富岡 誠太 (23)
中身がカッコいいひとは、歩き方も、仕草もカッコいい。同じように、ちゃんとしたものを食べているひとは、指先まで丁寧になってくる。ちゃんとした生き方をしていると、言葉もちゃんとしてくる。だから僕も、ちゃんとしたものを見て、ちゃんとしたものを食べようって、本気で思っている。
CHAPTER
今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を
CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。
●出身地はどちらですか?
埼玉県熊谷市です。
●家族構成について教えてください。
僕は兄弟がふたりいる末っ子で、長男が7個上、次男が6個上と年齢は少し離れています。僕が保育園児の頃、両親が離婚して、母親は僕ら3人を連れて東京の実家へ。そこで1年ちょっと過ごしました。そのあと熊谷に戻り、4人でアパート暮らしをはじめましたが、兄たちはその後すぐに一人暮らしをはじめたり、彼女との同棲をはじめたりして。だから、僕は小中高と母親とふたりで過ごす時間がわりと長かったですね。
●歳も離れている分、長男、次男のことはちょっと遠くから眺めていた?
そうですね。長男は、いわゆる“チャラ男”みたいなタイプでした。中学の頃から、ずっとやんちゃでしたね。次男は反対にとても無口なタイプ。離婚した頑固な父親に似ていて、いまだに、なんとなく怖いんです。自分は、楽観的で、だれとでも仲良くなれるタイプでした。反面、まわりの顔色を伺うのが、小さい頃から得意だった気がします。
●というと?
心だけ大人になるのが早かったというか。小学生の頃も、教師との関わり方が同級生とはどこか違ったし、学級委員になったりもして。運動が得意で常にクラスの真ん中にいるような子たちとも仲がいいし、一方で、教室の端っこで読書しているような、まわりに馴染めない子たちの気持ちもわかる。いろんな立場を尊重して生きられる子どもだったんじゃないかと思います。
中身がカッコいいひとって、歩き方もカッコいいし、仕草もカッコいい。ちゃんとしたものを食べているひとは、指先まで丁寧になってくる。ちゃんとした生き方をしていると、言葉もちゃんとしてくる。だから僕も、ちゃんとしたものを見て、ちゃんとしたものを食べようって、本気で思っていて。
●そうした立ち回りが自然とできていたわけですね。なにがそうさせたのでしょう?
それは間違いなく、家族関係にあるはずです。両親が離婚して一度は東京に出て、それからまた熊谷に戻ったあと、母は毎日忙しく働いていたので、昼間、僕は父方の実家に預けられていました。父親とおばあちゃんが暮らしていましたが、ふたりの関係性はあまりよくなくて。僕はおばあちゃんのことが大好きだったので、守りたかったんですよね。そのために父親の機嫌をとる。空気を読んだり、だれかとだれかの関係を取り持ったりが得意になったのは、それがきっかけだと思います。
●お母さんから影響を受けたことは?
母は、よくも悪くも、なにに関してもあまり口出しをせず、僕の気持ちや意思を尊重してくれました。母のおかげで、いろんなことを自分で選択できるようになったと思います。中学一年生の頃、成績が落ちたときも、塾に行くことを自分で決めたし、高校や大学も自分自身で選ぶことができました。
●では、家族以外で影響を与えられたのは?
映画やドラマですね。中学生の頃は、一昔前のドラマや俳優が好きでした。『IWGP』(※1)に憧れて焼きそばばかり食べたり、小学生の頃に好きだった『ビーチボーイズ』(※2)の影響で、大学時代にはロン毛にしたり。広末涼子さんとも本気で結婚したいと思っていて、「反町とか竹野内豊みたいになれば結婚できるんじゃないか」って。それでシワのあるTシャツを着て、ビーサン履いて街を歩いたりして(笑) 映画やドラマに限らずですが、そんな風に、まわりのカッコいいひとたちをずっと見ていました。
※1:2000年に放送されたテレビドラマ。原作は石田衣良の連作短編。池袋を舞台に、若者たちの姿をワイルドに描くストリート・サスペンスドラマ。
※2:1997年に放送されたテレビドラマ。休息を求めて海辺の民宿にたどり着いた、一見ソリの合わなそうな2人の若者のひと夏のできごとを描いた青春ドラマ。
●その「カッコいい」の基準は?
だれかと一緒じゃないひと。当時から、流行りの格好をしたひとより、ちょっと変わったひととか、珍しい雰囲気のひとに、反射的に嫉妬しちゃっていました。高校以降は、見た目以外のいろんなところに目がいくように。やさしさはもちろん、社会のためになにかをしているひとは、本気でカッコいいと思うようになりました。中身がカッコいいひとって、歩き方もカッコいいし、仕草もカッコいい。いまでも似たようなことを考えていますよ。ちゃんとしたものを食べているひとは、指先まで丁寧になってくる。ちゃんとした生き方をしていると、言葉もちゃんとしてくる。だから僕も、ちゃんとしたものを見て、ちゃんとしたものを食べようって、本気で思っていて。
サーフボードに乗って、水平線を見ながら、ずっと波待ちをしている。その時間がすごく好きで。しーんとしていて、社会の枠組みから抜け出すような、大きな世界と同調するような感覚になれるというか。
●素敵な考え方ですね。大学時代はどんな風に過ごしてきましたか?
友達と過ごすのも好きでしたが、あまり“群れる”のは好きじゃなくて。ひとりで過ごす時間が多かったですね。その頃はとくに、それこそ『ビーチボーイズ』への憧れからサーフィンにハマっていました。毎朝6時に電車に乗って湘南へ行って、2時間サーフィンをして、それから大学に向かう。そういうのを、週に4、5日、年中やっていました。
●そこまでのめり込んだ理由は?
サーフィンって、2、3時間やっていたとしても、波に乗れるのはせいぜい10本くらいなんです。それ以外の時間は板に乗って、水平線を見ながら、ずっと波待ちをしている。その時間がすごく好きで。しーんとしていて、社会の枠組みから抜け出すような、大きな世界と同調するような感覚になれるというか。歩くのが好きで、休みの日は3万歩くらい歩いちゃうのも、いつも家の近所の神社に毎朝5時に寄ってから出勤するのも、それと同じような感覚をおぼえるから。いろんな小さな自然の音や、風の方向を感じて、意味だけを求めないようにと思っています。「風がどちらから吹いているか」に、意味なんてないですよね。人間がやっていることじゃないから。波待ちのときも、神社で虫の音に耳を傾けているときも。「パワースポット」っていう言葉がありますが、それは、古来からの、人間の作用を超えた場所や物だからじゃないかと思います。“脳みそ”以外のあらゆる部分でそれを感じるから、そこから元気をもらえたりするのかもしれませんよね。
●そうした、“社会の枠組みから抜け出す行為”が、富岡さんにとって大事なものをもたらしてくれる?
身近な自然に触れて、大きなものと一緒になっていると、すごく楽になる自分がいます。ここ数年は畑に行くことが増えて、それも、自分にとっての身近な自然だから。畑や田舎に行くと、脳と直結することがないんです。そのぶん、アタマ以外のいろんな部分を感じられる気がする。“自然”とひとくちに言っても、ビルの間に人工的に植えられた木や花は人間が意味を持たせたものですが、田舎にある自然が、そこにあることに、意味なんてない。
●そうした気づきを、それ以降の人生でどんな風に大切にしてきましたか?
たとえば最近は、日本のクラフトに興味が湧いて、いろんな生産者に会いに各地へ足を運んでいます。彼らの思いに触れて、それを都市にいるひとたちに伝えたいと思う。東京にいるとどうしても自然に触れる機会が少ないですが、なかでも“食べる”という行為は、だれにとっても一番身近な自然だと思っていて。だから、たくましく育てられたお野菜を通じて、その想いを本気で伝えたい。正しいものを伝えられる人間になりたい。将来は、八百屋さんになりたいとも思っています。お野菜を通して、都会の“当たり前”に違和感を持ってもらいたい。八百屋の顔をした、メディアになりたいんです。
イベントで野菜を販売するとき、あくまでファッショナブルでありたい。無農薬だとか、環境にいいだとか、そういうことは、無理に伝えないように。カッコいいと思うから興味を持って、いい野菜を手に取り、気づいたら、ちょっといいことしてる。それくらいでいい。
●そうした気持ちを持ちながらも、いまは代々木上原のコーヒーショップBOLT(※3)でマネージャーをしていますね。その経緯について教えてください。
大学時代に一人旅やヒッチハイクをしていた頃、沖縄の歴史に触れて感化され、もっと学びたくなりました。とにかくいろんな本を読みはじめたことをきっかけに、社会や経済に興味を持つようになり、しだいに、大量生産、大量消費について、そして資本主義について流れていき、最後は環境のことに行き着きました。同時に、読んでいたなかに『サードウェーブ・コーヒー読本』という本があって、コーヒー業界のビジネスモデルにも関心を寄せていた。そんなタイミングに、家の近所にフグレンコーヒー(※4)のロースターができたんです。
※3:内装デザインの会社が手がけ、“人との繋がり”をテーマに代々木上原の街に開かれたカフェ。
※4:最高品質のコーヒーを焙煎するマイクロロースター。 季節毎に新鮮で最もおいしいコーヒーを、世界中の農園から最も透明性の高いルートで購入しコーヒーを提供する。
●日本のサードウェーブコーヒーを黎明期から牽引してきたノルウェー発のコーヒーショップですね。
カウンターでコーヒーを提供してくれる彼らからは、カウンターカルチャー的なものを感じました。店頭には、「僕たちはサステナブルなものを大事にします」「コーヒー豆は絶対に混ぜません」「適切な対価を生産者に払います」みたいなことが貼り出してあって、でも、カジュアルな雰囲気で浅煎りのコーヒーをスマートに出してくれて。「あれ? コーヒー業界、カッケー!」って。それで、僕もコーヒーをやってみたいと思うようになったんです。それが、僕の食への入り口でした。
●BOLTで働くことで、自然に身をおく生産者の想いを都市生活者に正しく伝え届けることも叶えられると、その可能性も感じたのでしょうか?
有機農家さんや自然農法の農家さんの話は、ともすれば、スピリチュアルで、ナチュラリストすぎると思われてしまいがちです。それは彼ら自身も感じていて、「僕らのフィールドはあくまで土にあって、ビルの真ん中でなにかを伝えようとしても、一歩引かれてしまう」「僕らの思想哲学はあくまで土のなかでしか伝わらない」と、よく話しています。で、僕は普段東京で暮らしているし、ここの暮らしも嫌いじゃないんです。両方に足を踏み入れられる。だからこそ、富岡誠太というフィルターを通して、東京のひとたちに生産者さんたちのやっていることや想いを伝えられるようになりたい。そのためには、“拠点”もとても大事だと思っています。BOLTで働いていて、「ここに行けば誠太がいる」って、いまだんだんと認識されるようになっていて。とくに、カフェは街に愛されるべき存在だと思っています。だから、街の自治会や商店街の集まりには積極的に関わるようにしてきました。また、BOLTで働くかたわら、イベントなどに出店して付き合いのある農家さんたちのお野菜を販売したりもしています。
●“伝える”うえで、具体的に工夫していることはありますか?
僕は、あくまでファッショナブルでありたいと思っています。イベントでお野菜を販売するにしても、ちゃんとお洒落に見せたい。間口は広いほうがいいですから。若いお兄ちゃんがいいセンスでお野菜を売っていれば、ちょっと高くても、なんかカッコいいし行ってみよう、ってなりますよね。同時に、無農薬だとか、環境にいいだとか、そういうことは無理に伝えないようにしています。そうしないと、関心を持ってくれるのは、美容や環境に感度が高く、経済的にも余裕のある40、50代の女性ばかりになってしまいそうです。それでは、なにも変わらない。将来八百屋をすることになっても、無農薬のものを売ろうとはまったく思っていません。カッコいいと思うから興味を持って、いいお野菜を手に取って、気づいたら、ちょっといいことしてる。それくらいでいいと思うんです。
いまは便利さや速さばかりがもてはやされて、その分、ひととひととの距離は離れ、いろんなものが希薄になった。小さな積み重ねが、生産と消費の距離をだんだんと広げていった。そうした社会を再構成するために、小さな街の、コーヒーを飲める八百屋になりたい。
●八百屋の顔をしたメディアになりたい、という話にもつながりますね。
とにかく、「こいつから買いたい」と思われるような八百屋になりたいんです。農薬とか無農薬とかわからないけれど、誠太が売ってるなら買うよ、って。「高いし、味がわからないけど」、それでもいいんです。そのとき、ちゃんと僕が「これはこんな農家さんが作っていて、じつはこういう風に環境につながっているんだよ」って、伝えていければ。
●子どもの頃からイメージしていた“カッコいい”が、いまでも富岡さんの行動基準にあって、それを体現していくことがまた生産者の想いや思想を伝え広めていくきっかけにもなるわけですね。
自然思想のひとたちって、たしかに、極端なひとも多いんです。「資本主義はダメだ」って切り捨てたりもしがち。でも、僕は柔軟に考えています。消費があるから企業は存続するし、社会的にいいことをしようとするためには、やっぱり利益を出すことも重要。ただ社会的にいいことを非営利にやるだけでは、どうしても根づかないことが多い。だから、農的な暮らしと都市の暮らしとの、オルタナティブな道をつくらなくてはいけない。まだまだ学びの途中ですが、ひとつには、それをカッコいいと思ってくれる若者を増やすことだと思っています。「自然」や「畑」が、日本の若者にとっての憧れの対象になればと。これからの時代は、僕らのさらに下の世代が担っていきますから。
●富岡さん自身がまだまだこれからを担う存在でありながら、すでに、世代のバトンをつなぐ役割も意識して行動しているのですね。
小さい子どもに触れる機会も多いのですが、「この子たちは自然だな」って、いつも感じます。だから、この子たちが「美味しい」って言いながら食べるお野菜って、本当に美味しいものなんだろうなって。僕の理想は、そうした子どもたちが学校終わりに宿題をやりにきて、夕方に迎えにきたお母さんたちと一緒にお野菜を買って帰るような八百屋です。
●昔の商店街には、そうした店が多くあったのでしょうね。
そうしたコミュニティーを、もういちど形成したいとも思っています。魚屋、肉屋、靴下屋、工務店……と、昔はそれぞれ独立した店が集まって、それでひとつの街ができていた。そこに社会ができて、人間関係が生まれていたはずです。でも、いまは便利さや速さばかりが求められて、なにもかもがスーパーやデパートにまとまってしまった。その分、ひととひととの距離は離れ、いろんなものが希薄になった。小さな積み重ねが、生産と消費の距離をだんだんと広げていったんだと思います。ファストフードなんてその典型で、「どうしてこの肉は海外から来ているのか」「どうして、たった百円なのか」「では、これをつくるひとはいくらもらってるのか」……、どんどん見えなくなれば、どんどん大事にしなくなります。だれが食べてるかもわからないものをつくってお金がもらえるなら、どんな薬を入れても気にならないですよね。でも、自分の親や子どもが食べるとなれば、やっぱり大事にする。そうした意識を、家族や身内以外のひとにも向けていけるような社会ができたら、きっといい世の中になります。だから、僕はローカルと都市をつなぐ存在になりたい。お野菜を通して、社会を再構成したい。
●最後に、これからの展望について聞かせてください。
早ければ今年中にBOLTを離れるつもりです。来年以降は、もっと生産の現場に足を運びたい。地方や海外にも行動範囲を広げて、旅するように暮らしていきたいと思っています。そして、数年後には自分の拠点をかまえて、それまでにインプットしたことを、今度は表現していきたい。それが八百屋になるか、コーヒー屋なのか、パン屋なのか、お酒なのか……、どういった形になるにせよ、自分の根底にある想いを周りのひとたちに伝え届けていく。やることは、ただそれだけです。
Profile:富岡 誠太 Seita Tomioka
食べる飲む。その瞬間は、自然、環境、地球と接続する瞬間。
食を起点に考えていくと、僕ら人間の社会だけでなく、それを取り巻くもっと大きな視点で物事を見ることができる。そうすると、小さな物語に気付くことができ、優しくなれるのかもしれない。
Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : mitsuharu yamamura(BOOKLUCK)
Photo : Masahiro Kosaka(CORNELL)
2023.8.9