CHAPTER Vol.10 【MAKE】

加藤 靖崇 (24)

みなと組 共同代表

悶々とした気持ちに対しての答えを探そうとしていると、違う角度から探していたものが降ってくる感覚があって。それが農業だった。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地はどちらですか?
広島県尾道市です。ぼくたちは「本土」という呼び方をしてるのですが、島ではなく本州側の出身です。

●幼少期はどのように過ごされていましたか?
男3人兄弟なのですが、三男ということもあり、自由奔放に過ごしていました。正直言うと、小さい頃の記憶がほとんど無くて一体何してたんだろう、と思います(笑)。

●ご両親はどのようなお仕事をされていたのですか?
尾道らしいんですけど、家業で海運業を営んでいます。父は会社の代表を、母はその会社の経理をやっています。

●ご両親から受けた影響はありますか?
母親から「正義感」と「ギリギリのところで留まる力」みたいなものを学びましたね。よく絵本の読み聞かせをしてくれてたんですよ。正義感とか道徳心って、社会に出る前、例えば幼稚園に入園する前にある程度家庭で学ばなくてはいけないことだと思うんです。でもそれってなかなか親と子供の関係だけで築くのは難しくて。絵本という第三者のコミュニティが描かれているものを読み聞かせることによって、はじめて学べることなんじゃないかと思います。なので母親はぼくの正義感の土台ですね。

●中学高校での生活はどうでしたか?
中学高校時代は鬱っぽかったですね。中学ではそれをなんとか克服し、兄の影響から高校は軽音楽部に所属していました。当時はなぜか邪険に扱われていた印象を持っていましたね。「自分の所属している部活動をもっと大っぴらに認めさせたい」という不安定さから生まれる情熱に心を燃やした高校時代でした。当時は頑張っていたつもりでしたが、自分と向き合って何かを克服するような頑張り方はできていなかったんじゃないかと、今振り返ると思います。今さら宿題が自分を追いかけてくる感じがしますね。


悶々とした気持ちに対しての答えを探そうとしていると、違う角度から探していたものが降ってくる感覚があって。それが農業だった。


●高校卒業後の進路はどのように決めたのですか?
高校卒業後の進路を決める際、実はは無茶苦茶斜に構えていたんですよ。常に人と違う道を歩みたいと思ってました。もともと父が台湾好きということもあり、台湾の大学に進学する話がふと家族の中で出てきたんです。他の人とは違う道を進むという一点だけを求めて、悩むことなく台湾の大学へ進学する選択肢に飛びつきました。でも特にやりたいことがあるわけではなく、当時は目標を持って進学をしたわけではなかったです。

●自分が目指した道の先になにか得たものはありましたか?
他の人とは違う道を進んだのはいいんですが、そこに目標がなかったことにすごくフラストレーションを感じていました。不思議なもので、悶々とした気持ちに対しての答えを探そうとしていると、違う角度から探していたものが降ってくる感覚があって。それが農業だったんです。
ある日、サラダを食べていたときに、すごく綺麗な野菜だったんですけど、ふと、この野菜たちに虫を殺す薬がかかっているのに自分が死なないわけがない、と思ったんです。これはマズいものを食べているなぁと直感的に感じました。同時に小さいころからよく手伝っていた、親戚が営んでいるみかん農園での体験のことを思い出したんです。見栄えをよくしないと農協へ販売できない、と親戚が嘆きながらみかんの皮にワックスを塗る作業をしていたんです。見た目を気にして、食べもしない部分に薬剤を塗るような慣行農法が、目の前にあるサラダにどれだけこわいものを使っているか計り知れないなと思いました。それが恐怖体験として自分の中に残っていて。この経験が農業に興味を持ち始めたきっかけでした。


なにより自分の好きなことを突き詰めている姿がかっこよく見えて。大人ってこんな楽しそうに生きていけるんだと衝撃を受けました。


●学生時代は何を目指していましたか?
サラダの恐怖体験をした頃から、農業の実情を調べ始めました。当時は自然農法を積極的に取り入れている農家さんなど、自分と同じ危機感を持った人々がすでに行動していました。ただそれを販売するシステムが整っていないことに気付いたんです。最初はJAか農水省に入って、このシステムを変えたいと本気で考えてました。大学で農業経済学を専攻したのはこれが理由です。

●学生時代はどのようなことを学びましたか?
大学で得たものは学問というよりも、人との出会いでしたね。いろいろな大人たちと話す機会をつくっていたのですが、大学の休暇中に一時帰国をした際に、ひょんなことからウシオチョコラトル(※1)の代表のシンヤさんと出会ったんです。台湾にいて農業経済学を学んでいることを伝えると、「台湾のカカオ豆を見に行きたいから近々農園のアテンドをお願いできないか」と相談されました。半分冗談やろと思っていたのですが、後日、本当に連絡がきたんです。農園へのアポイントメント、車の手配から運転まで、現地で出来ることは全てしました。親以外の自営業者と話したこともすごく新鮮でしたし、なにより自分の好きなことを突き詰めている姿がかっこよく見えて。大人ってこんな楽しそうに生きていけるんだと衝撃を受けました。農家さんたちが一生懸命想いを込めてつくる農作物を目の当たりにしたのも、現場の空気感を肌で感じたのもこの時が初めてでした。当時はトンカチで頭を殴られたくらいの衝撃でしたね。JAや農水省に入って農業のシステムを変えたいと思っていたのは、ある種の選民思想で、おれは賢いとか、おれは人の上に立ちたいとか、そういう驕り高ぶりだとこの時に初めて気付かされました。自分が背伸びをして認識していたところ、急に土台を外された感じ。畑で土を触ってドロドロになろう。そこからまた始めてみようと思い、大学卒業まで2年を残し帰国しました。

※1:2014年11月1日にオープンした広島県尾道市向島の立花海岸を望む山中にあるチョコレート工場。「食べるチョコレートから感じるチョコレートへ」を合言葉に新しいチョコレートの可能性を探求し続けている。


これまでの活動の中で得た小さな成功体験から自信と謙虚さが生まれてきたような気がする。


●大学を中退してからいまのみなと組の活動にいたるまでどのくらいの期間だったのでしょうか?
2018年に日本に帰ってきて、まずしたことは土地探しでした。ただ地元だったので周囲の紹介や繋がりもあり、土地探しは割と順調に進みました。満足がいく広さになったのは2021年の11月。最初の土地から何度も何度も拡大を続け、ようやく今は1,500坪まで大きくなりました。まだ拡大は続けたいと思いますが、最初は猫の額くらいの土地でもすごくはしゃいでましたね。農業を始めた当初の写真を見ると、興奮していた自分が恥ずかしくなります(笑)。

●農業のノウハウ、ナレッジはどのようにして得ていきましたか?
とにかく自分でやるしかなかったですね。農業に関してお世話になった方々はたくさんいますが、師匠への弟子入りはしていなくて。師匠のような方を頭に置いてしまうと、良い意味でも悪い意味でもその人の世界観に依存してしまう。苦しい道だと分かりつつも、みんなの良いところを見ていくスタイルにした方が自分なりの農法を突き詰められるのではないかと思っています。でも最初はいつ種を植えて、いつ収穫するかも分かっていませんでしたね。今でもすごく苦労しています(笑)。

●具体的にどんなことに難しさを感じましたか?
細かく言うときりがないのですが、最も苦戦したのはグラウンドデザインですね。特定の時期にする畑作業や、埋める種の種類、収穫する作物等、本当に何も分からなかったです。肥料なんて使いたくないと思っていたし、今思うと無茶苦茶ですよね(笑)。

●みなと組の活動を始めて4年目に入りますが、実際に加藤さんの中でどのような変化がありましたか?
明確に変わったことが2つあります。まず1つ目は”選民思想を辞める”ということ。2つ目は”一度やると言ったことを意識的にやり切ることができるようになった”こと。これまでの活動の中で得た小さな成功体験から自信と謙虚さが生まれてきたような気がしています。農業を始めた当初は十分に周りの意見に耳を傾けることができなかったのですが、今では柔軟に他の意見を自分の農法へ取り入れていけるようになりました。


自然農法と慣行農法の交わる点を探り続けていくことがぼくらの使命だと思う。


●そう思えるようになったきっかけはありますか?
やっぱり自信がついたのが一番大きいです。3年間積み重ねてきた小さな実績からなのか、ある日自分の畑に美しさを感じたんです。波を掴んだ感覚を覚えたときがあって。去年の夏野菜から少しずつそれを感じて、今年の夏野菜を見てそれが確信に変わったんですよ。やればできる。タイミングとポイントを抑えればできるぞということが明確になった。3年間ずっと追い求めてたものが、形として目の前に現れたことが大きな自信になりました。

●その自信が芽生え始めてきた中で、次なる目標として捉えてるものはありますか?
繰り返しになりますが、最初は食の安全から農業への興味関心が生まれました。そして大学では農業全体のシステムを改善できないかと考えていましたが、台湾の農園での体験から農園単体の改善へと意識が移りました。農園を3年ほど営んできて実際に思うことは、今までの慣行農業の歴史の流れの中で、有機農業は進化し続けているということ。ぼくたちの目標は持続可能性があり、化学肥料や農薬を使わなくても収量が上がって国民の胃袋を支える農業を創り上げることです。そのためには自然農法と慣行農法の交わる点を探り続けていくことがぼくらの使命だと思っています。

●最後に、将来の夢を教えてください。
新農法を確立した上で、JA尾道市の理事長になります。そして最終的には農林大臣です。最終的になりたいものは変わらないというオチにしておいてください(笑)。


Profile:加藤 靖崇 Yasutaka Kato

みなと組 共同代表

1997年、広島県出身。高校生まで地元・尾道市で生活を送り、台湾にある國立嘉義大學へ進学。2018年に同大学を中退したのち独学で農業を勉強を始める。2019年に地元尾道にてアイドル農家「みなと組」を結成。

Instagram


Text : Hirotoshi Yamamoto
Interview : Gaku Sato

2022.08.05