CHAPTER vol.17【EAT】

須貝 青葉 (28)

PATH パティシエ

インスタで偶然見つけたプリンで、PATHを知った。飲食業界の常識にとらわれない店づくりや、お客と同じくらい自分たちのことも大切にしたいという意志に、目から鱗がおちた。それでいて、きちんとおいしいものを出しているということにも。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地はどちらですか?
新潟県の新発田市です。

●幼少期に一緒に暮らしていた家族構成は?
おじいちゃん、おばあちゃん、両親、そして4つずつはなれた姉と弟です。

●どんな幼少時代を過ごしましたか?
田舎だったので、近所の友達と小さな川でザリガニを釣ったり、虫取りをしたり、雪遊びをしたり。外でアクティブに過ごすことが多かったです。家族とも、みんなでいろんなところへ出かけていましたね。栗拾いやぶどう狩りをしていたのを、よく覚えています。

●その頃から食への興味がありましたか?
その頃はまだ、特別興味があったわけではありません。でも、お母さんは家でよくお菓子作りをしてくれていましたね。クッキーやクレープ、スイートポテトといった簡単な“家庭のお菓子”でした。

●ご両親はどんな仕事をしていましたか?
母は専業主婦でした。父は、おじいちゃんの代から続く屋根瓦の会社で働いていました。

●ご両親からかけられた言葉や示された姿勢で、いまでも自分の指針になっていたり、心に残っていたりするものはありますか?
忍耐と継続の大切さをまなびました。たとえば父は、やりたくない家業でも家族のために一生懸命続けていて、そうした姿をそばでずっと見ていました。また、わたしは中学時代にバスケ部に入っていたのですが、顧問の先生がほとんど体罰にあたるくらいのかなり厳しい指導をおこなうひとだったんです。「もう辞めてしまいたい」と思っていたときも、両親がそばで支えてくれました。


高校時代の調理実習では、お菓子作りが一番たのしかった。設計図どおりにつくらないと、おいしくならない。そうしたところが好きだった。普段は雑な性格でも、料理をするときはピシッと背筋を伸ばす。そういうのが、格好いいなと思って。


●バスケットボールをはじめたのはいつですか?
小学校3年生のときです。お姉ちゃんがやっているのが格好よく見えて、同じクラブに入りました。走るのがすごく好きだったので、そのスピード感にのめり込みました。中学時代は朝から晩まで部活漬けで、顧問もとても厳しかったので、どちらかというと苦しい3年間でしたね。でもその頃培った忍耐強さのおかげで、その後さまざまなことに耐えられるようになった気がします。

●中学卒業後の進路は?
母から勧められて、調理師免許を取れる高校へ進みました。どうしてかわかりませんが、姉弟のなかでもわたしだけ、ふと勧められて。毎週2回調理実習があって、和・洋・中を期末ごとにまわしていくんです。3年かけて食にまつわる勉強をして調理師免許を取得するのですが、料理には、高校に入った瞬間からのめり込みました。

●とくにどんなところに面白さを見出していましたか?
実習がたのしかったです。材料があって、そこからおいしい料理ができあがる。その過程に自分がたずさわっている感覚がたのしくて。かといって得意だったわけではありません。けっこう不器用な方なので、桂剥きなんかぜんぜんできなくて、よく補修を受けていました。

●和・洋・中をまんべんなくまなぶなかで、自分が好きな分野もはっきりとしてきましたか?
やっぱり洋食が好きで、なかでもお菓子作りが一番たのしかったです。設計図どおりにつくらないとおいしくならない。そういうところが好きでした。普段の性格は雑でも、料理のときはピシッとする。そういうのが格好いいなと思って。その感覚は、いま一緒に働いているシェフの後藤さんへ対する憧れにもつながっています。


このままパティシエの道を進んでいくことは決めていたが、正直、向いているとはいまでも思っていない。不器用でどんくさい、自分に自信のないタイプ。


●高校時代を卒業してからは?
専門学校へ進みました。とりあえず新潟で一番有名そうなところを探したのですが、入ってみてわかったのは、細工系のコンテストで有名だったこと。だから、夏休みでも学校へ行って、ひたすらマジパン細工の練習なんかをしていました。わたしが進みたかった業界では、細工ってぜんぜん使わないので、もうちょっと違う勉強をしたかったですが、それでも後々活かせる場があるだろうと、後悔はしていません。

●ほかに印象に残っていることや、力を入れたことはありますか?
冬休みに2週間、大阪のシェ・アオタニ(※1)というお菓子屋さんでインターンをしました。そのとき、「うちにきなよ」と言ってもらえたんです。シェフはひとをすごく大切にするひとでしたし、人情味があって格好いいなと思って、卒業してから働くことに。ショートケーキやロールケーキなどがよく売れる、地域に根ざしたお店でした。初めての現場は、本当にキツかったですね。想像以上に力仕事は多いし、地域柄ひとあたりがキツいひとも多くて。でも、辞めたらなにも残らないと思って、2年間は働きました。

※1:近畿日本鉄道・新石切駅近くの人気の洋菓子店。厳選された素材を使ったケーキをはじめ、餅と餡を使用した「石切もちどら」など和菓子も豊富。季節ごとに新商品を開発し、“ときめき”を感じさせるスイーツ作りを目指す。

●専門学校時代に続き、その頃も「忍耐と継続」だったわけですね。実際に現場を経験したことで、この世界でやっていくんだと覚悟を決めたのでしょうか? 向いていると思いましたか?
このままパティシエの道を進んでいくことは決めていましたが、正直、向いているとはいまでも思っていません(笑)。不器用で、どんくさいんです。自分に自信のないタイプ。

●シェ・アオタニを辞めてからは?
京都の堀川五条にある六堀(※2)というレストランで働くことに。そのときはお金を貯めたかったのと、土地や仕事内容などで総合的に選びました。

※2:元フレンチシェフが腕を振るう洋食メニューが味わえる。名物の半熟卵のオムライスをはじめ、ランチやディナー、カフェ利用に宴会など幅広く利用できるお店。

●仕事内容というと?
レストランでデセールをやってみたかったんです。その店はショーケースもあったので、これまでやってきたことを活かしながら新しいことにもチャレンジできると思って。でも、パティシエがわたしひとりしかいないことは、入社するまで知らされていませんでした……(笑)。


「あのときこうしたから、今回もこうしてみよう」と、過去の経験をもとに、いまの仕事に活かしてきた。積み重ねてきたことの成果を、あとになって気づく機会が多くあった。


●お店の生菓子部門を、ひとりで任されることに?
そうなんです。入社してすぐ「須貝さんの好きなようにやってね」と言われて。そんなつもりで入ったわけではなかったので、そこからはもう必死でした。新作のお菓子を急にお願いされることも多かったですし、「来週までにこんなお菓子を〇種類〇個ずつ用意して」とか、けっこう無茶振りも多くて……(笑)。なにからなにまで任されていたので、たとえばパッケージも、メーカーに行ってサイズもデザインも自分で発注して。もともとあるものをつくっていたそれまでの仕事とは、すべてが違っていました。自分ですべての段取りを組んでお菓子作りをするのは意外と性に合っていましたが、結果は自分にぜんぶ返ってくるので、かなりプレッシャーでしたね。

●その分、身に付くことも多そうですね。
そうですね。そもそも3年目からひとりで任されるチャンスなんてそうそう巡ってきませんし。その頃は、本を読んで生地のつくりかたから勉強したり、気になった店にお菓子を食べに行って、「こういう組み合わせもあるんだ」と発見したり、その後の糧になることをたくさん経験しました。その後PATH(※3)で働くことになって、あるとき、新作のお菓子をパッケージから自分達でつくる機会があったんです。そのときも、「あのときこうしたから、今回もこうしてみよう」と、過去の経験を活かすことができた。過去にいかにいい経験をしてきたかは、あとになって気づくことがとにかく多いですね。

※3:ミシュラン二つ星レストラン出身シェフとパティシエによるレストラン。自家製酵母のパンや創作料理を味わえる。

●パティシエとしてひとりで店をまわせるようになったことで、引き続き、ひとりでなにもかもをやれる場に身を置きたくなりましたか?
いえ、逆でした。「お客さんからおいしいと喜ばれても、お菓子業界ではどうなんだろう?」と、だれかの下に就いて、たしかめたくなりました。自分がやってきたことが正解か、わからなかったんです。


インスタで偶然見つけたプリンで、PATHを知った。飲食業界の常識にとらわれない店づくりや、お客と同じくらい自分たちのことも大切にしたいという意志に、目から鱗がおちた。それでいて、きちんとおいしいものを出しているということにも。


●PATHとの出合いについて聞かせてください。
インスタで偶然見つけたプリンでした。「すごく格好いいプリンだな」と思って、すぐにPATHや後藤シェフについて調べました。インタビュー記事などを読み尽くして、「なんだかものすごく格好いいことをやっているひとたちがいる!」と、いても立ってもいられなくなって。PATHの料理やお菓子を食べに東京へ行ったりもしました。

●そのとき感じた「格好よさ」を具体的に教えてください。
飲食業界の常識にとらわれない店づくりに感銘を受けました。海外のようなラフな接客はもちろん、“長時間労働”、“体力勝負”があたりまえと言われる世界で、でも自分たちはそうは思わないと2部制を導入していたり、お客さんがいるカウンターでも、だれも座っていないスペースには仕込みを置いていたり。“お客様は神様”ではなく、自分たちのことも同じように大切にしたいという意志に、目から鱗が落ちました。それでいて、きちんとおいしいものを出しているということにも。

●それで、PATHで働きたいと思うようになったと。
まだ受かってもないのに、京都の店を辞めて、面接の日にはPATHの近所に部屋を借りていました。「いつでも通えます! 仕事も辞めてきました!」って(笑)。もはや信者くらいに憧れていた後藤シェフとはそのとき初めて話しましたが、緊張のあまりなにを話したかぜんぜん覚えていません。

●シェフのどんなところを尊敬していますか?
わたしが言うのはおこがましいですが、すごく人間らしいピュアなひとです。感情表現がはっきりしていて、言いたいことは言うし、褒めるべきところはちゃんと褒めてくれる。叱るときは頭ごなしにならず、きちんと理路整然と叱ってくれる。ひととして、ものすごく尊敬しています。

●パティシエとしての部分は?
仕事がとにかく綺麗なんです。仕事のときはかならず真っ白なエプロンをつけてきて、どんなに忙しい日の営業後でも、そこにシミひとつできてない。その姿が本当に格好よくて……! 「後藤さんだから、こういうお菓子をつくれるんだな」って、つくるお菓子にもそのていねいな仕事が表れています。PATHで働きはじめてから、お菓子屋さん巡りもしなくなりました。どんなお菓子でも、後藤さんのつくるものが一番おいしいと感じます。


いまはパンづくりに夢中。粉と塩と水のシンプルな組み合わせに、無限の可能性を感じる。酵母は、つくるひとによって匂いも味も違う、まさに生き物。継続することの大切さも、そのおいしさに秘められている。


●敬愛するシェフとともに仕事をすることで、須貝さん自身はどんな風に変わることができた実感がありますか?
入社してすぐは、洗い物の仕方、場所のつくりかた、スプーン一本の使い方など、一から十までぜんぶ怒られっぱなしでした。一挙手一投足を叱られて、でも、わたしにとってはそれがすごく勉強になった。叱っていただくことが、本当にありがたくて。いまは、少しはていねいな仕事ができるようになったと思います。

●最近は、パンづくりにもハマっているとか?
PATHで働きはじめて、パンを焼くようになりました。1年目は栃木県のパン屋さんで研修してまなんだのですが、その後サワードウに出合って、その魅力に目覚めました。すぐに自分で酵母を起こしてみましたが、ぜんぜんおいしくなくて……。それでVANER(※4)で研修させてもらうことに。2020年の春からまた自分で酵母を起こして、いまはPATHのまかないとして出したりしています。

※4:かつて東京・谷中に存在した発酵種のサワードウを使って焼き上げるサワードウブレッドが人気のベーカリー。

●お菓子作りとはまた違った面白さがありますか?
「粉と塩と水だけで、こんなにおいしいものができるんだ」と、無限の可能性を感じています。酵母は、つくるひとによって匂いも味も違う、まさに生き物みたいで。

●これまでの人生での“まなび”は?
やはり、両親から教わってきた忍耐と継続の大切さですね。パンの酵母もそうで、継続するほど、おいしいパンを焼けます。

●最後に、将来の夢を教えてください。
自分の店を出して、お母さんに最初のケーキを出してあげること。じつはパティシエになろうと決心したきっかけは、母なんです。母は嫁いで父方の家に入ったのですが、おじいちゃんおばあちゃんに自分の誕生日を祝われたことがないらしく、いつか涙を流していました。それを見て、いつか自分が一人前のパティシエになって、自分のつくったケーキで誕生日を祝ってあげたいと、そう思うようになったんです。いまはまだまだ下積み中なので、30代後半くらいを目指しています。


Profile:須貝 青葉 Aoba Sugai

新潟県出身。1994年生まれ、28歳。
20歳からパティシエの仕事に就き、大阪、京都の洋菓子店とレストランで働き、現在は東京都のビストロレストラン『PATH』にてパティシエを務める。

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Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Photo : Gaku Sato

2023.1.5