CHAPTER Vol.2 【EAT】

西村 結衣 (25)

Haru マネージャー兼焙煎士

長年コーヒーを仕事にしていたから色々考えられるようになったというのはあるけれど、やっぱり初心は忘れず一番は目の前の人を幸せにしたいという気持ちは変わらない。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。



●出身地はどちらですか?
生まれも育ちも茨城県の竜ヶ崎市という場所です。

●幼少期はどのように過ごされていましたか?
伯父と叔母がケーキ屋さんを経営しているのもあって、よく同い年の従妹と遊んでいました。ホールケーキをフォークで食べるのが当たり前みたいな環境で育ちましたね(笑)。Haru(※1)がオープンするタイミングで上京して一人暮らしを始めたんですけど、去年のクリスマスに初めてケーキをお金で買ったんです(笑)。

※1:2021年春、墨田区横川にオープンしたコーヒースタンド兼焙煎所。自家焙煎によるコーヒー提供のほか、シェアロースターや卸売を行うロースタリーとして、よりオープンで奥深いコーヒーの文化をつくる。

●ご両親はどのようなお仕事をされていたのですか?
母は専業主婦で、父はホテルを経営していました。なので小さい頃は父のホテルによく遊びに行き、スタッフの方に可愛がってもらったりしてましたね。今はもう定年退職しているんですけど、実はその後造園の専門学校に通いはじめ、今では新たに緑化事業の会社をつくりました。

●お父さんのチャレンジ精神がすごいですね。
私自身もビックリしました。新しいことへ挑戦する姿勢みたいなものはまさに父親譲りですね。そんな父の働く姿を幼いころから近くで見てきたということもあり、ホテルという仕事に憧れていつかはホテルマンにもなりたいと考えていました。


思いやりの心みたいなものは学んだことですかね。コーヒーを仕事にしている人にとっては大事なことだと思うんですよ。その気持ちがないと目の前のお客さんも、生産者のことも考えられないと思うので。


●ご両親から他に受けた影響はありますか?
やはり父からは何歳になってもチャレンジし続ける姿勢、ということを学びましたし今でも尊敬しています。母はとても優しい人なのでありきたりだけど、思いやりの心みたいなものは学んだことですかね。コーヒーを仕事にしている人にとっては大事なことだと思うんですよ。その気持ちがないと目の前のお客さんも、生産者のことも考えられないと思うので。

●昔からご自身で何かお店をしたいと考えていたのですか?
ケーキ屋さんもホテルも含めて飲食業や宿泊業がすごく身近な存在だったので、いつかは自分のお店を持ちたいなあという気持ちはありましたね。実は伯父も大学を卒業してすぐお菓子の勉強のためにフランスに修行に行ってて、そういう意味でも「食」が自分の中ではルーツとしてありますね。あとは小さい頃によく自然の中に連れて行ってもらいキャンプをしてたんですけど、そういう経験から自然のなかで過ごしたいなという想いも強くあります。4〜5年後に独立をして山梨に移住する計画を立てています。犬と一緒に暮らしたいですね(笑)。

●学生時代はどのようなことを学びましたか?
高校生まではずっと茨城にいたんですけど大学から東京に通い始め、経済学部で主に経営学を学んでいました。将来自分でお店を経営するという考えがあったので、経営やマーケティングを勉強していました。

●その時の学びは今でも活かされていますか?
めちゃくちゃ活きていると思います。大学に通っていた4年間、本郷にあるスターバックスで働いていて学生の時間帯責任者も務めていたので、当時授業で得た学びをすぐにスタバのバイトに反映させてましたね(笑)。その延長線上で今の会社でも十分に学びが活かされていると思います。


いい組織とはなんだろう?というのは常に考えていました。せっかく作ったからには長く続けたいと思っていたし、バイトも同じことが言えると思うんですけど、楽しく働くことって直接売上にも繋がっていくじゃないですか。


●授業以外ではどのように過ごされていたのですか?
大学2年生くらいのときに本格的にコーヒーが好きになり、卒業したらすぐにコーヒー屋さんに採用してもらえるように履歴書に書けることを何かしようと考えて「コーヒー同好会」を作りました(笑)。あとは音楽が好きだったのでバンド活動ばっかりしていましたね。

●コーヒーを好きになったきかっけは何だったのでしょうか?
もともと父がコーヒー好きで、砂糖にブランデーをかけて火で熱してコーヒーに入れてよく飲んでたんですよ(笑)。それを飲んだら凄い美味しくて。あとは少し話しが脱線するんですけど、実はもともと組織論にすごい興味があって、当時からスタバの組織がちゃんと出来ているということを知ってたのもあってスターバックスに入社したんですよね。そこで本格的にコーヒーを飲むようになったのがきっかけですかね。

●その頃から将来の事を考えてアルバイトをされていたのですね。
全然そんなことないですよ(笑)。理由は分からないんですけど、もともと「会社」というものが好きで大学では企業論とかも学んでたんですよね。同好会も自分が代表として運営をしていたので、いい組織とはなんだろう?というのは常に考えていました。せっかく作ったからには長く続けたいと思っていたし、バイトも同じことが言えると思うんですけど、楽しく働くことって直接売上にも繋がっていくじゃないですか。そこが大事ということも分かっていたのでスターバックスで働きはじめたのはありますね。

●大学1年生からそこまで考えられるのはすごいですね。
それで言うと実は私音楽もすごい好きで、掛け持ちでライブハウスでもアルバイトをしてたんですよね。それが反面教師みたいで(笑)。ライブハウスって日給1万円で朝から深夜まで労働みたいな感じなので、時給換算すると300〜400円とかなんですよ。みんなロックンロールみたいな人だからいろいろと超適当で、こういう組織はダメだなと考えてた一方、スターバックスはこういうところが仕組みとして出来ているんだなあ、みたいな学びはありましたね。


やる気や想いがある若い子たちの活動が金銭的な理由でできなくなってしまうのがすごい勿体ないと感じて。それで将来は焙煎機を購入してシェアロースターをやりたいと思ったのがきっかけなんです。


●学生時代は何を目指していましたか?
本格的にコーヒーを飲み始めた頃からコーヒーを仕事にして生きていきたいとは考えていました。スペシャルティコーヒーを広めたいという気持ちも強かったですし、今あるコーヒーカルチャーをもっと成熟できる気がしていました。農園では賃金や政治関係でも問題は絶えないし、一方遠く離れた日本でもバリスタの給料は安くて立ち仕事でずっと続けることができないなどの問題があるので、自分ができる身近なことから解決していきたいと考えていました。実は自分の中での短期目標として20歳の時に25歳で焙煎士になるという目標を決めていたんですよね。なのでちょうど今25歳なので達成できましたね(笑)。

●有言実行されているんですね。
言ったら叶うんだなとは最近思いますけどね(笑)。そのために学生のころからコーヒーのセミナーや勉強会にはめちゃくちゃ参加しました。ただ焙煎のセミナーって焙煎機を借りれるのもあって一回2〜3万円するんですよね。学生にとってその金額ってめちゃくちゃ高額じゃないですか。一方で学生だからこそ興味あることに真っすぐに取り組めるのもあると思っていて、そういうやる気や想いがある若い子たちの活動が金銭的な理由でできなくなってしまうのがすごい勿体ないと感じて。それで将来は焙煎機を購入してシェアロースターをやりたいと思ったのがきっかけなんです。

●そういう経緯でシェアローストを事業化したのですね。
そうですね。私自身お金で苦しんだ経験もありましたし、勉強して焙煎したいのに学生という理由で個人のお店で雇ってもらえない現状と、入れたところで焙煎させてもらえるまでの時間がとても長い。エスプレッソマシンを触らせてもらえるまで2〜3年かかるみたいなことも全然あるので。コーヒー業界の難しいところでもあるんですけど、コーヒーを仕事にしたときの働きにくさ、みたいなものは取り除いていくべきだなと思いましたね。

●人生の転機が訪れたのはいつですか?
二十歳くらいのときにテレビで観た番組で、25歳以下が経営する会社の話を聞く内容だったんですけど、そこで『LIGHT UP COFFEE』(※2)というコーヒー屋さんが出てて。フルーティーなコーヒーの話をしていたんです。コーヒーは苦い飲み物だと思っていたからとても衝撃を受けて、それですぐ次の日に実際に吉祥寺にある店舗に行ってコーヒーを飲んだら浅煎りの酸っぱさに衝撃を受けて、そこからハマり出したのはありますね。

※2:東京吉祥寺・下北沢の自家焙煎シングルオリジンコーヒーショップ。生産者ごとの豆の個性を大切に、果実味あるコーヒーの魅力を届ける。


あらゆるセミナーを通じて感じたことは、コーヒーは嗜好品であり美味しさに正解はないということ。


●すごい行動力ですね。
そこからもっと浅煎りのコーヒーを勉強したいと思い、色々と調べて『ONIBUS COFFEE』(※3)さんの「スペシャルティコーヒー基礎講座」というのを受けにいきました(笑)。そこで出会ったバリスタの田崎さんという方がオタク気質ですごい楽しそうにコーヒーの話しをするんですよね。その時に改めてコーヒーの魅力を感じて、それからは風邪を引かない限り毎週茨城からまで欠かさずカッピング会に参加してました(笑)。

※3:「コーヒーで、人と人をつなぐ」をコンセプトに、現在は都内に5店舗、ベトナムホーチミンに1店舗を運営。トレーニングやワークショップなど行いながらアフリカや中米のコーヒー農園に積極的に訪れ、現地との持続的な取引を大切にしながら、素材のトレーサビリティを明確にする活動を積極的に行う。

●カッピングやセミナーを通じて印象に残っていることはありますか?
あらゆるセミナーを通じて感じたことは、コーヒーは嗜好品であり美味しさに正解はないということ、ですかね。なのでお客さんが飲みたいというニーズを私は探りたいなと思います。自分の美味しいという感覚を一方向的に提供するのではなく、お客さんの飲みたい味を提供して日常に溶け込んでいくのが私の考えるいいコーヒー屋さんですかね。少し脱線してしまうんですけど、セミナーに通っていた理由がコーヒー屋で働くために勉強というのはあったので、どうしたら学びをそこに繋げられるかというのは常に考えていましたね。

●あらゆることを見通して将来に向けて準備をされていたんですね。
そうですね(笑)。スティーブ・ジョブズの大学の卒業式での有名なスピーチ知ってます?点と点とが繋がって線になるという話。私自身大学の授業でそのスピーチを聞いていいなあと思って。とりあえずめっちゃ点を打っておけば、いつか線になるじゃんとか思って、点を作りまくってたのはありますね(笑)。結果的にあの時セミナーをしてくれた人が今では『Haru』に来てくれたり、週一のカッピングに一緒に参加していた人と生豆の取引をしていたりするんですよ。

●結果的に点が線になったということですね。
そうなんです。学生のころは色々と準備をして直談判で10社程のコーヒー屋さんに相談に行ったんですけど実は全社落ちてるんですよね。結果的に蔵前にある『Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE』(※4)で働くことになったんですけど、当時私を面接してくれた方が『Haru』に来て、当時は雇えずにごめんねみたいなことを伝えてくれて、もはや私は忘れていたようなことだったのですが、そういう再会がすごい嬉しくて全部が繋がって今があるんだなと思います。

※4:2012年開業のホステル兼バーラウンジ。玩具会社の元倉庫を改装したホステルは外国人旅行者を中心に世界中から人が訪れる。一階スペースは宿泊客以外も利用可能なラウンジとなっており、昼はカフェ、夜はバーとして地元の人や宿泊客で賑わう。


今はどちらかというとコーヒーを飲んでもらいたいというよりかは、人が中心にいて人に喜んでもらうための手段がコーヒーという考えですかね。


●『Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE』との出会いはどのようなものだったのでしょうか?
実は『ONIBUS』の講座でお会いした方が当時、蔵前の『Nui.』でバリスタをされている方だったんです。そのご縁もあり『Nui.』に訪れてみたら空間がすごいカッコよくて。その時はエアロプレスでコーヒーを淹れてもらったんですけど、バリスタの方に「美味しくなるので表面にあるオイルの膜を崩して飲んでみてくださいね」って言われて。自家焙煎でもないのにコーヒーに対して誠意があって、丁寧で優しいし素敵だなと感動してそのまま『Nui.』に入社しました。

●実際に『Nui』に入社してみていかがでしたか?
もともと宿泊業として海外のバックパッカーも多く滞在しているような施設なので、スタッフのみんなも大半が英語を話せるし、海外志向が強い人ばかりだったんです。そんな中一人だけ英語もほとんど喋れずコーヒーオタクみたいな感じだったので、自分はコーヒーしかできないからこそコーヒーを全力で頑張ろうと思いながら働いていましたね。

●結衣さんにとってコーヒーとはどういう存在ですか?
難しいなあ(笑)。学生のときはコーヒーが無ければ私じゃないなみたいな、アイデンティティのような存在でしたかね。今はどちらかというとコーヒーを飲んでもらいたいというよりかは、人が中心にいて人に喜んでもらうための手段がコーヒーという考えですかね。

●手段としてコーヒー以外も考えられたのでは?
それこそ学生のときに同じことを考えていて、実はワインのセミナーにも通っていたり、紅茶の資格も取得してるんですよ(笑)。ただちょっとその世界をのぞいてみたら分かったのは、ワインも紅茶も既に発展している文化というか、みんな生産地も品種も知っていて生産者の方にもちゃんとお金が行き届いている。そう考えたら別に私が居なくてもみんな幸せなんじゃないかと思って。一方でコーヒーは農家さんやバリスタの労働環境とかまだまだ解決すべき課題がたくさんあって、それを解決することで誰かが幸せになれるのならと思い、そういうコーヒーの未発展さみたいな部分にやりがいを感じたのはありましたね。


長年コーヒーを仕事にしていたから色々考えられるようになったというのはありますけど、やっぱり初心は忘れず一番は目の前の人を幸せにしたいという気持ちは変わらない。


●一杯のコーヒーで目の前の人を幸せにすることから生産問題まで大きな枠組みで捉えられているのですね。
長年コーヒーを仕事にしていたから色々考えられるようになったというのはありますけど、やっぱり初心は忘れず一番は目の前の人を幸せにしたいという気持ちは変わらないですね。これからもお客さんには本気でコーヒーを淹れ続けたいですね。

●最後に将来の夢はありますか?
一人でも多くの人をハッピーにする、ということですかね(笑)。食には人を幸せにする力があると信じていて、将来独立する場所を日本中でずっと探していたんですよね。それがようやく見つかり山梨の河口湖でやりたいなと考えていて、実は一緒にやるメンバーも既に決まっていて準備を進めているんです。私もですけどその友達も東京で働くことに難しさを感じていて、田舎で自分たちのペースで人を大切にしながら働こうと思っています。コーヒーだけだと幸せにできる人の数も限られてしまうので、コーヒーはもちろん朝は美味しいパンが食べれたり、夜は美味しいごはんとお酒が楽しめたり、色々な人が来れて楽しめるお店をやりながら多くの人に幸せになってほしいと考えています。


西村 結衣 Yui Nishimura

1996年生まれ。学生時代にコーヒーの世界に魅了されコーヒーの道を志す。スペシャルティコーヒーショップのパブリックカッピングやセミナーで抽出や焙煎を勉強。大学卒業後はNui.でバリスタを務め、入社2年目で「BERTH COFFEE ROASTERY Haru」を立ち上げ、現在はマネージャー兼焙煎士を担当。

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Text : Gaku Sato
Photo : Gaku Sato
Interview : Gaku Sato

2022.02.05