CHAPTER Vol.1 【EAT】

蜂屋 克利 (29)

Echoes シェフ

自分がつくりたい料理を作るのではなくて、その時、その場所、その状況、そこにいる人に合わせた料理をつくれる料理人になりたいと思う。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。



●出身地はどちらですか?
宮城県黒川郡大郷町です。

●幼少期はどのように過ごされていましたか?
自然豊かで何も無い場所だったので、小学生の頃は毎日のように友達とサッカーをして遊んでいました。家にあった本を参考にバレンタインやクリスマスのタイミングで出して、料理作りを始めたのも小学生の頃なんです。

●そのころから料理の道を目指すようになったのでしょうか?
料理を作るのは楽しかったし当時から目指してもいたのですが、実は同時に昔は競艇選手も目指していたんです(笑)。『モンキーターン』という漫画を読んだことがきっかけで、中学時代は料理人か競艇選手のどちらかになりたいと思ってました(笑)。結局身長が大きくなってしまったために競艇選手になるという夢はあきらめ、料理人を目指しつつまずは高校に進学することにしました。

●ご両親はどのようなお仕事をされていたのですか?
母親は現像関係のお仕事。父親は食品関係の運送業をしていました。なので料理人にルーツがあるという訳ではなかったのですが、母の食へのこだわりがすごくて化学調味料が添加されてるものはまず食べたことが無かったですし、母の食への考え方が今の自分に大きく影響している部分はあります。一番近くにあった料理が母のご飯でしたので、それが今でも自分の味覚のベースにはなっていますね。

●ご両親から他に受けた影響はありますか?
何事に対しても中途半端や生半可にしてはいけない、ということですかね。やるなら100%でやりきるし、感謝の想いを忘れずに自分の持っているものを全力で返す、ということは今でも大切にし続けています。


そういう意味では、初めて作った料理を最初に評価してくれた家族に喜んでもらえたことが料理人を目指す原点でもあります。


●その教えが料理にも通ずる部分はあるのでしょうか?
そうですね。自分のつくったものが誰かの喜びになって帰ってくるということがすごい嬉しくて、自分が食べることよりも強くやりがいを感じますね。そういう意味では、初めて作った料理を最初に評価してくれた家族に喜んでもらえたことが料理人を目指す原点でもあります。

●学生生活はどうでしたか?
中学生の時点で料理人を目指すと決めていたのでそもそも高校に行くことは考えていなかったんです。ただ唯一親に言われたことじゃないですけど何があってもいいように、ということで高校に進学しました(笑)。高校時代はほとんどサッカーと小学校からの延長でたまにお菓子作りをしたりしてましたかね。

●学生時代はどのようなことを学びましたか?
高校二年生まではきちんと勉強はしていたけど大学を目指してもいなかったですし、自分の中で料理の道に進むことを決めていたので卒業することを目標に過ごしていました。何より成沢(※1)くんとの出会いが僕にとって大きかったですね。今ではコーヒー業界を引っ張っていく存在でジャンルは違えど刺激をもらえる存在で、今でも会っては仕事のことを話しています。彼とはいずれ何か一緒にできたらいいですね。

※1:エアロプレス選手権世界第2位。現在は両国にある『Single O Japan』にて焙煎士およびバリスタを務める成沢 勇佑氏。

●卒業後はどのような会社に就職されたのでしょうか?
最初に働き始めたのが『humming bird』という仙台のイタリアンのお店でした。実は高校の卒業年に東日本大震災が起こり、卒業後2カ月くらいは自宅で過ごして色々と考えていたんです。そのときにたまたまテレビで放送されていたのが、当時仙台でイタリアンのお店をやられていた目黒さん(※2)という方で、自分で畑を耕し、自分が育てた食材を使って料理を作る姿にめちゃくちゃ憧れて。やっぱり自分も料理を仕事に生きていきたいなと再認識しました。そこからは兄の繋がりのおかげで就職までは困らず料理人としてのスキルを磨ける場所に辿り着けたことは大きかったです。

※2:自然派ワイナリー『Fattoria AL FIORE』のプロデュース・運営を行う、株式会社AL FIORE 代表取締役 目黒 浩敬氏。


まさに海外のレストランじゃないですけど、やりたいという想いのある人にしかチャンスが巡って来ない。


●『humming bird』ではどのような経験をされたのでしょうか?
初めて自分の包丁を購入したのがこの時で、最初はお金を貯めて専門学校に行くために働き始めた場所でもあり、入って1~2カ月は洗い物やデザート作りをしていました。

●1~2カ月というと短いようにも感じますが?
お店次第なところはあると思いますが、そのお店のトップシェフの仕事裁きの真似をすることだけを考えていました。どの先輩から教わるよりも一番身につくことなので。あとは、自分の役割以外のことにどれだけ時間を使えるかを考えていました。例えば30分でやると決められた洗い場とデザートを20分で終わらせられたら、残りの10分は何か違う新しいことに時間を使えるじゃないですか。それって自分のためになる、次のステップに繋がることだと思うので、常に自分の課題よりも課題の先を見据えて行動していましたね。

●同店で得た学びにはどのようなことがありましたか?
『humming bird』は実は仙台に何店舗かあり店舗ごとに料理長の特色が出ていたのですが、たまたま自分の入ったお店の料理長が癖のある人で、いわゆる会社に染まっていない人。食に対しても個性をすごい出すし、自分の料理の基礎もここで教わりましたね。あとはチーム内に対してもお客さんに対してもお笑いを大切にしてました(笑)。どんなにスベったとしても雰囲気をとても大切にしていましたね。

●レストランというと上下関係が厳しいイメージもありますが?
その料理長がいたからこそ、強い上下関係が無かったというのはあると思います。むしろ僕もそのイメージだったので。そういう意味ではこれまで経験してきたどのレストランも怒るのは古い、という考え方がベースでした。今考えると自立した自由な職場でしか経験してこなかったかもしれません。まさに海外のレストランじゃないですけど、やりたいという想いのある人にしかチャンスが巡って来ない、みたいな。


自分は料理をつくっているけど、料理だけつくっていればいいんだ、という考えを覆されたのが『noma』でした。


人生の転機が訪れたのはいつでしょうか?
『humming bird』の後に同じく仙台のスペインバルで働き始めたのですが、当時公開された『noma』(※3)の映画を観たときの衝撃が凄くて。自分の好きなアーティストのライブに行く感覚じゃないけど、音楽もありご飯もあり、内装とか視覚的な美しさもあり、身体全身が刺激される空間がレストランなんだと感じさせられたのが『noma』だったんです。

※3:デンマークの首都・コペンハーゲンにある北欧料理レストラン。英レストラン誌が選ぶ「世界のベスト・レストラン50」で過去に4度首位を獲得。

●私も一生に一度は『noma』を訪れてみたいです。
僕も映画を観た後すぐにでも行きたいと思ったのですが、そう簡単に予約が取れるお店では無かったのでどうしようかなと考えていたんです。そしたら当時たまたまお店によく来てくれていた美容師の方のお兄さんが『noma』のスーシェフを務めている方だったんです。高橋惇一くん(※4)という方なのですが、その美容師の方に惇一くんを紹介していただき、どうにか予約を取れないかとお願いをしたところ、ギリギリ一席だけ空いていて取ってくれたんですよ。

※4:『noma』スーシェフ、クリエイティブ・チームR&Dシェフ。2011年『noma』での食事後に直談判し研修生に。半年後正式にスタッフとして採用され、2016年よりスーシェフおよびクリエイティブ・チームR&Dシェフを務める。

●すごい偶然ですね。
初海外で英語も話せなくてパスポートも取得して(笑)。何もかもが初めての経験でしたね。

●実際に『noma』を訪れてみてどうでしたか?
人生初のレストランのコースということもあり、何もかもが新しいという言葉でまとめてしまうと良くないんだけど、視覚も味覚も聴覚も五感全てを刺激される空間であり料理でしたね。自分は料理をつくっているけど、料理だけつくっていればいいんだ、という考えを覆されたのが『noma』でした。


原さんや後藤さんがつくり出すものは本当にプロフェッショナルで、街に開かれていていい意味でラフな空間なんだけど、やっていることは本物。


●高橋さんとの話しの中で感じたことはありますか?
やりたいことにめちゃくちゃ真っすぐに進む人でもあるし、何よりどんなことでも全力で楽しむことを心がけている人という印象です。目標が見つかった時にアクションまでの時間が早い人があそこまで行けるんだなと。やりたいことがやりたいことで終わったらそこまでなわけで、惇一くんも門を叩いて研修生から始まり今いる場所に辿り着いているんですよね。やりたいことに対する貪欲さを大切にする、ということは強く感じました。

●帰国されてからどのように過ごされたのでしょうか?
惇一くんからのアドバイスもあり、まずは東京で働くことを目標に決めました。帰国してすぐに惇一くんに紹介いただいた南青山の『L’AS』(※5)というお店にご飯を食べに行ったのですが、当時はスタッフの募集をしていなくて。たまたまその翌日に訪れた代々木八幡の『PATH』(※6)というお店のトイレに募集の貼紙を見つけ、ダメもとで連絡をしてみたところ何とか入ることが出来たんです。

※5:兼子 大輔氏がオーナーシェフを務める南青山にあるフレンチレストラン。
※6:パティシエの後藤 裕一氏と料理人の原 太一氏が手掛ける代々木八幡のフレンチビストロ。

●『PATH』ではどのような経験をされたのでしょうか?
『PATH』では1年ほど働き、コース料理がメインでしたが最初は人もいなくパティシエとしての仕事もさせていただきました。原さんや後藤さんがつくり出すものは本当にプロフェッショナルで、街に開かれていていい意味でラフな空間なんだけど、やっていることは本物みたいな。まさに今僕が働いている『Echoes』(※7)も目指すべき指標となっているお店で、カジュアルだけど蓋を開けたらプロフェッショナル、というのは『PATH』で学んだことの一つですね。

※7:カフェ・フード・バーを備え朝から夜まで利用することのできる仙台のカフェ&ダイナー。


●再びお菓子作りに戻られたのですね?
そうですね(笑)。後藤さんのもとで働くのはめちゃくちゃ楽しかったし、怒られることもありましたけど、意志は料理人に向き続けていました。後藤さんから直接教えてもらえる期間は1ヶ月くらいでしたが、レストランでの仕事の丁寧さや所作は、後藤さんがベースとなっていますね。

●料理人とパティシエでの仕事の違いはありましたか?
いかに正確につくるか、ということがパティシエには求められて。もちろん料理人でも正確にやる人はいるけど、自分の感覚でその場で作ることができるから自由度でいうと大きく異なると思います。その経験からやはり自分は料理向きなのかと思いましたね。

●PATHで働かれた後、目黒にある『Kabi』(※8)でも経験を積まれたとお聞きしましたが?
僕自身もともとオーナーの二人の存在は知らなかったのですが、翔平くんと賢太郎くんが海外から帰国したタイミングで『PATH』にも来ていたし、ポップアップイベントも多く開催してて、代沢にある『Salmon & Trout』(※9)というレストランでイベントをしたときに食べた料理が衝撃的で。『NOMA』で食べたときの感覚を思い出したんですが、そこに日本の文化も合わさっていた料理でまた新しい感覚を感じたんです。ぜひ東京に行く際には『Kabi』でご飯を食べてほしいですね。

※8:日本、フランス、デンマークなど多様な文化によって創発された東京・目黒のレストラン。安田 翔平氏がシェフを務め、江本 賢太郎氏がソムリエを務める。
※9:柿崎 至恩氏がオーナーカヴィスト、中村 拓登氏がシェフを務める世田谷代沢のレストラン。



フランス料理とかイタリア料理とかそういうことではなく、翔平くんがつくる料理、みたいな。 言い換えればジャンルが人になるということなのでしょうか。


●KABIではどのような料理を出されていたのでしょうか?
日本食の発酵という要素もありつつ、デンマークの発酵文化をうまく日本料理に落とし込んでいて、一つのジャンルに捉われない料理を提供していました。ペアリングひとつとってもナチュラルワイン、日本酒も出せばカクテルも作る、ワインに固執しないペアリングにも感動しましたね。何よりまず自分達が誰よりも楽しむという事を仕事もプライベートも同様に大切にしていた職場で、かつ常にクリエーティブが求められていたので、僕にとっては一番の刺激をもらったお店です。

●カテゴライズできないものを作る、ということなのでしょうか?
そうですね。フランス料理とかイタリア料理とかそういうことではなく、翔平くんがつくる料理、みたいな。言い換えればジャンルが人になるということなのでしょうか。その世界観というのは僕自身納得というか、一番いいスタイルだなあと思いましたね。

●最後にこれから先やりたいことはありますか?
仙台でやりたいこともあるし、やりたいことというよりかは通年の課題だとは考えていますが、自分がつくりたい料理を作るのではなくて、その時、その場所、その状況、そこにいる人に合わせた料理をつくれる料理人にはなりたいと思います。この場所でこの食材が無いから出来ませんではなくて、求められたことにも答えるし、同時に刺激も与えられる料理人ではありたいかな。


蜂屋 克利 Katsutoshi Hachiya

1993年生まれ、宮城県出身。高校卒業後、仙台のイタリアンやスペインバルにて料理人として経験を積む。東京では富ヶ谷のPATHでコース料理を担当。その後、立ち上げメンバーである目黒のレストランKabiにてスーシェフに。2021年5月より仙台のEchoesにてシェフを務める。

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Text : Gaku Sato
Photo : Gaku Sato
Interview : Gaku Sato

2022.01.29