかけてもらった言葉などで、いまでも指針になっていたり、心に残っていたりするものはありますか?
「場所じゃなく、ひとで選びなさい」ということを、東京で5年間お世話になった自分のバイト先で、父とふたりで飲んだときに言われました。おそらく父も、祖父から同じことを言われたみたいで。母は、言葉よりも、いつも作ってくれていたご飯のことをよく思い出します。ずっとサッカーをしていたので、お弁当とか、夜遅く帰ってきたときの夕飯とか。ひじきの煮物、カレー、餃子など、僕が好きな料理を母はわかっていて、帰省するたびにつくってくれます。


将来の夢を聞かれるのが嫌いだった。これといった趣味や特技がないことも、昔からずっとコンプレックスに感じていた。


●もう少し大きくなってからのことで、とくに印象に残っていることはありますか?
中学時代に生徒会長になったときのことはよく覚えています。しんどいことばかりでした。なにせ7、8人が相手でもアガっちゃうくらい、ひと前で話すのがとにかく苦手で。でも、演奏会で指揮者をやったり、サッカー部で部長に選ばれたりと、そうした役回りになることは多かったですね。

●苦手なのに、どうしてですか?
決断するときには、わりとアホになれるというか。「そっちの方が面白いかも」って、手を挙げてしまうんですよね。基本的には後悔ばかりでしたが、ひとが経験できないことを経験できたり、特別な場所に出かけられたりと、それなりにタメになることもあったり。

●高校時代も同様ですか?
いえ、高校では埋もれていました。仙台にある、文武両道な私立の男子校へ入学したのですが、中高一貫だったこともあって、中学から上がってくる生徒たちとの間にはじめは壁もあって。サッカーも続けましたが、部員数も相当なものでした。

●将来のことを徐々に考えはじめていた時期ですか?
昔から、“将来の夢”を聞かれるのが嫌いでした。何かを決めなきゃいけないことに、ずっと疑問を抱いていて。それに、自分にはこれといった趣味や特技もなくて、“武器”がないこともコンプレックスだった。だから、なりたい職業や行きたい大学もとくにありませんでした。そんな僕に、「まなび方を自由に選べるよ」と、高校時代の担任の先生がICU(※2)の指定校推薦を推してくれて。なんだか面白そうな大学だなと、そのときもまたノリで決めたところがあります。

※2:国際基督教大学。キリスト教の精神に基づき、国際的社会人の育成を使命としたリベラルアーツ教育に力を注いでいる私立大学。


「このひとに誘ってもらったなら、いいかもしれない」と、そうした理由で身を寄せることが多かった。その頃はコーヒーにハマりかけていて、だからコーヒーの話で盛り上がった教授のゼミへ。


●イメージ通りの大学生活でしたか?
大学時代は、とにかく楽しかったですね。地元から東京へ出てきて、寮生活を送って、出会うひとのジャンルもぐっと広がってと、間違いなく人生のターニングポイントになりました。

●勉強や部活、アルバイトなど、とくに力を注いだことは?
3年生になるタイミングで専攻を決めることになっていたので、1、2年のときは心理学や英文学など、興味のある講義を雑多に取っていました。部活は、サッカーを続けました。そして、人生で初めてのアルバイト。近所のイタリアンで、休学期間も含めて5年間働きました。部活もアルバイトも、仲のよかった先輩から紹介されて決めたので、思い返せばその頃も基本的には流されていましたね。「こうしたい」みたいなことを自分から言うのを恥ずかしく感じていた。面接とか、これまで一度も受けたことがないんです。

●導かれるままに。それこそお父さんの言葉の通り、ひとで選び、同時に選ばれてきた感じがしますね。
そうですね。「このひとに誘ってもらったなら、いいかもしれない」と、そうした理由で身を寄せることが多かったと思います。専攻を決めたときもそう。そのときはコーヒーにハマりかけていて、コーヒーの話で盛り上がった教授のゼミへ入りました。教育心理学やコミュニティ心理学を専門にしている教授で、ゼミのレベルは正直めちゃくちゃ高かった。ゼミ生も、半分は大学院生で、海外でジャーナリストをしているひとなんかもいて。そんななか僕は、毎回コーヒーを淹れてみんなに配っていく、みたいなおいしい役回りで(笑) だから、意外と楽しかったですね。


大会出場前、家にこもって四六時中コーヒーのことを考え、向き合っていた。それでも飽きなかったし、ずっとおいしかった。そこでようやく、自分の好きを確信することができた。


●コーヒーにハマったきっかけは?
とにかく課題の多い大学だったので、カフェイン摂取の名目でコーヒーを飲みはじめたのが最初です。寮にコーヒー器具が揃っていたり、友達がカフェでアルバイトをしていて豆をくれたりで、段々自分で淹れるようにもなって。そうやってじわじわとハマっていきました。でも、それまで趣味や特技といったものがなかったので、半信半疑でした。「楽しいけど、これって趣味なのか?」みたいな。

●コーヒーのどんなところに惹かれたのでしょう?
自分の淹れたコーヒーを、寮のみんなに飲んでもらったとき。「こんなに違うんだ」とか「俺も買って淹れてみよう」とか、そんなふうに思ってもらえるのがうれしくて。ひとりで深掘りできると同時に、ひとと時間を共有できる、その二面性に惹かれました。

●そこからはじまり、結果的に仕事にしてしまったわけですよね? その経緯について訊かせてください。
大学3年の終わり頃、まわりのみんなは部活を引退して就活をはじめていましたが、自分は、コーヒーにもう少し時間をかけたいと思っていて、大学を1年間休学することに。焙煎機も買いたかったし、生産地にも行ってみたかった。ICUは自分のやりたいことのために休学を選ぶ学生の多い大学でしたし、実際に寮でいろんなひとの生き方も見てきていたので、休学のハードルは高くなかった。「ひょい」という感じで。

●休学中、実際にそうしたことを実現できましたか?
その1年間はかなり充実したものとなりました。まず、ジャパンエアロプレスチャンピオンシップ(※3)に出場しました。大会前は家に2週間こもってひたすらコーヒーと向き合いましたが、それでも飽きなかったし、ずっとおいしかった。四六時中考えていられるものができたとわかって、そこでようやく、自分の好きを確信することができたんです。結果、日本2位を獲得しました。ちなみに予選会場は偶然仙台だったので、両親も観にきてくれて。「そうか、お前強いのか」と、自分がなぜコーヒーに心血を注いでいるのかを、両親も見てわかってくれたようでした。


コーヒーにまつわるぜんぶをやってみたかった。ひと通りやってみてから、自分がどのポイントを好きなのか、見定めるためにも。そうやって動いているうち、“就職”という選択肢はいつのまにか消えてしまった。


●その後、生産地へ?
ICU生の多くが、在学中に海外への留学を経験するのですが、それまではあまり気持ちが向かなかったんです。でも、コーヒーという理由ができたとき、「じゃあ行くか」とようやく心を決められた。3カ国を4日間ずつまわる、タイトな旅でした。最初は、その頃お世話になっていたコーヒー屋さんとともにエルサルバドルへ。コーヒー農家と一緒に働いていたJICA協力隊員の知り合いの方が案内してくれました。そのあと、コスタリカの農園で同い年の生産者と出会いました。彼とは、のちに直輸入でオリジナルのコーヒーを仕入れるくらい絆が深まりました。最後は、ひとりでグアテマラへ。だれかと一緒にまわっていると、どうしても同じ目線や感想を持ってしまいがちなので、1カ国はひとりで動いてみたくて。グアテマラが一番充実して楽しかったですね。

●そのときに訪れた農家からは、いまもコーヒー豆を仕入れているのでしょうか?
そうです。同い年の生産者と知り合って、彼とやりとりしながら直輸入にチャレンジしたのが最初でした。それを皮切りに、以降も、自分が提供するコーヒーはすべて実際に会って話したことがある生産者のものに絞ろうと決めて。いまは5種類の豆を提供していますが、たとえそれが日本でもよく知られた味だとしても、生産者と密に連絡を取り合うことで、彼らの何気ない暮らしについてなど、コーヒーの味だけにとどまらない面白さを伝えることもできると思っています。

●焙煎機を買い、大会に出場して、生産地へ行って……。1年間にそこまで行動できてしまった、その原動力は何だったのでしょう?
一旦、コーヒーにまつわるぜんぶをやってみたかったんです。ひと通りやってみてから、自分がどのポイントを好きなのかを見定めるためにも。そうやって流れにも乗って動いているうち、“就職”という選択肢はいつのまにか消えてしまいました。

●生産地めぐりから帰ってきてからは?
まずは1年間の集大成としてポップアップを開こうと思って。吉祥寺のブックマンション(※3)という本屋を、以前から友達に紹介してもらっていました。その店では、それから1年間、月2回ほどのペースで出店することに。店主の中西さんはものすごくよくしてくれました。楽しさも厳しさもぜんぶ教えてくれるので、いまでも、いろんなことを相談しています。また、農園に行く少し前くらいから、オールシーズンズコーヒー(※4)でも働くことに。Good Coffee(※5)の大槻さんが自分の活動を見てくれていて、「一度、お店で働いてみるのもいいんじゃない?」と声をかけてくださいました。コロナでシフトに入れなくなった頃、ちょうど自分の活動にも本腰を入れようというタイミングで、そして独立することに。

※3:数十人の“棚主”が本を持ち寄り、場を共有しながら、販売、店番も交代しながら運営を行うシェアする本屋。
※4:季節の移り変わりのように様々なコーヒーやスイーツを楽しめる東京新宿区のロースタリーカフェ。
※5:おいしいコーヒーを探している全ての人に、手軽に使ってもらえるコーヒーガイドブック


心地いいと感じるひとたちと一緒に、ご飯を囲み続ける。それが、ずっと叶え続けていたい夢。また、コーヒーにかぎらず、いつかは作り手側にまわりたい。


●独立してからは、どんな活動をおこなってきましたか?
基本的には、ショップを間借りしたり、イベント出店したりして、コーヒーを出してきました。ビーチサッカーの公式戦や、お寺など、一風変わったところで出したりもして、楽しかったですね。

●目指していた、理想のコーヒー屋像のようなものはありましたか?
話しやすいカジュアルな雰囲気で、わりと特別な一杯を楽しんでもらう。そういったギャップを大切にしていました。あと、お客さん同士のつながりを楽しんでもらったり、設営を手伝ってもらうなどしてお店に参加してもらったりすることも。そんな活動を、1年半くらい続けました。

●そうして一転、いまはCommonで働いているわけですね。店舗マネージャーとして働くことになったきっかけは?
Commonを運営するThe Youth(※6)の代表が高校の同級生で、彼に誘われたのがきっかけ。あまり深く考えず「面白そうだな」って、またアホになって決めたので、誘いに乗った日の朝も断る気満々でCITANへ向かっていましたが(笑) とはいえ、コーヒーも扱うことは決まっていたので、きっとなにかしらプラスになるし、これまでの経験を生かして面白いこともできるだろうなと。店舗の立ち上げからマネージングまでを経験できるのも、絶対に、今後の活動にも生きてくると思いました。いろんな仲間たちと働けることも、今後自分が仲間を見つけていくことになったとき、きっと役立つなと。

※6:食やアート、音楽やデザインをコンテンツに人とひと、若者と大人、文化と価値観が交わる場と状況づくりを行うライフスタイルブランド。

●人生の“まなび”を教えてください。
準備と振り返りにとことん時間を費やして、本番は遊ぶこと。これは、お世話になった吉祥寺ブックマンションの店主からつねに言われてきたことです。どんなひとと出会って、話をしてきたか。自分のコーヒーを「不味い」と言ってくれるひとはいるか。そうやって、いつも過去を振り返りながら、本番に向けてひたすら準備する。そうすれば、もうなにも考えなくても、すらすらと勝手に言葉が出てくるし、手が動くからと。

●最後に、今後の目標について訊かせてください。
ひとりの時間は、極力要らないと思っています。心地いいと感じるひとたちと一緒に、死ぬまで、ご飯を囲み続けていたい。目標というか、叶え続けている夢でもあって。あと、コーヒーにかぎらず、いつかは作り手側にまわりたいとも考えています。


Profile:佐々木 奎太 Keita Sasaki

バリスタ/Common マネージャー

Common マネージャー。宮城県出身。
大学時代、コーヒーの奥深さや、それを取り巻く環境すべてに興味を持ち始める。
個人の活動ではコスタリカの生産者と、Commonでは個性あふれる仲間たちと、
どちらも同世代同士で面白いことを考え続ける。趣味は、たまに一人でいく銭湯。

Instagram


Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Photo : Gaku Sato

2022.12.1