CHAPTER vol.16 【MAKE】

川島 航平 (27)

NEW DOMAIN

メンバー同士のスキルを組み合わせることで、新しい価値や領域(≒DOMAIN)を生み出せるんじゃないかと。領域を横断することでヒエラルキーや僕らにない経験を飛び越えていけるんじゃないかと信じてる。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地はどちらですか?
生まれも育ちも兵庫県神戸市の東灘区というところで、大学から京都で生活しています。

●幼少期はどのように過ごされていましたか?
2個下の弟がいるんですけど、僕も弟もサッカー部だったので、2人でよくサッカーをして遊んでいました。サッカー自体は小学生から習い始め、中高もサッカー部に所属してました。

●ご両親はどのようなお仕事をされていたのですか?
母親が大学の先生をしていて、父親は何をしているか、といわれると一言で言い表せないんですけど、父は先生ではないけど環境学習系の講座を開いていたり、企業向けのファシリテーターをしてたり、フリーランスで働いていて、何をしてるのかは僕もずっとよう分からん(笑)。

●ご両親から受けた影響はありますか?
これっていうエピソードはないんですけど、トータルして自由に好きなように、縛られず育てられました。父がフリーランスということもあったので、父が家事をして母が仕事に出かけるみたいな。生活の雰囲気も自由な感じでしたね。

ロープと廃材を組み合わせた家具「WRAP」

限られたもののなかでいかにモノをつくるか、という技法を見つけるべく思考を巡らせた。デザインやモノづくりを考えたときに自分の中にあるものはなんなのか、を。


●そうしたご両親の考えのもと、実際にやり始めたことはありますか?
自分から自発的にこれをしたいとかなりたい、と考えたことはそんなに無くて。ただ、毎年夏休みに知り合いの家族と一緒にみんなで海に行って、マリンスポーツやキャンプをしてたんです。当時はそれが普通のことだと思っていたけど、今振り返るとそうした普通でない貴重な経験をさせてくれたことにとても感謝しています。

●その経験はいまにも活きていると思いますか?
思いますね。例えば六本木の『Common』(※1)に展示した作品も、幼いころに親に乗せてもらったヨットやボートの経験から着想を得ていたり。限られたもののなかでいかにモノをつくるか、という技法を見つけるべく思考を巡らせました。デザインやモノづくりを考えたときに自分の中にあるものはなんなのか、という話はチームのみんなとも良く話しますね。所謂”ルーツ”みたいな、原体験がデザインに通じているなと思います。

※1:食・音楽・アートなど、さまざまな文化が交差する六本木の街に開かれたカフェレストラン&ミュージックバーラウンジ。

●制作の話にも繋がりましたが、そもそもどうして芸大に入学されたんですか?
小さい時から漠然と人と違うことがしたいなと考えてて。それはまさに両親の影響も大きくて、話が遡るんですけど実は僕、両親のことを名前で読んでいて。中学生のころに父に「お父さんと呼ばれるとお父さんをしないといけないからやめて」と言われて、そのころからケンシさんと呼んでいるんです(笑)。その後お母さんのことも名前でエミさんと呼ぶようになり、そういうのも含めて普通じゃないことが経験的に多くあったからなのかなと思っています。

建築展「實構築」での空間構成

勉強ができたからそこに入れる、ということも重要なことだと思うけど、実際に入学後に関わる先生とちゃんと目を見て話してやり取りして、判断をしてもらえるという受験の方法に惹かれた。


●おもしろい話ですね(笑)。
あとはそもそも勉強がそんなに好きじゃなくて、昔はよく何のためにやっていてこの先に一体何があるんだろう、とか考えてました。まわりのみんなはこのくらいの勉強が出来たらこの大学に行けて、この大学に入れたらこのくらいの企業に入れる、みたいなことを話してるんだけど、自分にはそれが全然良く分からなくて。それならわりと好きだった図工とかモノをつくることがしたいと考えたときに思い浮かんだのが芸大だったんですよね。

●そういう経緯だったんですね。
芸大には「コミュニケーション入学」という制度があるんですけど、模擬授業のようなものを受けてそこで出される課題を先生と実際にやり取りして合否が出されるという仕組みなんですよね。勉強ができたからそこに入れる、ということも重要なことだと思うけど、実際に入学後に関わる先生とちゃんと目を見て話してやり取りして、判断をしてもらえるという受験の方法に惹かれました。

●学生時代はどのようなことを学びましたか?
芸術大学なので油画や彫刻など所謂アート系の学科もあれば、プロダクトや建築、空間演出などといったデザイン系の学科もあるんですが、僕自身は建築系の学科に入りました。この建築家が好きとか、この空間体験が自分を変えた、みたいな経験があるわけではないんですけど、自分の中ではやはり実物をつくるのが良いな、という想いがあって。

京都の蕎麦店「suba」のポップアップ用什器

自分は人と違うことをするという目的で入学しているのも大きかったからこそ、何かを選ぶとはこういうことなのか、と考えた気がする。


●実際に入ってみてどうでしたか?
それがいざ入ってみたらみんな「どの建築家が好きなの?」みたいな会話してて、いやいや知らん知らん、みたいな(笑)。入学後に芸大なめてたかもしれん、とか思ってましたね(笑)。

●イメージとのギャップはありましたか?
ギャップというよりかは、おれそんなに興味ないんやな、っていう気持ちにはなりましたかね。さきほどのルーツの話じゃないですけど、原体験からその分野を理解したメンバーが周りにはいて、そういう意味では自分はただ人と違うことをするという目的で入学しているのも大きかったので、何かを選ぶってこういうことなのか、ということを考えた気がします。

●学生時代は何を目指していましたか?
正直当時はイメージを掴めていなくて、ただなんとなく建築家になるコースみたいなのは情報として把握はしてました。課題をきちんとやって、インターンに行き、アピールしてタイミングが合えばその事務所に入る、みたいな。ただ自分はそうしたいかというとそうではなくて、なんとなく見えている順当なルートに進むのが嫌でしたね。

●幼いころから自分の意志に正直に、行動し続けているように感じます。
ただただ周りと違うことをしていたいという気持ちでしかないんですよね。正直大学の授業も1-2回生の時は全然出ていなくて、課題もろくに出さないのに学科長に「この学科おもんないんですけど、どうしたらいいですか」とか生意気言って、あの頃は調子に乗ってました(笑)。今思えば自分ほんまありえへんなって、思います(笑)。

アーティスト「湯浅敬介」とのアトリエ共同改修プロジェクト

年が近いということももちろんあるけど、知識量もすごいうえに色んな角度からデザインやモノづくりの話を分かりやすくしてくれて。この人と一緒に働きたい、と強く思った。


●学生生活のなかで転機のようなものはありましたか?
1-2回生の頃から外に出たり違うことをしている人に会いにいったりはしていたんですけど、一番大きかったのは1回生のときにやるねぶたの授業です。学科内をまぜこぜにして一クラス60人くらいでねぶたをつくるんですけど、そのときの先生がいま一緒に働いている長尾崇弘さんなんですね。生意気ですけど、「おもろいやついるやん」と痺れた感覚がしたんです。

●というと?
当たり前だけど普通の先生は建築のことを教えてくれるんだけど、僕はぜんぜん分からへんから対話が出来ないし、別に学生にレベルを合わせて歩み寄るみたいなこともなくて。ただ長尾さんは年が近いということももちろんあるけど、知識量もすごいうえに色んな角度からデザインやモノづくりの話を分かりやすくしてくれて。この人と一緒に働きたい、と強く思ったんですよね。

●それがいま実現しているかと思うのですが、どういう経緯で働くようになったんですか?
実はその授業が終わってからは年に一度、飲み会とかで会うくらいしか無かったんです。ただ2回生のときに大学の『ULTRA FACTORY』(※2)という工房の拡張計画が進み始めて、いま一緒に働いている同級生の友人はそのプロジェクトチームに加わっているのに、自分は参加してなくて。どうしておれに声かけへんねんやろとか思ってました(笑)。だからって自分から連絡することもなく、参加したいという想いだけを抱き続けていました。

※2:在学中のすべての学生が利用できる造形技術支援工房。デジタルとアナログ、それぞれのツールを自在に行き来しながら、領域を横断して多彩な表現に取り組める。

工房拡張計画にて制作した家具シリーズEXPANSIONのテーブル「Mk.3」

●そうだったんですね。
その後3回生になるときに『ULTRA FACTORY』が主催するプロジェクトに参加して、それが『*design』という名前だったんですけど、『graf』の代表の服部滋樹さん(※3)と『UMA』の代表の原田祐馬さん(※4)と『dot architects』の家成さん(※5)が先生で、そこにチューターという形で長尾さんと、京都で活動されているグラフィックデザイナーの仲村健太郎さん(※6)がいて、リサーチベースのデザインやものづくりを学びました。たまたまそのプロジェクトをしていた教室が長尾さんたちが工房の拡張のために借りていた教室だったんです。

※3:graf代表。クリエイティブディレクター、デザイナー。建築、インテリアなどに関わるデザインや、ブランディングディレクションなどを手掛け、地域再生などの社会活動にも取り組む。
※4:UMA代表。文化や福祉や地域に関わるグラフィックデザイン、ブックデザイン、エキシビジョンデザインなど、多岐に渡り活動する大阪のデザインスタジオ。
※5:家成俊勝、赤代武志により2004年共同設立。大阪・北加賀屋を拠点に活動。建築設計だけに留まらず、現場施工、アートプロジェクト、さまざまな企画にもかかわる。
※6:1990年福井県生まれ。京都造形芸術大学情報デザイン学科にてタイポグラフィを専攻し、2013年に卒業。京都にてフリーランス。京阪神の美術施設や文化施設の広報物や、出版社の書籍からオルタナティブな出版活動まで幅広い射程のブックデザインに取り組む。

●そこで繋がるんですね。
勝手に廃材置き場からゴミを拾ってきて椅子とか棚とかつくってプロジェクトがなくても誰かいるみたいな半分不法占拠みたいな状態でした(笑)。そこからじわじわ「こうへいもやる?」みたいな感じで工房拡張のプロジェクトにも声をかけてもらえるようになりました。

●ついにですね。話をいただけて嬉しかったですか?
別にいいですけど、みたいな(笑)。でも内心はすごく嬉しかったです。

●その後は時間の使い方も大きく変わったのでは?
そうですね。工房をつくるということなので、機材の選定から家具の配置まで、かなりの時間をかけて取り組みました。僕自身は家具をつくる役回りで実際に手を動かしてました。最初は4人くらいだったんですけど、自分みたいな感じで徐々に学校に対して不満をもっているような学生が集まってきて、スラム的に集団が大きくなり最終的には60人くらいまで(笑)。4回生のときに工房は完成しました。

EXPANSIONシリーズの棚「John doe」

メンバー同士のスキルを組み合わせることで、新しい価値や領域(≒DOMAIN)を生み出せるんじゃないかと。領域を横断することでヒエラルキーや僕らにない経験を飛び越えていけるんじゃないかと信じてる。


●すごいですね(笑)。その後はどういう経緯でいまに至るのでしょうか。
そのまま僕と友人は『ULTRA FACTORY』に就職したんです。そこで一年間学生に機材の使い方を教えたり、プロジェクトのサポートをしてたんですけど、同時期くらいに集まっているメンバーやアーティストの方からモノづくりの仕事を頼まれるようになり、こういう依頼がくるんだったら仕事として出来るんじゃないかって、思いはじめて。どちらかというと、これをつくりたいというより、このメンバーで一緒に仕事を楽しみたい、という想いで設立したのが『NEW DOMAIN』(※7)なんです。

※7:2019年に設立され、8名からなるデザインファーム。メンバーのほとんどが20代前半という新世代のクリエーター集団。研究、試作、制作をすべて自ら行い、ジャンルを問わず、さまざまなアウトプットを行なう。

●まるで「好き」なことの延長線が仕事になっているようです。
学内の尖ってた人たちが集まり、チームになっているのはすごい面白いなと思いつつ、最近になって明確な目標なくスタートした難しさも感じ始めています(笑)。

●なるほど。ちなみに『NEW DOMAIN』という名前の由来は?
もともと、メンバーの卒業制作のタイトルが『NEW DOMAIN』で、その制作内容がマッピングで空いている土地に新しい宣伝を打つというおもしろい内容だったんです。僕らの生きている社会はある程度完成されたシステムが循環していて、そのサイクルの中にスキルも経験もない若い自分たちが入るのは不利なんじゃないかと考えて。
だからこそ、メンバー同士のスキルを組み合わせることで、新しい価値や領域(≒DOMAIN)を生み出せるんじゃないかという想いで名づけました。領域を横断することでヒエラルキーや僕らにない経験を飛び越えていけるんじゃないか、と信じています。

●『NEW DOMAIN』のなかでの役割は?
空間や家具の設計から実際の制作まで、技術的な部分は概ね僕が担当しています。

EXPANSIONシリーズの移動式収納「LINA」

モノづくりの領域を拡張し続けて、社会に対してより良い価値を届けていきたい。なんでもかんでもやりますは絶対にダメだから、自分たちはこれだって言えるものをちゃんと伝えられる状況をつくっていきたい。


●よく聞かれる質問かもしれませんが、モノづくりにおいて大切にしていることはありますか?
正直いまは無くて、まさにそういう明確な「何か」をちゃんと持たないといけない、と最近強く感じ始めています。もともとは仲良いメンバーで一緒に集まって何かをする、ということが目的だったから、本当に価値あるものをつくり、誰かに喜んでもらうということをするには、自分がしたいことや自分が持っている武器が何なのか、を明確にしないといけないと考えています。

●これから実現したいことはありますか?
明確にこれというものは今はまだないんですけど、単純に自分がつくったもので人が喜んでくれることは嬉しいし、その小さな喜びが結果として社会に良い影響を与えることができたら素直に嬉しいです。チームの目標としては、モノづくりの領域を拡張し続けて、社会に対してより良い価値を届けていきたい。なんでもかんでもやりますは絶対にダメだから、自分たちはこれだって言えるものをちゃんと伝えられる状況をつくっていきたいと思っています。

●仲間たちとスタートしたチームだからこそ、明確にしていくフェーズを迎えたということなんですね。
ぼくらのベースに、きちんとリサーチをしてスタディするというやり方があり、いきなり100%のものはできない。だからこそ、たくさん失敗を重ねた先の100%を見つける、その姿勢をいつまでも大切にし続けていきたいです。

●最後に、これまで生きてきた人生の学びは何でしょうか?
隣にいる人や目に見えるモノを大切にする、ということです。いまも周りにメンバーがいるからこそ自分も色んなことができている。あとは、その地その場所その空気を肌で感じて、本当の意味で誰のための何なのか、を感じ取れる人であり続けたいなと想います。


Profile:川島 航平  Kohei Kawashima

1995年兵庫県生まれ。2018年に京都造形術大学環境デザイン学科卒。在学中に同大学内にある共通工房ULTRA FACTORYの拡張プロジェクト、「ULTRA EXPANSION」に参加。2019年より同プロジェクト内で活動していたメンバーと「NEW DOMAIN」を起業。デザイン・アートを中心に多領域で活動。現在は7名が在籍し、メンバー間の相互レビューを用いた領域の横断と実装に取り組んでいる。

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Text : Gaku Sato
Interview : Gaku Sato

2022.12.26