CHAPTER vol.27【EAT】

上延 可怜 (25)

バリスタ、ソムリエ

コーヒーの世界では、つくり手と飲み手の距離が遠い。私はいつか、その距離を感覚的に縮める役割を担いたいと思う。文化やカルチャーとして、コーヒーを日本の日常に根付かせる。そのために、今後もさまざまな生産地へ足を運び、両者をつなぐための活動を地道に続けていきたい。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地について教えてください。
生まれ育ちは滋賀県大津市です。延暦寺の方にある父方の実家は代々蕎麦屋を家業にし、およそ300年にわたって付近のお寺や神社に献上してきたそうです。

●幼少期の出来事で印象に残っていることは?
8歳のときに母を亡くしました。父も毎日仕事で忙しかったので、家でひとりで過ごす時間が多かったですね。のちに父は再婚するのですが、その、義理の母にあたる方が、小学4年生から2年間、私の面倒を見てくれました。さまざまな経験と知識が豊富な方で、彼女の影響を大きく受けました。

●どういった影響を受けたか、具体的に教えてください。
いろんな飲食店へ連れて行ってもらったり、さまざまな家具やインテリア、洋服などに触れさせてもらったり。多方面で感性を豊かにしてくれました。彼女は私の人生のお手本であり、いままで出会ったなかでもっとも尊敬できる存在です。

●義理のお母さん自身は、どういった人物なのでしょう?
花道や茶道など幅広い趣味があり、仕事でも、いわゆるバリバリのキャリアウーマンといった感じでさまざまな業種に挑戦してきた方です。アパレルや飲食など、気になった業界にはすぐに飛び込んで、どんどん上り詰める。そしてひと通り自分が満足したら、「よし、次」みたいな。サバサバ感とバイタリティーあふれる行動力は、「同じ人間なのか……」と思わされるほどでした。


おいしいコーヒーを自ら提供し、伝えることで、ひいては造り手と飲み手をつなぎ、両者を幸せにすることができる。とても素敵な仕事だと思った。業界について知るために、大企業と個人店、それぞれに身を置いてみた。


●そうして受けた影響から、自分自身の意思でなにかを選び取るようになったのはいつ頃ですか?
高校を卒業したらすぐ自立したくて、就職して滋賀県を出ようと決めていました。それで、最初はアパレルに就職し、大阪でひとり暮らしをはじめたんです。義理の母も一時働いていたアパレル業界というものがどんな場所なのか、いちど見てみたいと思っていたんです。

●興味があったアパレル業界で実際に働いてみて、どうでしたか?
一企業で1年2ヶ月くらい店舗勤務しただけで、アパレル業界のほんの一部しか見ていないので一概には言えません。でも、その店舗には接客を楽しんでいるひとがほとんどおらず、むしろ「働かされている」と感じているようなひとばかりでした。働くひとも、お客さんも、どちらもハッピーじゃないような気がして。私はとくにひとと接することが好きだったので、「このままだとロボットになってしまいそう……」と思って。それで退職して、今度はコーヒー業界へ。

●どうしてコーヒー業界へ?
おいしいものを自分の手で提供し、伝えることで、ひいてはつくり手と飲み手をつなぎ、両者を幸せにすることができる。とても素敵な仕事だと思いました。じつは、その頃までコーヒーは苦手で、興味もなかったんです。でも、ひとり暮らしをはじめてからカフェへよく行くようになって。あるときコーヒーを試しに飲んでみたら、意外と飲めることがわかったんです。それが嬉しくて、行くたびに飲むように。そのうち、好みの豆や飲み方などといった違いを感じはじめて、ますますのめり込んでいきました。

●そして、いつしかコーヒー業界で働いてみたいと思うようになったと。どんな場所で働くことにしたのですか?
はじめは、上島珈琲のカフェ業態にアルバイト入社しました。焙煎機があり、ちゃんと自分の手でコーヒーを淹れられること、また福利厚生がしっかりしていることが決め手でした。その後、大手企業以外のことも知りたくなって、個人店へ。そこも自家焙煎をやっていて、また、クラフトビールや焼き菓子、料理も出すお店でした。

●業界を見てみたい可怜さんらしい選択ですね。大企業と個人店、両者にはどんな違いを感じましたか?
大企業では、最低限“守られている”感覚がありました。働き方も環境もきちんとセッティングされているので、基礎を学んだり固めたりしやすかった。個人店は、個性豊かなひとが集まりやすい刺激的な場所でした。やりたいことにもフレキシブルで、素早く動ける。それぞれによさを感じていました。


オーストラリアのメルボルンへ、ワーキングホリデーに出ることを決めた。そのためにアルバイトを5個掛け持ちしてお金を貯め、ビザも航空券も保険も準備して、換金も終え、完璧に準備が整えた。そんなとき、コロナの流行がはじまってしまった。


●そうした場所で働きながら、やりたいことやなりたい姿も見つけられましたか?
いつか自分の店をつくってコーヒーを出せたらいいなと、当時は考えていました。そのためにも、とにかく業界を見てみたい、そしてコーヒー文化が根付く海外へ足を運び、そのカルチャーを感じたい、という思いが強かったですね。

●アパレル企業で働きはじめるときと、同じ動機ですね。
やりたいことをやるうえで、客観的にその世界を見てみたい。なにをやるにせよ、それは一貫しているのだと思います。

●アパレルのときと違うのは、たんに業界を客観視するだけでなく、自分の好きが見つかり、のめり込んでいったことでしょうか。その後について聞かせてください。
コーヒーについて調べたり、ひとに訊いたり、たくさん検証したり、夜行バスで東京へ行き、コーヒーショップを練り歩いたり……。とにかく貪欲に向き合いました。2019年には、エアロプレスの大会に出場。「みんなで出ようよ!」と周りの友達が誘ってくれて、「とりあえず出てみようかな」くらいの気持ちでエントリーして。でも負けず嫌いな性格なのもあって、いざ出場を決めたからにはと、練習や検証にのめり込んでいきました。そして、大阪大会では結果を残すことができた。なにより、それをきっかけにコーヒーの味や本質を突き詰めることが、より楽しくなりました。また、「五感を使って食を楽しむ」みたいなことも意識するようになり、ワインやクラフトビールに興味を持つようにも。

●より突き詰めようと、選んだ道は?
オーストラリアのメルボルンへ、ワーキングホリデーに出ることを決めました。そのためにアルバイトを5個掛け持ちしてお金を貯め、ビザも航空券も保険も準備して、換金も終え、完璧に準備が整えました。そんなとき、コロナの流行がはじまってしまったんです……。


上京して働きはじめたのは、自家焙煎コーヒーも提供するワインショップ。コーヒーだけを突き詰められる環境ではないだろうと、葛藤はあった。でも同時に、高い品質やサービスを提供し、それでだれかが喜んでくれる。それは変わらないと思った。


●日本にとどまるしかなくなったわけですね……。そのまま働いていた店に残ることに?
いえ、急遽京都へ移住することになったんです。その後、ロックダウンが緩和されはじめた頃から、京都のホステルLen Kyoto Kawaramachi(※1)のカフェポジションで働くことになりました。

※1:京都・河原町にある世界中の旅人とローカルが交わるカフェバー併設のホステル。

●大きな一歩が、土壇場で閉ざされてしまったわけで、とても折り合いをつけるのは難しかったはずです。そのときの率直な心境は?
そのときは、「そういうことだったのかな」と割り切ったような気持ちもあって。深く傷ついたり、病んだりとか、そういうのは意外となかったですね。どうしようもないし、「なにかまたいいことがあるだろう」って。ただ、それから2年経っても社会の状況がほとんど変わらなかったので、さすがに、このままではいけないなと。それで、環境を変えようと、2021年に東京へやってきました。

●状況が変わらないから、変化を求めて自ら動くことにしたのですね。
東京には一度住んでみたいと思っていたので、計画は抜きに、とりあえず上京してみました。上京後ももちろんコーヒーをやるつもりでしたが、縁あって、自家焙煎コーヒーも提供するナチュラルワインショップで働くことに。

●縁もしかりですが、そこで、自分のやりたいことができそうだとも思った?
コーヒーの設備がきちんとあって、自家焙煎をしている一方で、とはいえ母体はワインショップ。コーヒーだけを突き詰められる環境ではないだろうと、葛藤はありました。でも、高い品質やサービスを提供し、それでだれかが喜んでくれる、というのは変わらないと思ったんです。

●扱うものがコーヒーでもワインでも、可怜さんが重きを置いていたことは、いずれにせよ叶う環境だと思えたわけですね。
実際、そこでお客さん同士がつながったり、カルチャーが目の前でできあがっていく光景が、心地よかったりもして。

●ワインに興味が湧いてきたりもしましたか?
せっかくなので、ソムリエの資格を取得してみようと思って。思い立ったタイミングは、試験までもう1ヶ月ほどしかなかったのですが、毎日猛勉強し、合格することができました。また、たまに個人的で参加していた地方イベントなどでも、コーヒーとワインを両立するように。


コーヒーの世界では、つくり手と飲み手の距離が遠い。私はいつか、その距離を感覚的に縮める役割を担いたい。文化やカルチャーとして、コーヒーを日本の日常に根付かせたい。そのために、今後もさまざまな生産地へ足を運び、両者をつなぐための活動を地道に続けていきたい。


●エアロプレスの大会のときも、ソムリエの資格取得のときも、きっかけは外的要因でも、そうと決まれば全身全霊で取り組んで結果を残してしまう。というのは共通していますね。
お尻を叩かれると、ドライブがかかる。そういうタイプなのかもしれません(笑)

●そうやって、次へ次へと道を拓いてきたわけですね。これからの展望についても聞かせてください。
働いていたナチュラルワインショップを退職して、2ヶ月間フランスへ行くことになりました。これまで2年間ワインにも携わってきたので、現地を見てみたくて。向こうに行ったら、生産者を訪れ、収穫のお手伝いなどをさせてもらう予定です。その後は、オーストラリア行きに再挑戦しようと考えていて。ワインの世界も魅力的ですが、やっぱり、私はコーヒーが好き。そしていま私に必要なのは、海外に根付くコーヒー文化に身を置くことだと思っています。

●というと?
オーストラリアでは、だれもが毎日コーヒー屋さんへ行って、「今日も頑張ろう」と1日をスタートします。昼に休憩で1杯、そして仕事終わりにまた1杯。それが当たり前の日常です。でも日本では、いくらコーヒーのシーンが盛り上がっているとはいえ、そうした日常を送る母数が圧倒的に少ないと感じられます。

●それはどうしてだと考えていますか?
ワインは、葡萄の生産が日本でもおこなわれていることもあって、日本人にもいくらか身近です。それに、生産から提供までの物理的距離も意外と近い。だから、背景やストーリーがより伝わりやすい。一方コーヒーの世界では、生産、精製、輸入、焙煎、抽出、と多くの工程を経る分、より多くのひとが関わり、そのためつくり手と飲み手の距離がかなり遠い。私はいつか、その距離を感覚的に縮める役割を担いたいと考えています。文化やカルチャーとして、コーヒーを日本の日常に根付かせたい。そのために、今後もさまざまな生産地へ足を運び、両者をつなぐための活動を地道に続けていきたいです。

●いずれ自分の店を持ちたいとも考えていますか?
ただ自分の店を出したい、という気持ちは少なくて。いずれは地方で暮らすことも考えていますが、たとえば、自分がそこに店を持つことで、街が活性化していく可能性がある。そこに暮らすひとたちがハッピーになる可能性がある。そんな風に感じるかどうかが決め手になりそうです。そんな街が見つかったとき、自分の店を持つかもしれません。

Profile:上延 可怜 Karen Uenobu

人の生活になくてはならいもの、”衣” “食” “住”。
その中でも食べるものは毎日口にし、体内にいれるもの。唯一五感を刺激するもの。
わたしはそんな”食”にとても執着心があり、日々の中で自然と大切にしていることのひとつです。

そんな”食”に纏わるものが誰かの小さな幸せを生み、紡ぎ、そして広がっていく。

今日も美味しいと心地良いが同居する場づくりを目指して、ひとりひとりのニーズやシチュエーションに合わせた提案ができるプレイヤーでありたい。

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Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : mitsuharu yamamura(BOOKLUCK)
Photo : Masahiro Kosaka(CORNELL)

2023.12.5