CHAPTER vol.19【EAT】

大川内 彩 (28)

OKABAKESHOP 主宰

もともと真面目すぎるタイプだから、仕事は仕事、みたいに考えがち。でも、仕事のなかに遊びがあってもいいと、いまなら思える。いま目指すのは、生活と仕事の完璧なバランス。私は、お菓子屋さんもやりたいし、自分のご飯もちゃんとつくりたい。子どももほしいし、大切に育てていきたい。お菓子づくりを長く続けたいからこそ、それが叶う方法を見つけたい。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地はどちらですか?
神奈川県です。

●家族構成について教えてください。
両親と、7歳上の姉、4歳上の兄と一緒に暮らしていました。父は以前SONYでエンジニア系の仕事をしていて、姉が生まれた頃は単身赴任も多かったそうです。母はパートとして働きながら、家のことをしてくれています。すごく仲のいい家族で、毎年旅行したり、年に3、4回はバーベキューをしたりしていました。

●お父さん、お母さんから教わったことで、いまも心に残っていることはありますか?
父はどちらかというと寡黙で、「自分の道を行きなさい」というようなタイプ。なにかと気にかけて心配するのは、母の方でした。両親とも通じていたのは、誠実にコツコツ努力するのが一番、という価値観。嘘をつかず、真面目にやっていれば実を結ぶと信じていて、私もそう教えられてきました。

●そんな教えを受けて、大川内さん自身も、コツコツとなにかに取り組んできましたか?
小さい頃から、習いごとには力を入れて継続してきました。とくにピアノは、幼稚園から大学卒業まで。小学校低学年の頃までは好きになれなくて、辞めようと思った時期もあります。でも、ほかのことにはあまり干渉してこなかった親から、なぜかそのときは「もう少し頑張ってみたら?」と言われて。その言葉に押されて、続けることができました。


とにかく、努力しているひとが好きなんです。私自身、あまり容量がよくなくて、本当にコツコツと努力して初めて成果を出せるタイプ。だから、そういう浅田真央ちゃんに刺激を受けたんだと思います。


●そこから大学卒業までというと、かなり長く続けたことになりますね。そこまで続けられた理由や、モチベーションは?
その頃、浅田真央ちゃんの活躍がメディアなどで取り沙汰されている時期でした。私も、彼女が頑張っている姿が大好きで、なんとなくその姿に励まされるようにして、ピアノを努力して続けようと思えていました。

●彼女と伴走しているような気持ちで?
そうですね。幻想即興曲からラフマニノフまで、彼女が競技で使っていた曲はほとんどやりました。自分の意思をもってなにかに取り組むようになってきたのは、小学4年くらいだったちょうどその頃からかもしれません。

●浅田さん以外にもプロの世界で活躍する同世代がいるなか、とりわけ彼女に惹かれた理由はありますか?
明るく見せつつも、裏ではすごく努力している、ストイックなところ。とにかく、努力しているひとが好きなんです。私自身、あまり容量がよくなくて、本当にコツコツと努力して初めて成果を出せるタイプ。だから、そういう彼女に刺激を受けたんだと思います。

●つまり、ピアノ自体のたのしさはもとより、努力すること自体にもやりがいを感じていたと。
そうだと思います。努力して成果を出すことに、よろこびを感じていました。


大学時代の留学先であるポートランドの暮らしには、日本とまったく異なるカフェ文化が根付いていた。その文化や空気感に触発され、将来は飲食の仕事に就きたいと、目標がすっかり変わってしまった。突如として、食への興味が生まれてしまった。


●その後も、ピアノに注力していきましたか?
中高時代も、勉強とピアノが中心でした。高校に入ってからはバンドもやるようになって、音楽はずっと好きでしたね。

●浅田さんと同じく、プロになることを考えたりはしませんでしたか?
それは考えていませんでした。あくまで趣味の範囲。プロを目指せるレベルではなかったですね。大学に入ってからは、興味関心を持つことがらがより広がって、その分ピアノに費やす時間や気持ちは少なくなっていきました。

●高校時代などには、将来のことを考えたりしていましたか?
ずっと英語が好きだったので、通訳など、英語を活かせる仕事に就きたいと考えていました。そもそもは、母の友人にアメリカの軍人がいて、小学校の頃によくアメリカ大使館へ招待されていた。それがきっかけで英語に興味を持ったんです。高校の頃にカナダへ、大学時代にはアメリカへと、それぞれ留学しました。

●それぞれ、学校のプログラムを使って?
カナダは個人で行きました。大学は推薦で合格していたので、みんなが受験する期間を使って、バンクーバーへ。1ヶ月間と短めでしたが、学校へ通いながらステイ先の家族にいろんなところへ連れて行ってもらいました。初めて海外に行ったその経験があったから、英語をさらに頑張りたいと思うようになって、大学時代には交換留学プログラムを利用して、1年間アメリカへ。

●1年間の留学で、心掛けたことや目標にしたことはありますか?
現地のひとと同じような暮らしをしてみたいと思っていました。滞在先はポートランドでしたが、その暮らしには、日本とまったく異なるカフェ文化が根付いていて。英語を活かせる仕事に就くためのステップとして考えていた1年間でしたが、その文化や空気感に触発され、将来は飲食の仕事に就きたいと、目標がすっかり変わってしまいました。食への興味が生まれてしまった。


留学から帰ってきた時期、ちょうど、パドラーズコーヒーが幡ヶ谷に店を出すタイミングだった。日本におけるポートランドへの関心度も急上昇していて、「あぁ、やっぱりよかったんだ」と確信した。


●そこまで劇的な心境の変化があったのは、どうしてですか?
私がこれまでずっと目標にしてきた道や、暮らし方以外にも、さまざまな生き方があるんだと、現地で暮らすなかで視野が広がったんです。そして、なにもポートランドに限ったことではなくて、日本でも同じような暮らし方や働き方ができるかもしれない、と考えるようにもなって。

●日本に改めて目を向けるきっかけになったからこそ、自分ごとととらえられたと。
留学から帰ってきた時期が、ちょうど、『パドラーズコーヒー』(※1)が幡ヶ谷にお店を出すタイミングでした。現地で大好きだった『スタンプタウン』(※2)のコーヒーを日本でも飲めるんだと、びっくりして。日本におけるポートランドへの関心度も急上昇していて、「あぁ、やっぱりよかったんだ」と。

※1:アメリカ・ポートランドの「Stumptown Coffee Roasters」の新鮮な豆を直輸入して使用しているコーヒーショップ。コーヒーが溶け込む日常を自然と感じられ、店舗に併設したギャラリースペースではアーティストの展示などが開催される。
※2:1999年にアメリカオレゴン州のポートランドに第1号店がオープンしたロースター。カフェやコーヒー豆の販売店のほか、テイスティング用の店舗など、コーヒー専門店ならではのコーヒーに特化した施設が整えられ、高品質なコーヒーを提供する。

●そして、帰国してからは飲食業界へと人生の舵を切った?
そうしようと思ったのですが、両親から反対されてしまって。これまで勉強してきたことなど、積み重ねてきたことを手放して、すぐ飲食業界へ入ってしまうより、いわゆる企業で社会人経験を積んだほうがいいと説得されました。私自身も、ここまで一生懸命勉強してきたし、一般企業というものを一度経験しておくのは無駄ではないだろうと、最終的には腑に落ちて。正直、まったく経験のない飲食の世界へ飛び込むことへの不安もありました。それで、JALUXという商社に3年間勤務しました。

●3年間、どのようにして食の世界への気持ちを絶やさずにいましたか?
休みの日に食べ歩きをしたり、好きな店に通ったりしながら、この先自分がどんなことをしたいのかをつねに探していました。なかでも一番惹かれたのは、お菓子とコーヒーのある空間でした。お菓子づくりをしたいと思うようになったのは、その頃から。つくり手への憧れもありました。


趣味でつくったお菓子を、友人・知人に「おいしい」と言ってもらえるのがうれしかった。その頃、「OKABAKESHOP」というハッシュタグをつけて発信していたのが、そのままいまの屋号に。そのときはまだ、仕事になるとは思っていなかった。


●自分でお菓子をつくるようになったのも、その頃ですか?
それまでも休日に趣味としてつくっていましたが、本格的につくりはじめたのは、会社に入って2年半くらい経ってから。とにかく、つくったお菓子を友人・知人に「おいしい」と言ってもらえるのがうれしくて、続けていた。その頃、『OKABAKESHOP』というハッシュタグをつけて発信していたのが、そのままいまの屋号に。でも、そのときはまだ『OKABAKESHOP』を仕事にしようとは考えていませんでした。

●というと?
お店に入って、お菓子づくりを一から学ぶつもりでいました。なので、就職活動をして働き口を見つけることに。何の経験もないだけに就活には苦戦しましたが、なんとか、兜町の『ease』(※3)に入社することが決まりました。

※3:大山恵介氏がシェフパティシエを務める、東京・日本橋兜町にあるパティスリー。

●念願叶って、飲食の世界へ。イメージ通り働けていますか?
製造ではなく接客の担当なのですが、それでも朝から晩まで体力勝負で、最初はとにかくしんどかったですね。くじけそうになりながら、でも、そういうときにはやっぱり両親が鼓舞してくれて。続けていくうちに、徐々にたのしさが見えてきました。大変だけど、好きなことだからたのしめています。

●そのあいだも『OKABAKESHOP』としてのお菓子づくりは続けていた?
あくまで趣味として、ですが。忙しい日々でしたが、「つくりたい」という気持ちだけは強かったですね。easeでも本当は製造側で働きたかったのですが、1年経ってもそれが叶わなかったので、途中からは出勤数を減らして趣味のお菓子づくりの時間を確保するように。家でつくったものを友人たちに配送したりしていましたが、さらに軸足を移すために『ease』を退職し、いまは幡ヶ谷の『kasiki』(※4)でアルバイトをしながら個人事業主として活動しています。週の半分は、恵比寿のallee(※5)を間借りして製造・カフェ営業をおこなったり、代官山zenta coffee(※6)にお菓子を卸したりしながら、仕事と自分の活動を両立しています。

※4:2022年に東京・幡ヶ谷にオープンしたアイスクリームショップ。旬の果物やハーブ、お茶やお酒を使用し、季節を感じられるアイスクリームを販売。
※5:東京・恵比寿に店舗を構えるカジュアルイタリアンレストラン。店内で流れるJAZZを楽しみながら、季節の食事を楽しめる。
※6:コンテンポラリーアートの展示を行う代官山のギャラリー「LOKO GALLERY」に店舗を構え、オーストラリア・メルボルンでバリスタとしての修行を積んだオーナーによるコーヒーを楽しむことができる。

●ご両親の言葉通り企業へ就職し、3年間勤務したことは、いま身になっていると感じますか?
最初から飲食業界にいたのでは得られなかった知識や教養、持てなかった視野など、そこで培ったものはやはり大きかった。『OKABAKESHOP』を経営していくうえでは、売上の管理や月末処理なども必要なので、そうした事務系の作業を一からまなばずに済んだのもよかったですね。


もともと真面目すぎるタイプだから、仕事は仕事、みたいに考えがち。でも、仕事のなかに遊びがあってもいいと、いまなら思える。いま目指すのは、生活と仕事の完璧なバランス。私は、お菓子屋さんもやりたいし、自分のご飯もちゃんとつくりたい。子どももほしいし、大切に育てていきたい。お菓子づくりを長く続けたいからこそ、それが叶う方法を見つけたい。


●『OKABAKESHOP』では、いまどんなお菓子をつくっていますか?
日常によりそうお菓子をつくるように心がけています。いわゆるパティスリーのお菓子のような特別なものじゃなく、毎日、身構えず食べられるもの。どちらかと甘さひかえめで、素朴で、飾らないお菓子。ていねいに食べるお菓子より、それこそ、ポートランドの空気感を感じられるような。自分がときめかないものはつくらない、ということも軸にしています。

●個人でお菓子の製造から販売までおこない、友人・知人のみならず、いまは一般のひとにも手に取ってもらうようになったわけですが、もらってうれしかった反応や、反対に葛藤などはありますか?
自分が思っているより高く評価してもらっているな、と感じています。経験もないなか、単純に趣味の延長でつくりはじめたお菓子を「おいしい」と言ってもらえて、過大評価されているんじゃないかと、不安が大きいです。それだけに、もっと謙虚にがんばろうという気持ちにもなっています。

●これまでの人生の“まなび”を教えてください。
最初から変わらず、「努力すれば報われる」ということかもしれません。それなりにやったことはそれなりになってきたし、しんどくても一生懸命続けてきたことは実を結んできました。

●ゆくゆくは、自分のお店を持ちたいと考えていますか?
かならずしもそうではありません。私は、自分の暮らしと仕事のバランスを完璧にしたいんです。とくに日本の飲食業界には、生活を犠牲にして仕事に打ち込むひとがかなり多い気がしています。でも、私はお菓子屋さんもやりたいし、自分のご飯もちゃんとつくりたい。子どももほしいし、大切に育てていきたい。いまの仕事を長く続けたいと思っているからこそ、それが叶う方法を見つけたいんです。

●まさに、ポートランドで見た日常や空気感を追い求めるような?
仕事も生活も、混じり合う感じが理想です。もともと真面目すぎるタイプなので、仕事は仕事、みたいに考えがちなんです。でも、仕事のなかに遊びがあってもいいと、いまなら思える。実際、間借り先でカフェ営業をしていると、仕事なんだけど、すごくたのしい瞬間がある。そういうのが、いいなと思うんです。


Profile:大川内 彩 Aya Okawauchi

神奈川県出身。1994年生まれ、28歳。
立教大学卒業後およそ三年間商社に勤務。その後、コロナ禍で飲食業界へ。現在は幡ヶ谷kasikiで働きながら、個人事業主としてOKABAKESHOPを営む。

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Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Photo : Gaku Sato

2023.3.7