CHAPTER vol.18【EXPRESS】

成田 峻平 (25)

ライスプレス 編集者

食事やドリンクを起点に「人」が引き寄せられる。そこに集まる人は年代や職能を問わない。だからこそ「食」というテーマは、いろいろなクリエイティビティやアイデア、時に社会的な課題までを分け隔てなく絡ませることができる。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地はどちらですか?
生まれも育ちも仙台市の郊外です。

●兄弟はいますか?
双子の姉がいます。小学校低学年くらいまではよく一緒に遊んでいたのですが、思春期に近づくにつれて遊ばなくなり、現在は仲のいい女友達みたいな感じです。好きな音楽や映画など、趣味や嗜好は近い気がします。

●幼少期はどのように過ごされていましたか?
家でテレビを見たり、友達と外で遊んだりゲームをしたり、一般的な地方の郊外の子どもという感じだと思います。

●ご両親はどのようなお仕事をされていたのですか?
母は専業主婦で、父は営業職のサラリーマン。母はどちらかというと厳格な方で、自立した大人に育てたいという想いが強かったと思います。逆に父はそこまで介入してこなくて。自由放任ともまた違うんですけど、強く何かを言われたという記憶はあまり無いですね。

●ご両親から受けた影響はありますか?
両親とは休みの日によく一緒に映画を観たりしていて、そういう意味ではカルチャーを教わった部分はあるかもしれないです。


何かと自分一人で選択し続けてきた。小学生だから明確な意志があるというわけではないけれど、なんとなく“これがいい”というこだわりは強かった。


●小中学校はどうでしたか?
小学校低学年は割とうまくやっていたんですが、5〜6年生くらいから周りと馴染めなくなってしまい、学校に行けない時期がありました。友達との遊び方とか、どうやってコミュニケーションを取ればいいか突如分からなくなり。純粋だったのかなと思うんですけど、冬の寒い日に外でドッチボールをしたり、体育の授業で前倣えをさせられたりするのがよく分からなかったんです。外で遊ぶよりも、暖房がきいた図書室で本を読んでいたいし、前倣えなんて戦時中の命令みたいできもち悪い、みたいな。

●自分の気持ちに素直ということでしょうか。
そうですね。ちょうど中学生になるタイミングで近くに中高一貫の新設校ができるということを知り、環境を変えたい一心で受験をすることを決めました。

●自分一人で決断されたのですか?
親が自分に対して影響を与えていないということはないんだけど、何かと自分一人で選択し続けてきた気がします。小学生なので明確な意志があるというわけではないのですが、なんとなく“これがいい”というこだわりは強かったんじゃないかなと思います。それに対して親に反対意見を言われることもあったけど、最後は自分の想いを尊重してくれて、それがいまの比較的自由な生き方に繋がっている気がします。

●実際に中学校に入学し、人も環境もがらりと変わったかと思いますが、実際どうでしたか?
環境が変わったからといってやらされることが変わったわけではなかったので、そこからもあまり周りには馴染めず(笑)。中学から部活で卓球を始めたんですけど、団体スポーツでも無いので忍耐強さだったり、体育会の阿吽の呼吸みたいなものを学ぶことも無くて。せっかくやるなら強くなりたいという思いも多少はありましたが、それよりも楽しく過ごしたいという感覚の方が強かった気がします。卓球よりもピンポン球で野球する方が好き、「スライダーめちゃめちゃ曲がるじゃん!ヤバい!」みたいな。一期生ゆえに先輩がいないということも大きかったと思います。


作品を観るうえで、前提となる政治や社会背景を深く知ることで、社会そのものへの理解も深まるし、ひいては映画や音楽もより楽しめると考えて。


●高校生活はどうでしたか?
中高とも進学校だったので、学校的にもまわりのメンバーも早くから志望校を決める動きをしていました。一方自分は全然決められなくて。進路教育で村上龍の『13歳のハローワーク』(※1)を読まされたりしたんですけど、あぁ僕は明確に何をしたいとか本当にないなと思いつつ、まぁそんなもんかとのんびり過ごしてました(笑)。基本的に人付き合いは得意じゃなかったんですけど、強いて言うなら『ラーメン同好会』というものを友達と3人で作って、細々と活動していました。ちょうどFacebookが出てきた頃だったので、活動を投稿してたら後輩や女の子がきてくれるようになり、これはいいなと(笑)。休みの日にラーメンを食べるだけなんですけど、「食」を通じて誰かと出会えたり、コミュニケーションを取れることが楽しかったですね。

※1:村上龍が2003年に発表し、累計発行部数148万部を記録した子ども向け職業案内マニュアル

●面白い取り組みですね(笑)。最終的にはどのように進学先を決定したのですか。
昔からよく観ていた映画とか海外のドラマに触れられる学問がいいなと考えたんですけど、文学部で英文学を学ぶのはそれはそれで夢物語すぎるかな、と。妙にリアリストの自分が顔を出し。そんなとき、たまたま仙台で同志社大学のプチオープンキャンパスみたいなものが開催されていて、そこで開かれた文学部の模擬授業で『リトル・ダンサー』(※2)という映画を観たんですね。内容としてはサッチャー政権時代の炭鉱夫の家庭の物語なんですけど、その映画を観たときに作品として観るうえで、前提となる政治というか社会背景を知ることで、より作品のことを理解できると思ったんです。カウンターカルチャー的なものが好きだったのですが、そこに政権の批判や、市民生活の不満みたいなものが込められているとしたら、それはなぜなのか?を深く知らないと、本意を受け取ることができない。社会や政治の理解を深めることで、映画や音楽もより楽しめると思い、明治大学の政治経済学部に進学しました。

※2:2000年のイギリスの青春ドラマ映画。監督はスティーブン・ダルドリー。1984年のイギリス北部のダラム炭鉱を舞台に、11歳の少年が偶然目にした、“バレエ”のレッスンで踊ることに興味をもち、練習に参加するうちにその素質を開花させていく物語


実際にその場所に身を置いたときにとても良い空気感だった。「食」を入り口に古着や骨董など色々な文化が交じり合うことに魅力を感じた。


●学生時代はどのような日々を送りましたか?
ひとりでずっと本を読んでるか、学内に映画が観れる部屋みたいなところがあったのでそこで映画を見ているか。授業が無い日はふらふら散歩をしたり、ヒッピームーブメントに影響を受けてヒッチハイクをしてみたり、時間のある大学生にありがちなやつですね。サークルには所属していて、落語研究会とシェイクスピアの劇を上演するふたつに入っていました。2年生からインターンをはじめて、その頃からどちらのサークルにもあまり顔を出さなくなりました。

●インターンは何をされていたのですか?
最初は大学の先輩の紹介で『CRAZY WEDDING』(※3)というウェディングの会社で1年くらい働いたのち、青山の国連大学でファーマーズマーケットを運営している『Media Surf』(※4)という会社で働きました。

※3:「人生が変わるほどの結婚式」をブランドメッセージとして、ふたりの人生を表現するオーダーメイドのウェディングサービスを提供する
※4:青山のFarmer’s Market @UNUや渋谷のCOMMUNEの企画運営をする傍ら、「NORAH」「TRUEPORTLAND」などの自社出版物の刊行も行う。ホテル、スポーツブランド、デベロッパー、出版社、メーカー、市区町村、行政等多岐にわたりコラボレーション実績を持つ。

●『Media Surf』はどのようにして?
もともと佐賀で唐辛子をつくっている農家さんと知り合いで、その方がたまたまファーマーズに出店するということで、そのお手伝いに行ったのがきっかけです。実際にその場所に身を置いたときにとても良い空気感だったんですよね。「食」を入り口に古着や骨董など色々な文化が交じり合うことが素敵だなと思い、そういう状況がどのようにして出来上がるのか知りたくて。あとは、『Media Surf』が持つ出版機能がとても魅力的だったこと。『TRUE PORTLAND』というポートランドのガイド本や『NORAH』という農業をテーマにした雑誌を出していて、これにとても惹かれました。空間と出版物、それぞれ別物ではありますが、自分が共感する物事を事業として成立させていることが素晴らしいと感じ、このチームに入りたいと思いました。


カオスな状況なのに新たなプロジェクトが起こり続けるというのは、一人ひとりが仕事人として独立していて、自分の武器が明確にあるから成立している。だからこそ、自分も「おれはこれができる」というモノを見つけたいと強く想った。


●ご自身で応募して入られたのですか?
応募したというよりかは、気づいたら運営メンバーに加わり、ファーマーズのお手伝いやクリスマスマーケット、パン祭りなどのイベントのお手伝いをしていました。

●就活はされていましたか?
全くしていなくてそのまま『Media Surf』に入りたいなと考えてました。彼らが手掛ける『MIDORI. so』(※5)というワークスペースには、何をしているのか分からないけど、いつも魅力的な大人たちがいて。ある種カオスな状況なのに新たなプロジェクトが起こり続けるというのは、一人ひとりが仕事人として独立していて、自分の武器が明確にあるから成立していると感じて、まずは自分自身も「おれはこれができる」というモノを見つけたいと考えました。最終的にはデベロッパーやアパレル、出版など計5社にエントリーしました。

※5:これからの働き方の可能性を追求すると共に、個が尊重される社会のなかで、大切な拠り所となる仲間とともに働くスペース。

●業界がバラバラですね。
そうなんです(笑)。業界は違えど、根底にある美意識や哲学に似た部分がある会社を選んで受けました。何となく感覚的に雑誌の編集ができるようになりたいと考えてはいたんですけど、自分が実際によく読んでいた媒体で、新卒採用をやっている会社はぜんぜんなくて。大きな出版社に入ったとしても雑誌ができるか分からなかったので、色々絞られてきてしまい。最終的には『マガジンハウス』(※6)の選考を受けました。最終面接までいったんですけど、本質的に志望していないことがバレて落とされました。同時期にいま働いている『ライスプレス』(※7)がバイト先のファーマーズで、サンドイッチのポップアップイベントをしていたんですよね。そこで働いているスタッフが、自分が大好きな詩人のTシャツを着ていたんです。

※6:日本の出版社。『BRUTUS』や『POPEYE』、『GINZA』などを刊行する
※7:日本の食文化を軸にカルチャーやライフスタイルに関する情報を、独自の切り口で発信する出版社兼編集プロダクション

●なんという詩人の方ですか。
アレン・ギンズバーグ(※8)という詩人なんですけど、「めっちゃいいTシャツですね」みたいな感じで話かけたのがきっかけで雑誌『RiCE』の話を伺い、その流れでインターンとして働かせてもらうことになったんです。面接時に編集長の稲田(※9)と直接話して、その時に社会に発するメッセージや大切にする価値観などが一致する部分があるかもと感じて。直観的にこの場所で働きたいと思ったんです。

※8:アメリカの詩人、活動家。ウィリアム・S・バロウズ、ジャック・ケルアックとともにビート文学の代表者の一人
※9:「RiCE」「RiCE.press」編集長。ライスプレス代表。ロッキング・オンでの勤続10年を経て、2004年ファッションカルチャー誌「EYESCREAM」を創刊。2016年4月、12周年記念号をもって「EYESCREAM」編集長を退任、ライスプレス株式会社を設立。同年10月にフードカルチャー誌「RiCE」を創刊。2018年1月よりウェブメディア「RiCE.press」をロンチ。


これだけ本が売れない時代に意志を持って誰かにメッセージを届ける、その姿勢に憧れて。


●というと?
ライスプレスではさきほどのギンズバーグをまるごと一冊特集した雑誌を刊行していて。「こんなの絶対売れないじゃん(笑)」と思ったんですけど、ただこれだけ雑誌が売れない時代に、意志を持って誰かにメッセージを届けるその姿勢がすごい良いなと思って、この会社で働きたいなと思いました。

●実際に働き始めたのはいつ頃ですか?
大学4年生の7月くらいです。夏休みが始まる日がちょうど初めての取材でした。それまではオンラインでテープ起こしや原稿のまとめをちょこちょこしてましたね。

●現在の業務内容でいうと具体的にどのようなことを?
雑誌をつくる以外に企業のオウンドメディアや広告の制作もするし、イベントの企画運営も行います。僕自身のポジションは編集と営業なので、企業案件のフロントに立って提案書も書くし、受注が決まれば予算や進行を管理しつつ、原稿も自分で書くことも多いです。会社の規模としては3人+アルバイトとかなりミニマムな中、書店への販売管理業務も自分たちで行っているので、やることはとりあえず盛りだくさんというかんじです。

●仕事の「やり方」は誰かに教わりましたか?
もちろん聞けばいろいろ教えてくれるのですが、所謂「企業研修」みたいなものは一切ないので、基本的には“実践あるのみ”で(笑)。「取材行ってきて」と言われて「押忍!」みたいな(笑)。ただ幸運なことに、食はもちろんそれ以外の第一線のプロフェッショナルの方々がいる現場にも連れて行ってもらったので、そこから“見て盗む”じゃないけど、たくさんのことを学ばせてもらいました。


食事やドリンクを起点に「人」が引き寄せられる。そこに集まる人は年代や職能を問わない。だからこそ「食」というテーマは、いろいろなクリエイティビティやアイデア、時に社会的な課題までを分け隔てなく絡ませることができる。


●入社して4年が経過したかと思いますが、入社時の自分と比べて変化した点はありますか?
仕事で言うと、時代に反するようにこれまで年4回の刊行であった『RiCE』は年6回に増え、一部コンビニでも取り扱いが始まりました。様々な企業さんからお声がけいただくことも増え、“フードカルチャー誌”として着実に認知されてきた印象があります。あとは雑誌を出し続けることで外部のクリエイターとのネットワークが広がり続けていることも、とても嬉しく感じています。

●成田さんの考える“フードカルチャー誌”とは?
美味しい食事やドリンクを起点に「人」が引き寄せられますよね。そこに集まる人は年代や職能を問わない。だからこそ「食」というテーマは、本当にいろいろなクリエイティビティやアイデア、時に社会的な課題までを分け隔てなく絡ませることができる。その状況を誌面に落とし込み、「それがいかにおいしいのか?」という短絡的な思考にとどまらず、多様な切り口で作れるのが「フードカルチャー誌」の面白みだと感じています。ファッション誌でもなく、音楽雑誌でもない掛け算の無数さがあるのではないでしょうか。

●なるほど。
そういった感覚は、実際に自分が誌面作りに関わることで見えてきたことな気がします。あと上司の稲田のキャリアとしてはもともとは音楽と映画、ファッションを経て、食に行き着いているからこそ、それぞれのカルチャーにとてつもなく精通しているんですよね。僕も学生時代に色々なものを見てきたつもりで、編集者の基礎知識みたいなものはある程度養ってきた自負があったんですけど、稲田と仕事をする中で全然そんなことはないと打ち崩されました。「映画や音楽、写真や美術まで。ジャンル問わず徹底的に摂取しろ」、というのは本当に口酸っぱく言われましたね。1〜2年目は本当に辛かったです。一緒に電車で移動する時なんか、何かしらも会話しないといけないじゃないですか。「最近映画何観たの?」とか聞かれるんですけど、こちらとしては仕事が忙しすぎて観る暇は無いわけで、わかってくれよと思いながらも「何も観て無いです」とか返答すると、ものすごいダメ出しを食らうみたいな(笑)。


これからさき、ジャンルに囚われずに仕事をしていきたい。特にいまは二次元を価値として提供しているけど、よりリアルな人が集う空間をつくりたいという気持ちが強くある。


●その経験がいまに活きていると思いますか?
そう思います。めちゃめちゃ悔しかったのでかなり意識的に摂取しました。その時に学んだ知識がいまのベースにあるし、編集者でありながら、大手出版社のそれとは異なるかたちで、いろんなタイプの仕事ができたことは自信に繋がっています。話はズレるのですが、師弟関係においてなるほどと思った言葉があります。「伝統芸能がなぜ衰退していくのか」という問いに対して、「それは師匠を超えられないからだ」と。

●というと?
結局、師匠の背中を見続けてそれを複製するだけでは、師匠と同じかそれ以下にとどまってしまう。師匠がそれまでに見てきたことや経験を理解した上で、そこに自分なりの見方を加えなければ、師匠を超えることができない。それは結構壮大なことだと理解しつつ、どうしたら超えていけるか?は常に意識してやっているつもりです。

●これから先実現したいことはありますか?
編集者としてやってみたいこともまだまだありますが、あまりジャンルに囚われずに仕事をしていきたいと思っています。いまは紙やWEBなど、二次元において価値を提供していますけど、三次元のもの、よりリアルな人が集う空間や場のようなものに携わりたい気持ちもあります。あとは自分のなかで大切にしていることで、一部の人だけが楽しめたり理解できるコアなものも大好きなんだけど、それってすごい狭い世界じゃないですか。むしろ公共性の高い領域の中で、今までになかった価値を作れる方が、より歯応えがあり、格好いいことだと思っています。よりたくさんの人が無意識的に関わるものの中に、自分なりのクリエイティビティを落とし込んでいきたい。最近は公共空間やスポーツ、介護などに興味があります。

●最後にこれまで生きてきた人生の学びを教えてください。
真っ当であり、誠実であれということ、でしょうか。自分の気持ちに素直に選択し続けてきたので、何かに惑わされることなく、そうあり続けたいと思います。


Profile: 成田 峻平 Shunpei Narita

1997年宮城県仙台市生まれ。Media Surf Communicationsを経て、フードカルチャーマガジン『RiCE』を企画・発行する独立系出版社ライスプレスに大学在学時より勤務。同メディアの他、企業のWEBサイトや印刷物、映像、イベント制作など多様な業務に携わる。生活文化に関するあらゆる物事に興味があります。

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Text : Gaku Sato
Interview : Gaku Sato
Photo : Gaku Sato

2023.1.15