高橋 真人 (27)
究極言うと、僕にはほとんどこだわりがない。だからサワードウっていうのもあるのかもしれない。サワードウの味は、つねに一定ではなくて、変化を許容せざるを得ないから。Sabasuのオーナーの言葉を借りると、「Your friend」。僕もそういう感覚で。
CHAPTER
今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を
CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。
●出身地について教えてください。
静岡県です。実家のまわりは茶畑で、近くを川が流れていたり、野菜をつくっている農家さんも多かったり、そういう自然豊かな場所でした。
●小さい頃はどんなことをして過ごしていましたか?
川で魚を釣ったり、山で秘密基地をつくったり。自然いっぱいとはいえ、閉ざされた田舎というわけではなかったので、車で20分行けば街もあるし、親に連れられて映画やショッピングを楽しんだりもしていました。
●なかでも印象に残っている思い出はありますか?
親の行きつけの飲食店に、よく連れて行ってもらっていたのを覚えています。焼肉屋さんに行けば、帰りにお菓子や飴をもらったり。餃子屋さんで冷凍餃子を買って帰ったり。おばあちゃんと一緒に直売所に行ったり。そういう暮らしに、地元の面白さを感じていました。
●そういう暮らしのどんなところが好きでしたか?
知っているひとがつくっている、とか、ひとの顔が見える食環境ですね。だれかの顔が見えないと、しっくりこないというか。どうせ食べに行くならあのひとのところにしようとか、それが当たり前だったし、楽しかったですね。
まわりで当たり前とされていることに、「本当にそうなのか」と疑問を持つことは多かった。たとえば野球部で強制される筋トレも、自分が欲しいと思ったことはやるし、必要ないと思うことはやりたくなかった。
●その頃熱中していたことや、好きだったことはありますか?
その頃は、いまとは真逆で、ひとの目を気にする性格でした。小中は野球をずっとやっていたんですけど、熱中していたというのでもなく、むしろ、ほとんどやらされていたに近い感覚で。でも、親は「途中で辞めたら負けだ、継続は力なり」っていう感じだし、小学校から中学校へみんなそのまま上がるので、一緒に野球をやっていた子たちが続けると、自分もそうしないと白い目で見られるんじゃないか、みたいな同調圧力みたいなのもあって。それで結局、中学3年間も野球を続けました。
●同調圧力みたいな空気に、違和感を覚えていた?
まわりで当たり前とされていることに、「本当にそうなのか」と疑問を持つことは多かったですね。たとえば野球部で強制される筋トレも、自分が欲しいと思ったことはやるし、必要ないと思うことはやりたくなかった。
●ひとの目を気にしながらも、一方では、自分で考え、意思を貫こうともしていたと。
だから、野球部時代の反動で、高校に入ってからはできるだけまわりに左右されない環境で生きていこうと決めました。それで、個人競技にしてみようと思って、陸上部に入って。でも「運動部じゃなきゃ」みたいなしがらみから逃れられないところもあったんですよね。結局、1年間で辞めることになりました。でもそのとき、人生で初めて自分で“辞める選択”をしたんです。別にここで辞めても人生終わりじゃないし、死にはしない。そんな風に、辞める選択ができるマインドになったというか。そこからは、気分屋な自分の本性も、表に出せるようになった気がします。
静岡では、いまも当時も人口流出が問題になっている。みんな高校を出ると離れて行ってしまう。でも、僕はどこにいても変わらないと思っていた。みんなは楽しみ方を知らないだけで、土地ならではの店や場所を巡って、いろんな人と関わっていれば、いくらでも充実できる。だから、静岡にとどまろうと考えていた。
●世間的にはネガティブに捉えられがちな選択も、あくまでポジティブで、自分をひらく感覚すらあったわけですね。
それからは帰宅部になって、学校のあと時間があるから、地元のいろんなお店に遊びに行くようになりました。レコードをめちゃくちゃコレクションしているカレー屋さんとか、ローカルでありながら、日本全国にファンを持つ珈琲焙煎所とか。小商をするかっこいい大人たちに囲まれていました。
●とくに興味を惹かれたショップやスタイルはありましたか?
なかでも、コーヒーショップや喫茶店が好きでした。ひとりで行くと、店主と会話が弾んで、おすすめの映画やおいしいご飯屋さんを教えてもらったり。そうしたコミュニケーションが楽しかったのもあって、次第に、いつか地元に自分の“場”を持ちたいと考えるようにもなりました。
●まわりにも、同じように地元を楽しんでいる友達が多かったのでしょうか?
ぜんぜんそんなことはなくて。静岡って、いまも当時も人口流出が問題になっています。東京も神奈川もすぐそこだから、みんな高校を出ると、離れて行ってしまうんですよね。でも、僕はどこにいても変わらないと思っていました。みんなは楽しみ方を知らないだけで、土地ならではの店や場所を巡って、いろんな人と関わっていれば、いくらでも充実できる。だから、僕は意地でも静岡にとどまろうと考えていました。天邪鬼なところもあるので。
静岡を出て真鶴出版で働きながら、朝の自由な時間を使って近所のパン屋さんで働くようになったのがはじまり。そこで初めてホールのパンを買って、それが、すごくしっくりきた。「いいな、この生き方」って。
●そこから、場づくりをしようと動きはじめた?
県内の大学を卒業してからは、働きたい場所が見つからず、1年間フラフラしていました。そのあと、真鶴出版(※1)で1年間アシスタントとして働くことに。当時は編集業にも興味があったんです。いつか場づくりをするために、なにかとなにかを掛け合わせる力が必要だと思っていたのもあって。
※1:真鶴のコミュニティの拠点として、“泊まれる出版社”として、出版物を発行しながら宿泊施設を運営している。
●“場”とひとくちに言っても、当時はどんなものをイメージしていましたか?
その場所には、自分でつくったものがないと意味がないと思っていました。なにかをつくって売る、それを通じてコミュニケーションがなりたつような。最終的にはサワードウに行き着くのですが、静岡を出て真鶴出版で働きながら、朝の自由な時間を使って近所のパン屋さん・秋日和(※2)で働くようになったのがはじまりです。そこで初めてホールのパンを買って、1週間かけてゆっくり食べるっていう暮らしをして。それが、すごくしっくりきたんですよね。また、当時読んだ『タルティーン・ブレッド』(※3)という本にもすごく感化されて。「いいな、この生き方」って。それで、自分にはパンだ、と。とくにサワードウで、それを軸にしたお店をつくりたいと思うようになったんです。
※2:「大きな感動より毎日食べても飽きないパンを」という想いのもと、材料へのこだわりはもちろん一個一個丁寧に作ることを大切にする真鶴のパン屋。地元農家の食材を使ったパンづくりも行うなど、真鶴のよさをパンを通して発信している。
※3:全米ナンバーワンの人気ベーカリー「TARTINEBAKERY&CAFE」のオーナーシェフ、Chad Robertsonによる、パンと小麦と自身のライフスタイルを綴った1冊。
●そこからサワードウへの道がはじまったのですね。
はい、働くベーカリーを探していくなかで、VANER(※4)に出合いました。働いている彼らはすごくハッピーなオーラで、パンもめちゃくちゃおいしくて、まさに生き方としていいなと思えたパン屋さんだった。残念ながら採用には受かりませんでしたが、ヘッドベイカーの司くん(宮脇司)とお話させてもらったときに、日本橋にオープン予定のParklet(※5)を紹介してもらったんです。そこで2年間、飲食店のいろはも教わりながら働いて、それから、Sabasu(※6)にいるいまに至ります。
※4:かつて谷根千エリアの古民家を改装した建物の一画にオープンしていたベーカリー。小麦から自家培養したサワードゥ、国産小麦を石臼挽きで使用したパンを焼く。
※5:天然素材を活かした焼きたてのパンだけでなく、丁寧に関係を築いた生産者から仕入れた素材を使った朝・昼・夕食も提供するベーカリーカフェです。
※6:2023年4月、港区・赤坂にオープン。天然発酵生地のピッツァとナチュラルワインが楽しめると評判のカジュアルなレストラン。
究極言うと、僕にはほとんどこだわりがない。だからサワードウっていうのもあるのかもしれない。サワードウの味は、つねに一定ではなくて、変化を許容せざるを得ないから。Sabasuのオーナーの言葉を借りると、「Your friend」。僕もそういう感覚で。
●しっくりきているというサワードウという“生き方”について、もう少し具体的に教えてもらえますか?
小麦粉と水だけで起こした酵母を使ってつくるサワードウには、無駄がありません。その自然環境にあるものだけでタネができあがって、そこに最小限の手を加えながらパンになっていく。無理していないというか、時の流れに身を任せているというか。なにかの本に「made by itself」と書かれてあるのを見たことがありますが、まさにそんなイメージ。
●そうした性質が、高橋さん自身にも合っていた?
自分は結構のんびりな性格だし、なにかに情熱をぐっと傾けられる性格でもない。でも、パンは毎日食べるものだし、暮らしと仕事に垣根がない。
●たとえば、パンの、職人的な面白さには惹かれなかったのでしょうか?
究極言うと、僕にはほとんどこだわりがないんです。だからサワードウっていうのもあるのかもしれない。というのも、サワードウの味って、つねに一定ではなくて、変化を許容せざるを得ないんです。そういう部分にも惹かれています。Sabasuのオーナーのルークの言葉を借りると、「Your friend」。僕もそういう感覚で。
●こだわらない。思い通りにしようとしない。それが自然とできる関係。「気分屋」だと話していたところにも通じそうです。
粉と水を混ぜて置いておくだけ。全部を手放しても、あんなにおいしいものができるんです。それで、面白いことに、自分が調子悪いと向こうも思い通りにならなかったりするんですよね。もちろんおいしいものはつくりたいですが、そのときいいと思えばいいというか、どんなピザができあがってもおいしいわけで。
●でも、作用し合っている感覚もある?
お互いに気分屋で、どっちかが譲り合って、バランスを取っている感じはしますね。共存しているような。だから、一緒にいて居心地がいい。
自分がおいしいと思えるピザが焼けたらハッピーで、それがまわりにも届けばいい。いいものを提供するなら、たとえエゴの押し付けでもいいと思う。お店はそうあるべきなんじゃないかって。
●ここはお店である以上、“お客さん”という存在があって、プロとしてクオリティにこだわらないといけないとか、なにかを差し出さないといけないとか、そうした価値観に縛られる場面もあると思いますが、どうですか?
お店であっても、まずは自分が楽しめないとやっている意味がないと思っています。自分がおいしいと思えるピザが焼けたらハッピーで、それがまわりにも届けばいいな、という感じ。静岡で小さなお店をやっているひとたちも、彼ら自身が第一に楽しんでいる感じがしました。その光景は真鶴でも見てきたことで、個人商店が多くて、お店とお客に優劣はなくて、等価交換。お金のやりとりにも人情がある。そうした景色を見てきて、いいものを提供するなら、たとえエゴの押し付けでもいいんじゃないかと思うようになりました。お店はそうあるべきなんじゃないかって。
●場をつくりたいと志し、地元や真鶴で過ごしていた当時が原体験になって、いまそうした実感につながっているのが面白いですね。
その頃と気持ちは変わらないですね。東京に出てきてからは、同じような目標を持つ仲間がいっぱいできて、競い合ったり、刺激し合ったりしています。でも、別にこれからも東京に居座ろうとはまったく考えていなくて。東京にいれば固定費も嵩んで、自分の意思に関わらず、働かざるを得ないですし。
●東京に出て、ParkletやSabasuで働くなかで見えてきたこともありますか?
ルークを筆頭に、Sabasuではコミュニケーションを大切にしています。ここに来るとくに海外のお客さんたちはみんな、コーヒー1杯でも「ほんとにおいしかったよ!」って当たり前のように言いながら帰っていくんです。自分たちとお客さんが対等で、お互いにハッピーな関係で、それはここで働いて見つけた新しい視点だし、今後、自分のなかにも取り入れていきたいと思っています。サワードウが自然環境からいろんな影響を受けてできあがるみたいに、自分も、いろんなひとやものごとに影響されながらやってきた。だから、自分のことを“媒体”のようなものと考えているし、これからも、そういうものでありたいんです。
Profile:高橋 真人 Masato Takahashi
1996年静岡市生まれ。大学卒業後は真鶴へ移住し。真鶴出版でインターンを経験。海外のSourdough Bakerの生き方に魅了され、パンの道へ。7月末でSabasuを卒業。現在は自分のお店をオープンするため、静岡を拠点に個人で活動中。
Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : mitsuharu yamamura(BOOKLUCK)
Photo : Masahiro Kosaka(CORNELL)
2024.8.7