伊藤 七彩 (28)
とくに線画を描いているときは、自分が透明人間になっている感じがする。そこに美しいものがあって、それを自分というフィルターを通して顕す。少しでも多くのひとの目に留まればいいな、っていう気持ちで。
CHAPTER
今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を
CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地はどちらですか?
千葉県のベッドタウンで育ちました。
●どんな幼少時代を過ごしましたか?
父はすごく仕事が忙しかったので、母親とふたりで過ごすことが多かったです。お母さんはワイルドに子育てするタイプだったので、わりと野に放たれて遊んでいました。木に登ったり、自然のなかで見つけたものを絵に描いたり、詩にしたりするのも好きでした。
●友達と遊ぶより、ひとりで自然のなかで遊ぶほうが楽しかった?
ひとりでいる時間のほうが好きだったかもしれません。たしか小学1年生の遊び時間、みんなでポケモンごっこをしようみたいなことがあって、それがすごくしんどくて、早く帰りたかったのを覚えてます(笑)
●描いた絵や詩をまわりの友達と共有するようなこともなかったのでしょうか?
夏休みの課題で発表したことはありました。旅先で見つけた木や花を絵に描いて、そこに言葉も添えて、みたいなのを。
●高学年になっても、そうしたことをずっと楽しんでいましたか?
中学受験のために、小3くらいから塾に行きはじめたんです。正解のある問いを迅速に処理するのは得意じゃなかったんですけど、苦手意識があったからこそ、すごく勉強したんです。その頃、絵を描くのも詩をつくるのも、気がついたらやらなくなっていたんですよね。自分にとってはかなり大きな変化でした。しかも、そんなモードが大学に入るまでずっと続いたんです。

自分が舞台に立つことよりも、体の構造みたいなことに興味があった。筋肉や骨の動きがどう繋がっていくのかとか、重心をどこに置くかとか、物理学みたいな感じ。それを自分で考えたり組み立てたりすることが楽しかった。
●自ら進んで勉強に励んだり、勉強が好きになっていった、というわけではなく?
そうですね、進んで勉強してはいたと思います。ただ、やらないと人生がうまくいかないのではないかっていう怖さも大きかったと思います。小学校を卒業したあとは中高一貫で、強制ではないものの、いわゆる“いい大学”に向けて努力する友達もまわりにたくさんいて。いま考えると「美大に行ってみたかった」なんて思うこともあるんですけど、当時は、そうした選択があるとに気づきもしなかった。それまでの、塾や学校での“勉強”のイメージとはほど遠かったんだと思います。
●勉強以外に熱中したことはありませんでしたか?
6歳からはじめたバレエは、そんななかでもずっと続けて、なんならいまでもやっています。
●どういうところが楽しかった?
ちょっとマニアックなんですけど、自分が舞台に立つことよりも、体の構造みたいなことに興味があったんです。筋肉や骨の動きがどう繋がっていくのかとか、重心をどこに置くかとか、物理学みたいな感じ。それを自分で考えたり組み立てたりすることが楽しかった。
●のびのびと感覚的に楽しむよりも、ロジックが琴線に触れたと。
芸術であることは大前提としても、バレエには、感覚や情緒を発揮する前に必要なことがたくさんあると考えています。どちらかというと数学的な考え方ができないと、踊れない。身体を操るのに必要な考え方は、自然科学や物理学の領域にあるんですよね。それを探求していく。
●勉強とも似ている気がしますが、伊藤さんにとっては、受験や学校の勉強とはまた違ったものだったのでしょうか?
いわゆるところの勉強には、答えにいかにはやく辿り着くかが必要とされる。そうした競争には、居心地の悪さみたいなものをずっと感じていた気がします。

音楽と照明と衣装と踊り手。いろんな要素があって、それをいかに束ねるか。関係性のなかでひとつの物事を作って、見せていく。それを、自分の身体を使って20年かけて培ってきた。
●バレエにおいては、自分なりの楽しみに早い段階で自覚的だったのですね。中学に入ってからはどうですか?
どうして好きなんだろうってことが、小学生の頃はまだぼんやりとしていましたが、中学生になるときちんとわかるようになってきて、それでさらにのめり込んでいきました。世界のいろんなバレリーナを類型化して、こういうバレリーナが好きだとか、それはどうしてだろうとか、自分なりに研究して。あるときからは、ロシアに好きな学校が見つかって、とにかくその学校について研究していました。
●具体的に、どんなことを研究していたのでしょう?
その学校が教えているメソッドが、すごく好きだったんです。踊り方や表現、音楽と身体性の調和に感する思想。そうしたことを知るのが楽しかったし、そこに辿り着きたくて、休日は1日10時間くらい映像を観続けたりしていました。その頃は、それまで知っていたイギリスやフランスのバレエにまったく興味が持てなくなって、辞めてしまおうかって思っていたんです。ロシアのそのメソッドに出合って、「こっちの世界でならやり続けたい」と思えるように。
●そうしてバレエを続けるなかで、身についたと感じることはありますか?
総合芸術だったことが、すごくよかったと思っています。音楽と照明と衣装と踊り手。いろんな要素があって、それをいかに束ねるか。「五回転できればいい」っていうようなことではなくて、関係性のなかでひとつの物事を作って、見せていく。ロシアのその学校は、まさにそうしたことをとても大切にしていたのですが、それを私も自分の身体を使って20年かけて培ってきたことは、いまやっているブランディングの仕事にも生きている気がします。

スウェーデンがすごく心地よかった。社会システムを含めた全体が本当にうまく設計されているなと感じられて。目に見える単なるデザインだけじゃないその心地よさの正体が知りたくて、1年間暮らしてみたいと思った。
●一方、大学入学までは勉強にも明け暮れていたということでしたが、大学に入ったあとで変化はありましたか?
大学3年のときにスウェーデンへ留学したことが、大きな転換になりました。スウェーデンにはずっと興味があったんです。たしか最初はインテリアから入って、それで大学1年の頃に旅行で初めて訪れました。
●旅行したときに、留学したいと思うきっかけのようなものを掴んだ?
すごく心地よかったんです。街の様子を眺めていると、社会システムを含めた全体が本当にうまく設計されているなと感じられて。目に見える部分だけではなく、その心地よさの正体が知りたくて、1年間暮らしてみたいと思ったんです。
●旅行したときに感じた心地よさについては、具体的にどのようなところが目につきましたか?
現地のひとたちを眺めていて、なんとなく、角がとれているなって感じたのがひとつ。受験のためにそれまでひたすら頑張ってきた私にとって、それがすごく羨ましかった。実際、スウェーデンでは大学に入るために競争するみたいなことはないし、無料で大学まで行ける。裕福かそうじゃないかなんて関係なく、みんなが等しくやりたいように学べる。自分がそれまで葛藤してきたことには、国全体のシステムが紐づいているんだと気づいたんです。もうひとつは、自分たちの心地よさを大事にするために、できる部分はきっぱりと合理化していたこと。たとえば、当時はまだ珍しかったキャッシュレスはどの店でも100%運用されていました。伝統にことさら縛られない、成熟した態度を感じました。
●留学した1年間で感じたことや気づいたことは?
こっちが母国なんじゃないかって思うくらい、気持ちよかった。それこそ、自然と、また森に入る時間も持つようになりました。デイリーワークとして植物のスケッチなんかをするようになって。そのくらいから、絵を描いたり写真を撮ったりという活動を、気づいたら、趣味程度に再開していました。
●最初に感じた心地よさの正体は突きとめましたか?
それは卒業論文にまとめました。スウェーデンって、寒冷ですし、土地も肥沃とは言えません。冬は日本人が想像するその何倍も寒く、暗く、きつい。そのほかの自然環境も厳しくて、そしてその100年、200年前なんて想像を絶するほどだったと思うと、デザインも、生きるか死ぬかの瀬戸際のなかでなされてきたんだとわかります。表層的に「いい暮らしをしよう」っていうことではなくて、生存戦略だった。政治のシステムにしても社会システムにしても、「伝統が大事だから新しいことはできない」なんて言ってる場合じゃなかったんだと思う。それが、いまにはっきりとつながっているんです。

感覚的にコピーをつくったり、でもどちらかというとロジックで詰めていく部分もあったりして、その行き来をするのが心地よい。
●大学卒業後のことは、どうやって決めましたか?
スウェーデンで、また自然のなかに入っていく幼少期の自分に立ち返ったことも大きくて、けっこう迷いました。それまで直線的に進んできた自分とクラッシュしちゃって。だから、手当たり次第に就活した感じ。わからなくなっちゃって。
●どんな仕事に就いたのですか?
1社目は広告代理店でした。わりと流れのままに決めて、当時は、どちらかというと“頑張る自分”が出てきていた気がします。そのまま続けると、せっかく取り戻しつつあった感覚的なものをもう少し見つめたいと思って、2年くらいで抜けました。その後、いまいるブランディングの会社に。企業がなにかを新しくはじめるときに伴走するのが仕事です。リサーチして、コンセプトやビジュアルアイデンティティといったものを作っていくのを手伝っています。
●さまざまな要素のつながりや関係性を重視するバレエに通じるところがあると、先ほど話していましたね?
感覚的にコピーをつくったり、でもどちらかというとロジックで詰めていく部分もあったりして、その行き来をすごくするのも心地よいです。
●仕事として、絵の制作も同時にしていますね? どちらがメインというような意識はない?
そうですね。絵は、ちょっとしたご縁があって、“仕事になってきた”という感覚。それで生きていいこうと思っちゃうと違うものが出てきちゃうとも思うので、そちらに軸足を置かないいまのバランスでいいかなと思っています。

とくに線画を描いているときは、自分が透明人間になっている感じがする。そこに美しいものがあって、それを自分というフィルターを通して顕す。少しでも多くのひとの目に留まればいいな、っていう気持ちで。
●絵を描くときにもっとも意識していることは何ですか?
対象物の構造かもしれません。植物の曲線がバレリーナに見えてくることがあるんです。描きたいと思う植物のフォルムは、好きなバレリーナの曲線と似ていたり。友達のシェフがSNSに投稿する、農薬を使わずにワイルドに育てられた植物が、すごく素敵に見えたり。
●伊藤さんが能動的に選び取るというより、どこか“描かされる”みたいなところもあるのでしょうか?
シェフの話を続けると、彼らはコントロールできない食物を扱っていますよね。ある程度は料理というかたちでコントロールするかもしれないけど、でも、加工して“いいようにする”っていうことでもない。コントロールできないものもあって、でも完全に野放しにもせず、自然と人工のせめぎ合いを泳いでいるような、料理をしているひとたちのそういう仕事が、素敵だなって思ったんです。自分の描いている絵も、そこに通じるところがある気がします。とくに線画を描いているときは、自分が透明人間になっている感じがする。そこに美しいものがあって、それを自分というフィルターを通して顕す。少しでも多くのひとの目に留まればいいな、っていう気持ちで。
●それはバレエにも通じるように感じます。身体をコントロールする一方で、でも自然と出てくる動きがあったりする。正しい身体の動きというのも、自分の意思でそうしているようで、ただ“本来に戻している”だけとも取れる。
そうだと思います。バレエはピアノでレッスンを受けるのが好きなのですが、それは、ピアニストがどんな音を出すかがわからないから。私はそれに合わせようとするし、ピアニストも私に合わせる。そのせめぎ合いが楽しいんです。
Profile: 伊藤 七彩 Nanasa Ito
1996年生まれ。ブランディング会社で企画職として勤務したのち、現在はデンマークに滞在中。認知できない領域の存在感を可視化することに関心があり、個人活動としてドローイングやペインティングを続けている。
Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : mitsuharu yamamura(BOOKLUCK)
Photo : Masahiro Kosaka(CORNELL)
2025.8.1