矢野 仁穂 (26)
イベントでは運営側として、みんなが楽しんでいるようすを端っこで眺めている方が好き。実際、さまざまな場所でポップアップをやり、最前線でモノを届けてみた結果、自分にとってここがベストフィットじゃないと感じた。たぶん、距離が近すぎて。
CHAPTER
今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を
CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。
●どこで生まれ、どんな環境で幼少期を過ごしましたか?
生まれは静岡県の三島です。実家は、三島大社の参道からちょっとはずれたあたりの住宅地にあります。近所には川があって、富士山が「すぐそこ」という感覚。「この道でこっちの方角を向けば富士山が見える」「小学校の4階から見ると富士山が綺麗に見える」とか、ずっと近くに感じていました。
●家族構成は?
小学校にあがるまでは母子家庭でした。お母さんとお姉ちゃんと私。小1の頃に母が再婚して、そこにお父さんが加わりました。
●それまではお母さんが育ててくれたのですね。どんなことを覚えていますか?
朝から晩まで働いても、夕飯はかならずつくってくれていました。肉と魚が交互に出てくるのが決まりで。とくに魚がおいしい地域だったので、大好きで、アジの干物とかイサキの刺身とか、よく食べていましたね。お母さんのことは大好きで、いまでもめちゃくちゃ仲良し。おはよう、おやすみの連絡を、いまでも毎日している。歩くときは手をつなぎます。
●お姉さんやお父さんとの関係も同じくですか?
仲良しですね。でも、母と姉と父のバランスを、私が保っている感覚が昔からあって。それこそ私と姉は母の連れ子だし、お父さんとは血が繋がっていないけれど家族として生活する。ちょっと堅く表現すると、組織みたいな感覚で。バランスは大切にしていましたね。帰る家がギスギスしていたらイヤだし、だれかがさみしい思いをしていたらイヤだから、それぞれの間に入る、みたいなことをしていました。
●そうした自分の役割を、その頃から自覚してもいた?
そうですね。だから、ちょっと疲れていた。家族のことは大好きだけど、離れたい気持ちもあって。高校を卒業したらとりあえず家を出たいと思っていました。
●間をとりもつことにしんどさも感じながら、それでもその役割をせずにいられなかった、と。
平和にいきたいんです。同時にグループが得意でもあるから、逆に、学校の授業なんかで「ふたり組になってください」っていうのが苦手でした。間をとりもつのは得意だったけれど、本当に仲のいい子はかなり少なかったですね。ある程度距離があったほうが心地いい。あまり心を開かなかったのかもしれません。
お菓子づくりをしているときは、楽しいことも悲しいことも考えず、ただつくる。無になれるのが心地よかった。弓道や読書の時間が好きだったのも、同じ理由かも。
●高校生活では、どんなことが印象に残っていますか?
弓道部に入っていましたが、とても性にあっていました。こころを落ち着かせることを求められる競技ですが、それがすごく心地よかった。道場に入って一礼して、黙想して、所作にもぜんぶ決まりがあって。あと、本もよく読んでいましたね。没頭して一気に読み切る。10分間ぐっと集中できる朝の読書時間も好きでした。授業中もがまんできなくて、机に隠して読んでいたり。
●自分だけのこころ穏やかな時間を大切にしていた?
ラクでしたね。ひとり行動も得意でした。そんななか、学校からも家からも離れて、なにもしなくていい場所が、地元にあったカフェでした。まわりには大人ばかりで、同世代がいなかったのが心地よかった。その頃から、将来はカフェをつくりたいと考えるようになって。お菓子づくりも好きだったんです。小さい頃から母と一緒によくつくっていて、それからも、なんとなく気持ちが落ち着かないときなどにストレス発散的につくっていました。つくって、疲れて、寝る、みたいな。
●弓道や読書の話にもつながりそうですね。自分のこころが落ち着く時間だった。
『食堂かたつむり』(※1)という小説のなかで、主人公が、きらいなひとに料理をつくらなきゃいけないというシーンがあって。そのときおばあちゃんから、「きらい」って思いながらつくれば「きらい」っていう味になるから、無になってつくりなさいと教わるんですが、わたしもお菓子づくりをするときは、変に楽しいことも悲しいことも考えず、ただつくる。無になる。どこかへ“飛んでいく”のが好きかもしれません。頭を飛ばすというか。
※1:『食堂かたつむり』は、小川糸による2008年の日本の小説。2011年7月、イタリアの文学賞であるバンカレッラ賞料理部門賞を受賞。
いい成果物を得るためには、なにより、そこにいる全員が楽しく感じていること。だから、イベントも運営側として、みんなが楽しんでいるようすを端っこで眺めている方が好き。
●高校生の頃、将来はカフェをつくりたいと考えるようになり、その後はどういった進路を取りましたか?
製菓の専門学校へ行くことも考えました。でも、四大へ行けるなら行っておいたほうがいいと言われて、そうか、と。なら経営学部か商学部がいいと思って、東京と京都の大学を受けました。そして立教大学の経営学部へ。
●かねてから考えていたように実家から離れて、上京してみていかがでしたか?
大学に入って、東京へやってきて、世のなかには自分とは違ういろんなひとがいて、いろんな価値観がある、ということを実感値として学びました。
●具体的に聞かせてください。
ビジネスリーダーシッププログラムという必修科目があって、半期をかけて、5-6人のグループで新規事業を考えるというグループワークをやったんです。私が所属したグループが、とにかく足並みの揃わないグループで……。私は授業を真面目にやりたいタイプでしたが、ほかのメンバーはバイトやサークル、家のこととか、授業のほかに大事なことがあって、モチベーションもぜんぜん違う。結果、私が1から100までぜんぶやって、とてもきつかった。めっちゃ泣いたし、私と同じ理解度まで達していないひとに頼っても質の高いものにならないと、諦めたりもしました。でも、最終的に、だれも悪くないという結論に至って。自分のなかでも腹落ちしました。
●というと?
授業へのモチベーションがさまざまなのは仕方のないことだし、モチベーションが低いからといって“ダメなひと”というわけでもない。ただ私の力量が足りてなかった、ということに気づいたんです。仕事の配分やみんなの巻き込み方が至らなかった。なにより、もっと楽しそうに私がやっていたら、みんなも興味を持って取り組んでくれたかもしれない。そもそも授業の最終目標はリーダーシップをまなぶことにあったので、だから、私にも落ち度があったんです。
●足りなかった部分もあると考えて、経験をまなびに変えたと。
いい成果物を得るためには、まずそこに関わる全員が楽しくなければならない、と考えるようになりました。だから、「みんな楽しいかな?」とか「どうしたら楽しくなるだろう?」というようなことは、そのあと社会に出てからも、まずなによりも大切にするようになった。だから、イベントごとも運営側として、みんなが楽しんでいるようすを端っこのほうで見ている方が好きだったり。
突き詰めれば、だれかの拠り所になる空間や場所をつくることが、私のやりたいことだと思った。大きすぎるとわかりにくいから、1から10まで手元でできるくらいの規模で。
●その後時間を経ても、カフェをやりたい気持ちに変わりはありませんでしたか?
カフェはやりたかったですね。でも、「いまではない」とも思って。就活をしていた頃に、自己分析を兼ねてカフェのなにに価値を感じていたかを考えてみたのですが、やはり高校の頃通っていた地元のカフェが原点にあって。学校とも家とも違う私になれる場所として貴重だった。だから、だれかの拠り所になる空間や場をつくるというのが、私にとっての“カフェをつくる”だったのかなと思い至って。なら不動産かな、と。でも、ディベロッパーに行きたいかというと、街の開発って大きすぎてわからないから、1から10まで手元でできるくらいの規模がいい。それで、リノベーションの会社に新卒で入りました。
●ひとの居場所たる家をつくり、空間についてまなび、将来に活かそうと思った?
そうです。ただ、私が採用された部署がすぐに無くなってしまい、その後配属されたのが賃貸管理をメインにする部署だったんです。やりたいことができず、同時に、社長とも馬が合わなかった。私も言いたいことをはっきり言う性格なので、入社早々からかなりぶつかっていました(笑) そんななか、小さな3階建てビルを、1階は自由に設計し、2階以上をコワーキングスペースにする仕事が舞い込んできて。企画と運営の仕組みづくりを、半年くらいかけてやりました。リノベーションの仕事にやっと関われたし、貸しキッチンの機能も備えることにしたので、興味のあった食にも関われた。でも、楽しいはずなのに、つまらない。ワクワクしなかったんです。そうして悩んでいた頃、鳥羽周作さん(※2)のツイートでシズる株式会社(※3)の立ち上げにあたって求人募集していることを知って。やってみたい!と、ぐっと興味を惹かれたんです。「とりあえずなんでもやります!」と面接を受け、会社ができてすぐのタイミングくらいで合流しました。
※2:埼玉県出身の料理人、実業家。「sio株式会社」及び「シズる株式会社」代表取締役。
※3:食を通した新しい企業・プロダクトマーケティングを展開する食のクリエイティブカンパニー。
●具体的には、どういった業務を任されることに?
実際、本当になんでもやっていました。鳥羽さんのスケジュール管理や取材対応、プロジェクトをクライアントと一緒に前へ進めていくこともあれば、店舗のオープンにあたって備品リストをつくることも。
●前職とくらべ、やりがいや手応えを感じていましたか?
めちゃくちゃ楽しかったですね。チームでやっている感があったし、鳥羽さんはずっとエネルギーがあるから、すごく新鮮で面白かった。レストランという場を、すごく間近に見られたのもよかったです。とくにsio(※4)は、一つ星を獲っているレストランなのにもともとカフェの設計なんです。だから、クロスを敷いていないし、BGMもいまどきの選曲で、カッコいい大人たちは短パンにTシャツで来てたりする。その、本格なのにリラックスできる空間づくりが、めちゃくちゃカッコいいなと思いました。
※4:2018年、代々木上原にオープンしたフレンチレストラン。ミシュランガイド東京2020から4年連続一つ星を獲得。
さまざまな場所でお菓子のポップアップをやり、最前線でモノを届けてみた結果、自分にとってここがベストフィットじゃないと感じた。たぶん、距離が近すぎて。
●東京に来てからも、ひとりで心を落ち着かせる時間は変わらず大切にできていますか?
シズる株式会社はフルリモートだったんです。それが、すごく性に合っていて。毎朝会社に出社してちょっと仮面をかぶらないといけない、みたいなことがないので。仕事をやりきるまでにたとえ深夜までかかっても、自分次第。それもよかった。私はテンションが上がれば2時、3時までパソコンできるし、その分次の日はゆっくり寝るのも許される環境だったので。
●ひとと関わることにモチベーションを感じながら、自分だけの世界も担保できていた。その両輪をバランスよく保ってきたわけですね。
社会人になるタイミングでコロナになったので、基本的にはめっちゃ暇だったんです。家にいる時間もかなり長くて、私は本を読んだりお菓子をつくったりすればいいから楽しかったけれど、「これが苦手な子って、めっちゃ大変だろうな……」と思って。それがきっかけで、お菓子をつくって友達に送りはじめたんです。それが、いま「カサネ」という屋号でやっていることにつながります。2020年の6月くらいから、自分の余力があるときに細々と活動していて、2022年には初めてポップアップ出店も経験して。
●イベントの運営側として一歩引いた場所からではなく、いわば最前線に。
はい。さまざまな場所でポップアップをやってみて思ったのは、モノをつくって直接だれかに届けられる場ってすごく楽しいけれど、やっぱり、私にとってのベストフィットはここじゃないということ。たぶん、距離が近すぎるんですね。次の日、動けなくなっちゃう。
鳥羽さんの力でどこへでも飛んで行けるのが怖かった。ちゃんと自分で、地べたを歩いてみたくなり、とりあえず会社を辞めて、それからなんとなく熊本へ行ってみた。
●現在はどんなことをしていますか?
鳥羽さんの力でどこへでも飛んで行けるけれど、それが、かえって怖くもあって。いきなり空を飛んでる感じだったから、ちゃんと自分で、地べたを歩いてみたくなったんです。それで会社を辞めました。そのあとも、なにかいいご縁があればまた企業に就職するつもりでもいたけれど、なんとなく、ふらっとしていて。
●引き続き食の分野に身をおきたいとは考えている?
はい。衣食住遊とあるなかで、やっぱり食が好きだから、そういう場所のちかくにいたいですね。じつは、先日有給休暇を使って九州へ旅行に行ったんです。熊本でふらっと入ったワインバーのスタッフさんたちと意気投合して、「仕事ないなら採用するよ!」と言ってもらえました。それで、思い切って移住してそこで働くことに。夜はワインバーで働きながら、昼はパソコンでできるリモートの仕事をしようと思っています。
●とりあえず、新しい道が見つかったのですね。これから目指していることはありますか?
変わらず、みんなが楽しくて寂しくない場所をつくりたいと思ってはいますが、すこし視野は広がっています。たとえば街。私がどこかの街に場所を持って、だれもが、そこに行けば自分の場所があって寂しくないみたいな状態にできたらいいだろうな、とか。そういう役割を担える街が見つかれば、気持ちがもうすこし定まってくるかもしれません。
Profile:矢野 仁穂 Kimiho Yano
1998年生。静岡県出身・熊本在住。
衣食住遊/生活にまつわるあれこれが好き。ライティングや編集、企画のプランニングなどを通して、自分を含め誰かの想いを伝えている。“日々を重ねる焼菓子”を届けるべく焼き菓子屋〈カサネ〉としても活動中。最近はワインを勉強しています。
Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : mitsuharu yamamura(BOOKLUCK)
Photo : Masahiro Kosaka(CORNELL)
2023.10.1