CHAPTER vol.49【THINK】

猿渡 凛太郎 (26)

yaso ディレクター / 精油蒸留家

自給する暮らしは、じつは、小さな目標であふれている。畑で野菜をつくる。きのこを採取する。肉を捌く。家を自分で建てる。薪を使って暖を取る。どれだけ自然に負荷をかけずに暮らせるか、それも毎日の目標で、そこに達成感がある。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地はどちらですか? どんな子ども時代を送りましたか?
兵庫出身です。子ども時代はサッカー漬けでした。小学1年生の頃から地元のクラブチームに入って、それから21歳まで、本気でプロを目指して打ち込んでいました。

●なかでも思い出に残っていることは?
わりとチームと衝突することが多かったですね。自己主張が強くて、インプレイでもアウトプレイでも感情を露わにする方だった。両親もわりと、「違うと思ったことは言う」っていうタイプ。飲食店を自営していて、オーガニック食材だけを使った、玄米ご飯と麹料理を出す定食屋だったのですが、カウンター的な感じというか、そういう影響も大きかったと思いますね。

●その頃から自分の意志がきちんとあった、ということでもありますよね?
学校という組織の体制なんかにも、すごく違和感がありましたね。そういうのは、いまだにあります。大衆のなかでは生きられない。

●当時、なにがそうさせていたのだと思いますか?
天邪鬼っていうのはあると思います。みんながやっていることはやりたくない、とか。考えずに形骸化していることも嫌いですね。自分で考えて、噛み砕いたうえで行動に移したいと思っていました。


結局はプレイで応えるしかなかった。フォワードだったから、点を決めたら大丈夫、みたいな。衝突するなかで磨かれていくものがある、とも感じていた。パスの受け手と出し手と、思っていることを伝え合うことで連携がよくなる、とか。


●“ただ準じる”というようなことが嫌だったと。
そうですね。なにも考えず、思考停止になるのは嫌だった。でも、1回従ってやってみる、っていうのも大事じゃないですか。従ってみたうえで、「これは違うんじゃない?」って論理的に意見するのが大人。それはすごく学びました。

●それは大きな変化ですね。どうしてそう思うように?
言うだけじゃ変わらない、とか、いろいろな衝突を経て、ちゃんと整理して相手を納得させないといけないことに気づいたのはありますね。それは、サッカーを通してというのではなくて、大人になって最初に働いた農家で学んだこと。社長と衝突して辞めることになるんですけど、そのあと、すごく反省して。

●サッカーをやっている当時は、衝突がありながら、どういうふうにチームのなかで振る舞っていましたか?
結局はプレイで応えるしかない、っていうのはありましたね。フォワードだったので、点を決めたら大丈夫、みたいなところはありました。あとは、衝突するなかで磨かれていくものがあるんじゃないかと感じてもいました。パスの受け手と出し手と、思っていることを伝え合うことで連携がよくなる、とか。

●衝突が生じて、しかし、双方向のコミュニケーションも確実に育まれていたと。
一方向のコミュニケーションではダメですよね。当時は海外志向があって、とくにドイツでプレイしたいと思っていたのですが、あっちの選手はみんな自分の思っていることを言うのが当たり前で、そこにギャップを感じていました。どれだけ揉めても、試合が終わったら仲良くて。フラットというか。


19歳のときに環境問題を独学しはじめた。その頃はパリ協定も出て、「地球がやばいよ」っていう状況で。それで、「サッカーやってる場合じゃないな」と思った。


●そんなふうにしてプロを目指しながら、でも、サッカーを辞めてしまったのはどうしてですか?
19歳のときに環境問題を独学しはじめて、その後、農業と出合ったんです。ちょうどその頃はパリ協定っていう国連の報告書も出て、「地球がやばいよ」っていう状況で。それで、「サッカーやってる場合じゃないな」って思いました。環境問題に対する熱が高まるにつれて、サッカーに対する熱は冷めていきましたね。

●農業と出合った、というのは?
当時仲良くしていた映像作家さんに、愛媛のみかん農家へ連れて行ってもらったんです。少しお手伝いしたのですが、サッカーをやっていた自分でもしんどい急な段々畑で、おじいちゃんとおばんちゃんが軽々と作業していて……。しかも、自分がやったことにすごくお礼を伝えてくれたんです。それで、自分たち若者が、街のスーパーで野菜や肉を当たり前のように享受している状況に、違和感を持つようになって。同時に、環境問題に対する自分のなかでのソリューションが、“農業”や“食”に結びついた。そうして自分ごとになって、そこから、全国の畑を回るようになりました。

●どうして、まずは畑を見ようと思ったのでしょう?
生産の現場を知って、かつ、都市部のひとにも自分と同じ気づきを得てもらいたいと考えたんです。いま、都市と地方で、“消費”と“生産”が明確に分かれているじゃないですか。なにも考えず消費しているその想像力の欠如が環境問題を生んでいるんだろう、と思ったんです。それで、全国を回って、それぞれの食材を使って友達のシェフとイベントを開催したりして。

●現場を回って猿渡さん自身が得た気づきについて教えてください。
やっぱり体験することが大事だと思いました。都市でひとが食物と触れるときって、“食材”としか感じられず、“生き物”だという感覚が無い。でも、木を植えることからはじまり、剪定して、果物がなって、それを採って、運ぶ人がいて、八百屋やスーパーがあって、ようやく消費者に渡る。それだけのプロセスが挟まっていても、消費者は何の感覚もなくそれを手に取る。その乖離を埋めるには、体験することだと思った。

●都市で暮らすひとに、体験する場をつくろうと考えた?
当時はそれがまだ難しかったので、まずは自分がどれだけ生産に近づいて、どれだけ日常生活のなかで生産できるか、それを実践しようと思い、地方に住むことにしました。最初は半年間だけ千葉へ行って、それから現在まで長野へ。もちろん、僕もいまだにスーパーで野菜を買うし、ガスも電気も使います。全く消費しないわけじゃないですが、ステップバイステップというか、実践できることを増やしているところ。その姿勢を示すことで、面白いと思ったひとがやって来てくれることもある。その道筋をつくっているところです。


自給する暮らしは、じつは、小さな目標であふれている。畑で野菜をつくる。きのこを採取する。肉を捌く。家を自分で建てる。薪を使って暖を取る。どれだけ自然に負荷をかけずに暮らせるか、それも毎日の目標で、そこに達成感がある。


●千葉に行き、初めて生産の近くで生活してみて、いかがでしたか?
最高でしたね。もうアスファルトの上では暮らせないって、すぐに思いました。今後も、もう都会に住むことはないと思います。

●そこを半年で出てしまった理由は?
千葉のハーブ農家でアルバイトをしていたのですが、その頃の自分は甘くて。自分の、「伝えたい、伝えたい」という目標ばかりだったというか。当時は、とにかく都市に住むひとたちをこっちへ呼んで、体験してもらおうと躍起になっていました。でも、農家さんたちは毎日毎日生産していて、地域との関係性もあるなかでつくりあげてきたものもある。そこが理解できていませんでした。

●それでまた衝突してしまったというわけですね。
違和感があったとしても、与えられたことに対してまず全力を尽くしたうえで、それを伝えるべきだったんです。生きていくだけで大変っていうなかで、仕事を与えてもらっていることだって当たり前じゃないことを理解できていなかった。

●毎日の与えられたことにただ取り組むことは、農業といういとなみの本質にもつながるような気がします。
目の前のことを淡々と積み重ねることでしか、暮らしはつくっていけない。いまも、そんなふうに思います。1年目にして理想の畑はつくれないし、家だって、見つけてから購入するまでにはいろんなプロセスがある。自分で建てようと思っても、大工の技術がいるし、時間もかかる。

●と同時に、そうしたいとなみのなかでは、わかりやすい結果を得たり掴みとったりしていくような感覚を得にくい気がします。その点についてはいかがですか?
自給する暮らしというのは、じつは、小さな目標であふれています。畑で野菜をつくる。きのこを採取する。肉を捌く。家を自分で建てる。薪を使って暖を取る。どれだけ自然に負荷をかけずに暮らせるか、それも毎日の目標で、そこに達成感があります。

●暮らしのなかに小さなハイライトがいくつもあるわけですね。現場での体験を積み上げてきたことも、大きいですか?
生産することによって、伝えられることの重みは変わってきたかなと思います。いまの生活があるからこそ、積み上げてきたからこそ伝えられることがあるんじゃないかと思う。自分自身も、やっぱり実践しているひとの方が尊敬できるし、共感できます。こういう問題があるとか、どうしてわかってくれないのかとかって声高に叫ぶんじゃなくて、これはサッカーのときの衝突とも繋がると思いますが、論理的に、オルタナティブを提案するほうが。自分もそういう実践者でありたいと思いますね。言葉だけじゃなくて、実践するひとが増えれば、社会構造も変わっていくと思う。


「自然の近くで暮らすのはいい」と、いくら言葉で伝えても、伝わらない。でも、香りをかいでもらって、自然のものを生活に取り入れてもらえれば、そこから気づくこともある。そうした媒介となるものを目指している。


●猿渡さんのその実践は、資本主義的な考え方に抗うような側面もありますか?
はい。自分だけが実践していても社会構造は変わらないと思うので、資本主義をビジネスの側面から変えていく必要があるとは考えています。

●それについては、どんな方法で実践しようと考えていますか?
まず、yasoという会社で、林業にまつわる問題解決に取り組んでいます。日本の山は、一度植えられた木が切られないことによって、山が荒廃していると言われています。どうして切れないかというと、切ってもお金にならないから。そこで、間伐材にどれだけ価値をつけられるかに取り組んでいるところです。自分の暮らしと合わせて、二軸。トップダウンとボトムアップの両方があるのがいいなと思っています。

●どうしても偏りがちですから、アプローチが両面あるのは理にかなっていますね。
林業の廃材で出る枝葉をルームフレグランスなどのプロダクトに加工しています。「自然の近くで暮らすのはいい」と、いくら言葉で伝えても、伝わらない。でも、香りをかいでもらって、自然のものを生活に取り入れてもらえれば、そこから気づくこともある。そうした媒介となるものを目指しています。感覚の違う消費者に対して、どれだけポジティブに感情にアプローチしていけるか。そこにおいては、自然のなかで考えて、そのうえでものづくりをしていることの優位性も感じます。

●自然のなかで考えて、生み出すことが重要?
木を使って香りのプロダクトに落とし込むっていうのは、やっぱり、その木のことを知らないとできることではありません。それは、ここにいるからこそ。いまならAIを使って同じプロダクトをつくれるかもしれないけど、それが都会のオフィスでつくられているなら、ブランドとしての価値ってまるで違います。深みが違うというか。いまの消費者はとくにそうした背景を見て買い物をするので、僕らが自然のなかにいるのは、大きなアドバンテージだと思うんです。


自分が感じたことをそのまま生活者に感じてもらうこと。それだけに、まずは香りがいいこと、に重点も置いている。背景に何があるのかというようなことも、いくら言葉を尽くしても、香りがよくなかったら伝わらない。


●香りというアプローチを選んだ理由はありますか?
言葉でよりも、まずは、感覚に訴えたいと思ったんです。だから、いい香りだったりおいしいだったり、自分が感じたことをそのまま生活者に感じてもらうことを心がけています。それだけに、まずは香りがいいこと、に重点も置いています。背景に何があるのかというようなことも、いくら言葉を尽くしても、香りがよくなかったら伝わらないから。

●言葉を介さない、感覚と感覚が結び合うようなことを、いま試していると。
体験が響かなければ、なにも残らないと思うんです。レストランで生産者のことを丁寧に紹介したとしても、出てきた料理がおいしくなければ、興味が湧かないじゃないですか? 感覚に訴えてこそ、ようやく興味が向かう。

●同じように自然に身をおきながらものづくりをおこなうブランドも増えてきている昨今ですが、どう共存していきますか?
そうしたブランドが増えるに越したことはないですよね。だから、競争じゃなくて、共創したい。林業の未利用資源に価値を与える活動も、全国にもっと広がれば、それだけ問題解決につながる。エッセンシャルオイルを扱うプレイヤーが増えれば、それだけ価値を知るひとが増えて、ボトムアップにつながります。業界のなかで同じ志を持ったひとたちと一緒にやっていくことが、これからより必要になっていくと思っています。


Profile:猿渡 凛太郎 Rintaro Saruwatari

yasoブランドディレクター、精油蒸留家。八ヶ岳の麓の雄大な自然の中に暮らしながら、自然からの気づきからものづくりを行う。

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Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : mitsuharu yamamura(BOOKLUCK)
Photo : Masahiro Kosaka(CORNELL)

2026.1.10