CHAPTER vol.24【EXPRESS】

Rai (23)

Cream Ecoes

死ぬ寸前まで創作活動を続けていきたい。
妥協せずにワクワクし続ける方向に歩み続けたい。そのために自分の心に嘘をつかず、
誰かに何かを言われても曲げない意志を持ち続けたいと思う。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地はどちらですか?
宮城県多賀城市という場所で生まれて、中学校まで地元にある公立の学校に通っていました。

●幼少期はどのように過ごされていましたか?
小学生のときには水泳とサッカーと空手を習っていました。ただ、周りに上手く馴染むことが出来ず、どれもすぐに辞めてしまいました。

●習い事は自分から始めたのでしょうか?
僕は兄弟がいないんですけど、2歳年上のすごく仲の良い従妹がいて、その人の影響で始めてみようと思ったことがきっかけです。高校は宮城野高校という学校に進学しているんですけど、志望校をそこに決めた理由も、実はその従妹が通っていたということが大きくて。自分にとってまるでお兄ちゃんのような存在でした。

●周りに上手く馴染めずというと?
例えば、サッカーのシュート練習でミスをした時に周りのメンバーが馬鹿にするように笑うみたいな、そういう雰囲気がすごい嫌ですぐに辞めてしまいました。結局習い事はどれも長続きしなかったんですけど、親が趣味でしていたスノーボードに唯一のめり込んで、一時期はプロを目指すつもりで練習していました。結果的には、中学校に入り部活が始まるとともに行かなくなってしまいました。

●ご両親はどのようなお仕事をされていたのですか?
父はトラックの運転手、母は母の弟が経営している会社の事務をしています。


何か範囲になるような人やモノがあったというわけではなく、感覚的に自分の中で”こうしたい”や”こうありたい”というものがあり続けてきた。


●ご両親から受けた影響はありますか?
明確なこれというものはないんですけど、父は昔から、”自分の人生、好きなことを責任をもってしなさい”という考えで。母も自由に自分のやりたいようにさせてくれました。ただ、受験とか就職のタイミングになると現実を考えて厳しく言われることもありました。

●そうしたご両親の考えのもと、自らの意志で始めたことは何かありますか?
基本的には自分のしたいということを何でも応援してくれてはいたんですけど、なかでも高校時代に始めたバンド活動は大きいかなと思います。突然始めると言い出したにもかかわらず、寛容に背中を押してくれました。

●素敵なご両親ですね。
あとは小さい頃から親が選んでくる服が嫌で、自分で”これが着たい”と思うもの選んで着てました。幼稚園のときに1,000円カットに連れていかれて、前髪をぱっつんにされたことがあるんですよね。今振り返ると、幼いながらに生意気だなと思うんですけど、その髪型が本当に嫌で泣きわめく、みたいな(笑)。何か範囲になるような人やモノがあったというわけではなく、感覚的に自分の中で”こうしたい”や”こうありたい”というものがあり続けてきたような気がします。


自分のなかではじめて目標にきちんと辿り着けた経験がその時だった。


●学生生活はどうでしたか?
実は中学校から再びサッカーを始めたんです。小学生のときに一度はじめてすぐに辞めてはいるんですけど、小学校高学年の昼休みにクラスのみんなと担任の先生と一緒にサッカーをする、という日々が続いてその流れで再び始めることになったんです。あとは高校受験をめちゃくちゃ努力しました。従妹が進学した高校を志望校にすると決めたのはいいものの、全然学力が足りてなくて。本当に必死で勉強したのは今でも鮮明に記憶に残っています。見事に無事に合格することができてその高校に進学したんですけど、自分のなかではじめて目標にきちんと辿り着けた経験というのがその時だったんです。

●実際に高校生活はどうでしたか?
人生の転機というか一番いまに繋がる出会いがその高校であって。高校一年生の夏頃に同じクラスにいた友達が中学生のころからバンドをしていて、そのバンドのベースが抜けたタイミングで誘われたことをきっかけに、なんとなくカッコいい、というイメージでバンド活動を始めました。
それまでは流行りの音楽ばかりを聞いてたんですけど、そのバンドメンバーが色んな音楽に精通していて。時代を超えた音楽の世界を知り、めちゃくちゃにカッコいいと感じて、音楽活動を楽しむように。それがいまのデザインのテイストにも繋がっている気がします。

●それからはバンド活動に励む日々を送られたのでしょうか?
それがそうでもなくて。バンドは好きだし楽しいんだけど、のめり込むわけでも無くて。ライブに向けてモチベーションをもって頑張りはするんだけど、オリジナル曲のフレーズも作らなきゃいけないのか、というある種の義務感のようなものも感じていた気がします。実際何度か辞めたいと思うこともあったんですけど、最終的には高校を卒業するまで続け、バンドメンバー全員で東京に出て来てから少しの間も活動してました。


生まれてから高校までほとんど地元の街で過ごしてきた自分にとって、雑誌でみる東京の街のイメージや自分の知らない人が暮らす街に飛び込んでみたい、という想いがなにより強かった。


●始めたからこそ見えてきた部分があったのでしょうか。
まじで売れたいとか、もう辞めたいとか、モチベーションの起伏が激しくて、本気で取り組めてはいないんだろうな、ということを自分の中で認識してました。スタジオ入りする前とか曲の練習をしなくちゃいけない時には義務感でモチベーションが下がるんですけど、いざスタジオに入り音合わせをするとものすごい楽しい気持ちになる、みたいな。

●そうした葛藤のなかでも将来はプロになることを目指した?
目指していたこともありました。売れるなら東京しかない、という何となくのイメージもあり、それよりもただ純粋に東京に出たいという想いから、あるとき親に服飾の専門学校に行きたいと伝えたんです。そしたら珍しくものすごい反対されて、なんだよとか思いつつ特に言い返しもしなかったんですよ。後日改めて話し合った時に言われてハッとしたことを今でも鮮明に覚えていて、「反対されて納得するくらいなら全然本気じゃなかったんだね」と。
それから、東京に行くならせめても国公立の大学に進学してほしいとコメントをもらい、それを目標に勉強を始めたんですけど、途中でさすがにこれは無理だと気づき、結果的には滑り止めである武蔵野大学に入学しました。MARCH以上であれば学費を出してくれると言われたんですけど、結果的に奨学金をフルで借りて東京に出ることを決めました。

●それほどまでに東京に?
生まれてから高校までほとんど地元の街で過ごしてきた自分にとって、雑誌でみる東京の街のイメージや自分の知らない人が暮らす街に飛び込んでみたい、という想いがなにより強かったんです。音楽もファッションもあらゆるカルチャーが集約されている東京に魅力を感じてました。


「誰かのジャケを描けたらいいな」と思うようになり絵を描き始めたのが、実は自分の中でのイラストのはじまり。


●実際に上京してみてどうでしたか?
高校のときに思い描いていた東京は幻想だったんだなと(笑)。東京に来て満足してしまったんです。

●そうした感情を抱きつつ、大学生活はどのように過ごしましたか?
特に新しいことを始めることもなく、高校時代のメンバーと変わらずバンド活動に励んでいました。週2くらいでスタジオに入って、オーディションにもできるだけ応募して。この時は売れたいという想いが強くありました。

●モチベーションの起伏が激しいですね。
そうなんです。そしてあるときそのモチベーションの起伏に気づいたんです。最終的に高校時代にはじめたバンドは大学3年生の時に解散して、実は最近また別な新しいバンドでも活動を始めたんですけど、それもすぐに辞めちゃって。その時に「自分ってチームプレー向いてないんだな」って。
スノーボードも高校受験もイラストも、常にやる気があるんですよ。自分の意見を言うのがあまり得意でないのと、感覚で物事をこなすことが多くて、チームで活動するときに色々と我慢する部分がストレスに感じてしまうんです。

●スタジオに行くまではチームで活動するイメージがモチベーションにネガティブに働く一方、セッションが始まれば感覚的に音楽を楽しむ、という先ほどの話に繋がる気がします。
確かに。そうなんだと思います。二度の解散を経てチームプレーは自分には合わないということを学びましたね。

●高校時代から始めたバンドを解散した後はどのように過ごされたのでしょうか?
自分の学生生活の多くを占めていたバンドを解散したあとは、自分自身が何者でも無くなった気がして。突然それが無くなった時に、このまま普通に就職して自分の人生が終わるのか、とすごい考えるようになり、何かをしたいという気持ちを抱き始めるようになったんです。
バンドをしていた頃から音楽のジャケを見るのが好きで、なんとなく音楽を辞めた後も音楽には触れていたいという気持ちもあり、ふと「誰かのジャケを描けたらいいな」と思うようになって絵を描き始めたのが、実は自分のなかでのイラストのはじまりなんです。


あの感覚を再び得たいという想いを悶々と抱き続け、そうした状況でのイラストとの出会いは、まさにパズルがハマったような感覚だった。


●これまで部活や習い事など色々なことに取り組まれているかと思いますが、イラストを描き始めたときの感触はどのようなものだったのでしょうか?
本当にビビッときて。文字通りのめり込みました。高校受験のような必死になれる感覚を思い出せたんです。実は自分のなかで、あの感覚を再び得たいという想いを悶々と抱き続けていて、そうした状況でのイラストとの出会いだったので、ようやくそのパズルがハマったような感覚だったんです

●ただひとつ違うのは高校受験は明確に“合格”というゴールがあるのに対し、イラストは明確な正解やアウトプットがあるわけではないような気もするのですが?
合格という明確なゴールがないからこそ、これを仕事として、突き詰めて行けるところまでとことん行きたい、と強く想うようになりました。少しでも早く、より多くの人々に自分の作品を届けたい、という想いが。

●なるほど。一方で大学3年生というと周りでは就職活動も始まり、少しは意識したのでは?
色々言っておきながら、実は就活もしたんです(笑)。小さいころからの母の教えや、留年したことの後ろめたさ、同時にイラストで食べていけるという確信もなくて。なんとなくの気持ちで就活をした結果、1社から内定をいただいたんですよね。ギリギリまでイラストを仕事にしていくか、一度は会社に入るかギリギリまで迷っていたんですけど、入社2週間前にイラストで生きていくと決意し、内定を辞退しました。


これだけ時代の流れが早いなかで、同じテイストで留まり続けることは決して簡単にはできない。だからこそ変化を進化と捉えて自分のスタイルを出し続けていく。


●ご両親へは相談をしたのですか?
内定を辞退した後に伝えました。何かを言われるということは分かっていたけど、なんと言われようとこの道を歩む、というブレない決意と覚悟があったから、辞退してから伝えにいきました。

●すごい決断ですね。
内定を辞退した日はものすごい解放感で、気合い入れて頑張ってこうと意気込んでたんですけど、次の日に国民年金とか税金とか色々調べて。「フリーターって結構やばいな」とあとになって気づいたんです(笑)。それから一カ月くらいは不安な気持ちでいっぱいだったんですけど、それが徐々に薄れていき、一体どうしたらイラストだけで食べていけるか、ということに意識を向けるようになっていきました。

●前に進むしかない状況ですもんね。
少し話が戻るんですけど、親に報告するときに何か安心させてあげられる材料も伝えたい、という気持ちが実は働いて。「一年で見切りをつけるつもり」と伝えたんですね。そしたらそれに対して両親がとてつもなく激怒して。やりたいことを仕事にすると決めたなら、格好つけて一年とか期間を定めずにとことんやり切りなさいと言われてハッとしたんです。

●まさに高校時代に東京の大学に進学したい、と伝えたときのようにですね。
そうなんです。そう言ってもらって心がすごく軽くなった気がして。今は本当にどうしたらイラストで飯を食って行けるか、それだけを考え続けています。

●そうした出来事を経て、その決断から間もなく5カ月が経とうとしていますが、心境や考えに何か変化はありますか?
今の想いとしてはテイストを若干変えていきたい、という想いがあって。むしろこれだけ時代の流れが早いなかで、同じテイストで留まり続けることは決して簡単にはできないことだと思うし、変化を進化と捉えて自分のスタイルを出し続けていきたいと思います。
イラストを始めてからでいうと、間もなく1年半くらいが経つんですけど、個展を開催するたびに“こんなんじゃだめだ”という気持ちになって、常に新しいものを生み出していきたいと思うんです。


いろいろ試した結果、いまに戻ることも全然あると思う。
それでも今は、今しかできないことをやれるところまで挑戦し続けたい。


●どういう瞬間にそう感じるのでしょうか?
例えば作品を見に来てくれた人が「なんかかわいい」とか「お洒落」と言ってくれることはもちろん嬉しいし大事なことなんですけど、同時にその一言で片づけられるような作品じゃダメだなと思うんです。アーティストという固定概念に縛られているのかもしれないけど、そういうアーティストであることがいまの自分が目指している姿なんです。

●時代のなかで変わるもの、変わらないものがあるかもしれないですね。
いろいろ試した結果、いまに戻ることも全然あると思います。それでも今は、今しかできないことをやれるところまで挑戦し続けたい、と思っています。

●これからやりたいことはありますか?
現状SNSでしか自分の作品を世の中に伝えられていなくて、もしインスタという存在が無くなれば、自分の想いを誰かに届けることができなくなるんですよね。
幼いころから近くで自分を育ててくれたおばあちゃんにも届けたいし、もっとより多くの人に届けたい。だからこそ新聞やテレビというメディアを通じて発信できたらと考えています。そのために、もっともっと努力して、大きな仕事を作っていかないといけないと思っています。

●最後に、将来の夢を教えてください。
たくさんあるんですけど、まずはバイトを辞めること。今年中に辞めたい。そしてかっこいい車を買う。SNSではなく、より広く社会に届けられるメディアに掲載されること。大きな美術館で個展を開くこと。21世紀に爪痕を残せるアーティストになること。雑貨とかちゃんとした服もつくりたいし、いつかは自分のお店も持ちたい。海外にも行きたい。なにより死ぬ寸前まで創作活動を続けていきたい。
そして妥協せずにワクワクし続ける方向に歩み続けたい。そのために自分の心に嘘をつかず、誰かに何かを言われても曲げない意志を持ち続けたいと思います。


Profile:Rai(Cream Ecoes)

2000年生。
宮城県出身・東京在住のイラストレーター。
家具、室内、建造物、自然、音楽など、日常から生まれるインスピレーションに独自のフィルターを通し、シンプルな構図と独特な色彩で表現することを特徴としている。
ジャケットアートワーク、ポスター制作、グッズ制作、様々なイラストレーションの制作を幅広く行なっている。

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Text : Gaku Sato
Photo:Gaku Sato
Interview : Gaku Sato

2023.9.7