桑原和紀 (27)
まわりがカッコいいと言うものを、カッコいいとは思わなかった。だから、散々「ダサい」と言われ続けた。でも、大学生の頃の出会いで、その後の価値判断や方向性が定まった。彼こそ、自分にとってかけがえのない「センスのあるオトナ」だった。
CHAPTER
今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を
CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。
●どこで生まれ、どんな環境で幼少期を過ごしましたか?
福岡県春日市で生まれました。小さい頃は、兄から影響を受けて野球をはじめたり、親の友達から『スラムダンク』を全巻もらったことでバスケにハマったり、姉からはパソコンの使い方を教わったりと、まわりに影響されながら、いろんなことに手を出していました。
●そのなかで結果的に長く続いたことはありますか?
ひとつは野球ですね。きっかけは野球をやっていた兄でしたが、中学に入ってから、周りに野球好きが多かったので野球部に入って。校内で3番目に足が速かったのが武器でしたが、ほかの部分で実力不足で、あまり試合に出られませんでした。高校に進んでからは、バキバキの上下関係が辛くて、結局、陸上部へ移って短距離をやることに。でも、最初の大会でダントツの最下位になってしまい……。そこで自信を折られたというか、現実を見てしまって。野球部の経験を活かしてほかにできることはないかと考えた結果、今度は槍投げに転向。そこでも結果はそれほど振るわず、とりあえず筋力が必要なので筋トレを頑張っていたところ、だんだん面白くなって、筋肉やプロテインのことを入念に調べるようになりました。
●つながりのあることを辿りながら、実力を発揮できることを探していたわけですね。
はい。もうひとつは音楽。卒業ソングやオリンピックの応援ソングなど、人生の節目節目にはいつも音楽があると思っていて。小学生の頃からCDを買い始め、さまざまなジャンルを聴いていました。同時にイヤホンにも興味が湧いて、百均に売っているようなテレビ用の片耳タイプからヘッドフォンまで、さまざまなタイプを試したり、調べたりして。
●筋肉の話もしかり、気になったことを突き詰めるタイプなのですね。
まわりの友達とは違うことをしたかったのかも。いま思うと、友達と遊ぶことより、そうした自分の趣味を優先していた気がします。
まわりがカッコいいと言うものを、カッコいいとは思わなかった。だから、散々「ダサい」と言われ続けた。でも大学生の頃に通った古着屋のオーナーに出会って、目が覚めた。
●だれかの影響は受けるけれど、ひとと同じことはしたくなかった?
だれかの個人的なトレンドみたいなものは気になっていましたが、いわゆる流行りにはそそられませんでしたね。だから、根っこの部分はそこまでブレなかったのかも。
●とくに中学高校生の頃というと、世の中や身近な環境のなかでの価値基準に左右されたり、自分を染められたりしがちですよね。
まわりがカッコいいと言うものを、カッコいいとは思わなかったかもしれません。だから、まわりからは散々「ダサい」と言われ続けた。でも、大学生の頃に通っていた久留米の古着屋のオーナーに、「ほかから『ダサい』って言われるのは、それが、ほかのひとにない価値観だからだ。ダサくていい、しょぼくていい」と言われて。目が覚めたというか。
●どんなひとなのですか?
ひと言でいうと、「センスのあるオトナ」。着ているものがオシャレなだけじゃなくて、発言や生き方にまで厚みがあって。初対面にして、自分にとってかけがえのない存在になると直感しました。歳は20個くらい離れていますが、いまでもお世話になっていて、尊敬しています。そのひとのおかげで、その後の価値判断や方向性も定まった気がしますね。
●人生の転機を与えてくれたひとであり、場所なのですね。
なにかあると帰りたいと思える場所です。じつは今日も、以前その店で買ったGジャンとTシャツを着ています。同時に、ひとと対話することの面白さみたいなものも教えてもらいました。大学時代には飲みの席も増えたので、それこそ飲食を交えながらひとと話す機会も増え、それが楽しかった。
●洋服や飲食など、いわば経済活動を前提とした対話の面白さに目覚めた時期だったと。現在の仕事にもつながってきそうですね。
大学時代、大手コーヒーチェーンでアルバイトをはじめました。僕が所属していたのがとくにひとを大切にする店舗だったので、そこからさらにひとと話すのが楽しくなりましたね。
●卒業してからも、そうした場所で働きたいと思っていた?
音楽も相変わらず好きだったので、制作会社に入りたいとも思っていました。でも就活がうまくいかず、なら服を売るか、とも思ったのですが、仕事にするほどの情熱はなかった。結果、コーヒーチェーンのアルバイトを続けて社員を目指すことに。ちょうどその頃、東京にある新業態のスタッフ公募がおこなわれたんです。そこに採用されて、上京することに。
社交辞令のできないタイプだった。福岡と東京のコミュニケーションのギャップに苦しめられた。
●東京の店舗でも、培ってきた対話力が強みになりましたか?
それが、そうでもなくて。上京して1年目はとくに、コミュニケーションの難しさに悩まされて、かなり落ち込んだりもしました。というのも、東京の、壁を1、2枚挟んだようなコミュニケーションにどうしても馴染めなかったんです。そもそもが、社交辞令はコミュニケーションと思っていないタイプで、福岡にいる頃もずっと本心でしかひとと付き合ってこなかったから、そのギャップにかなり苦労しました。お客さんからも、「ちょっと距離感おかしいよね」なんて言われたりもして。
●仕事内容は、どういったことを任されていましたか?
その店舗にはベーカリー部門があり、僕はそこに配属されたんです。ただ、その後すぐにそのベーカリーが別の場所へ出店することに決まり、僕もそこへ異動することに。新業態ということで、どんなにすごいひとたちが集まるんだろうと期待していました。でも、蓋を開けてみたら、想像とは違っていて……。
●というと?
当時、その店で大好きな焼き菓子があって、お客さんにもめちゃくちゃおすすめしていたんです。すると、売れすぎて発注が追いつかないほどになって。同僚たちから「すごいね!」となかば尊敬されたのですが、でも僕は嬉しいどころか、張り合いがなくてガッカリしてしまったんです。下手くそなラテアートをしても同じように「すごい」と言われるし。「俺、ここで成長できるのかな……」と不安になって。
●期待が大きかった分、そのギャップに打ちひしがれたのですね。
きちんと教えてくれるひとがいなかったことも、もの足りなかった。で、そのコーヒーチェーンのなかにもラテアートが上手いことで有名なスタッフたちが何人かいて、そのうちのひとりが在籍していた池尻大橋の店舗に、人員の募集がかかったんです。応募して、そこで働くことに。コーヒーの知識が豊富なひともいたし、池尻大橋という土地柄さまざまなカルチャーが混ざり合う面白い場所でもあった。ようやく東京に来たという実感が湧いてきました。
さまざまな仕事場を渡り歩いて、コーヒーを極めようともがいてきた。ただ、LOBBYと出合い、ただひたむきに提供物を極めることに魅力を感じなくなった。
●ラテアートをはじめ、コーヒーについてそこでまなんでいくことができた?
そのつもりでしたが、コーヒーを極めるには、環境的に限界があるとも気づきはじめて。そんなおりに、池尻大橋にあるLOBBY(※1)へ初めて行ったんです。入ったとたん、ここで働きたいと一気に引き込まれました。空間がとにかくカッコよくて、ラテアートの実力で世界的に有名なバリスタも働いていて。すぐに、LOBBYの代表に相談しました。でも、深夜帯の営業もあるため当時僕が住んでいた場所から通うのは難しいと言われてしまって。そこで、渋谷にあるスペシャルティコーヒー専門店で働くことに。そこにも日本トップクラスの抽出技術を持つバリスタがいて、たくさん教えてもらい、どんどん成長している実感も持てました。本腰を入れようと渋谷にも近い池尻大橋へ引っ越したら、そのタイミングでLOBBYの代表から連絡があって。アルバイトの募集があるから働かないか、と。とんとんと決まって、コーヒー専門店とLOBBYを掛け持つことに。
※1:“ホテルのロビー”をコンセプトに掲げる池尻大橋のバー。“居酒屋以上オーセンティックバー未満”を目指すオリジナルの業態「ストリートバー」として、新しいお酒の価値を打ち出す。
●とにかく、コーヒーを極めたい一心だったわけですね。
ただ、LOBBYの代表からは、モノのクオリティだけを高めるのではなく、「提供物以外のところでどう見せるかを考えないとこれからは成功しない」「もっと違う目線も持ったほうがいい」とバッサリ言われてしまって。僕自身、LOBBYを初めて見たとき、トータルとしてのお店のカッコよさを目の当たりにしていたので、腑に落ちるところがありました。また、「どこかで一度社員として働くことを経験した方がいい」とも言われました。ちょうどその頃、コーヒー専門店の店長枠に空きが出たんです。代表のその言葉もあったので、店長になることを決意し、LOBBYを辞めることに。
●実際、社員になったからこそまなべたことはありましたか?
そうでもなくて。そもそも会社の方針が、どちらかというと「おいしいコーヒーをいかに広く届けるか」だったので、店長としてまなべると思っていた売り上げ戦略などについてあまりまなぶことができなかった。それに、もうその頃は、ただコーヒーを極めることに魅力を感じていませんでした。やっぱりLOBBYへ戻りたいと思い、「社員として働かせてほしい」と代表に相談しましたが、当時の僕のレベルでは社員採用するのは難しいと言われて。それでも諦めきれず、LOBBYまわりのいろんな方に相談をした結果、LOBBYとその姉妹店nephew(※2)の掛け持ちでアルバイトとして働かせてもらえることになったんです。
※2:池尻大橋にある『LOBBY』の姉妹店として、2021年代々木公園すぐそばに開業。昼はカフェ、夜はビストロ&バーと2つの顔を持って営業している。
これまで経験してきたことに、無駄だったと思うことはひとつもない。それぞれの場所で気づきを得たし、たとえばコーヒーの抽出理論は、いまカクテルを考える際に役立てられているから。
●経歴だけを見ると、いろいろな場所を短期間に転々とした印象を受けてしまいますが、ただ自分のスペックや成長したい願望がそれぞれの場所を超えてしまっていただけ。ある意味“失望”みたいなものが、ずっと原動力だったというか。
本当にさまざまなことに手を出しながら、さまざまな場所に身を置いてきましたが、無駄だったと思うことはひとつもなくて。それぞれの場所で気づきも得たし、たとえばコーヒーの抽出理論は、いまカクテルを考える際に役立てられていたりします。
●一方、それが飲食の現場であることは一貫していますよね。そこは、今後も変わらない予定ですか?
そうですね。ただ、さきほども話したように、おいしいものを突き詰めるだけにとどまらず、音楽や洋服といったさまざまな要素を使った空間演出を目指していきたいと思っています。
●そういう意味では、いまの職場はうってつけですね。
nephewは大元がデザイン会社なので、空間や見せ方にとくに気を遣っています。また、ストリートバーという業態ということで、敷居の高さもなくカジュアル。同世代のお客さんもたくさん来るので、刺激になりますね。
●今後とくに力を入れたいことはありますか?
飲食物以外の自己表現の方法として、昔から好きだった音楽が、いま自分のなかではよりアツくなっています。日々DJの練習をしたりして、とくに力を注いでいます。
●気になることにとにかく手を出し続けた結果が、全部、いまにつながっていますね。蓄積してきたことが、これからいろんなひとに伝播していきそうです。最終的に目指していることは?
「センスのあるオトナ」になることです!
Profile:桑原 和紀 Kazuki Kuwahara
1996年 福岡県生まれ。
学生時代に服や音楽、飲食などを通じたコミュニケーションに魅力を感じるように。大手コーヒーショップ、スペシャルティコーヒーショップで6年間バリスタとしての経験を詰む。&Supplyが体現する魅せ方とカクテルに置き換えた味の作り方に面白さを感じ、2021年5月 LOBBYでの勤務開始を皮切りに&Supplyにジョイン。
現在は&Supplyのヘッドバーテンダー、nephewのバーマネージャーとしてカクテル開発をはじめ、経営戦略、人材育成などの業務を任されている。「美味しい with 楽しい」「満足の先にある感動」の提供を志す。
趣味は音楽と写真、映画。そしてサウナ。毎週日曜の午前は近所のサウナに必ず足を運び脳内整理。
nephewに勤務しながら”Trigger”としてジャンルを問わない個人活動も開始。コーヒーケータリングや、最近ではラウンジDJとしての活動の場も増えてきている。
Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : mitsuharu yamamura(BOOKLUCK)
Photo : Masahiro Kosaka(CORNELL)
2023.10.10