CHAPTER Vol.3 【MAKE】

宮舘 大 (24)

CHEERFUL WEDNESDAY Director / PADDLERS COFFEE Barista

いつまでも服とか音楽とか自分の好きなものを増やしていきながら、好きなことを長く続けていきたい。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。



●出身地はどちらですか?
宮城県仙台市です。

●幼少期はどのように過ごされていましたか?
家の近くの公園で近所の友達とよく外遊びをしていました。学校の友達というより同じ市営住宅に住んでいた友達と遊んでたので、今考えたら年とかみんなバラバラでしたね。小学5年生くらいのときに野球を習い始めてそれからは中学を卒業するまでずっと野球をしてました。

●ご両親はどのようなお仕事をされていたのですか?
どちらも看護師をしていました。今では父は介護系の仕事をしていて、母は看護の仕事を続けています。姉と妹がいるんですけどお姉ちゃんも看護師をしていて、おばあちゃんも昔は看護師だったので医療一家なんですよね。

●ご両親から受けた影響はありますか?
なんだろうなあ(笑)。パッとは出てこないですけど、威厳があるわけでもないし、厳しく言われた記憶もないし、良い意味で自由放任な環境だったので自分のやりたいことを自由にやらせてもらえたことですかね。


何事もほんとにシンプルにやってみないとなっていう感覚を掴めたことですかね。


●学生生活はどうでしたか?
高校時代は部活一筋でした。全然詳しくはなかったですけど服が好きという理由で私服の高校に進学しましたね。あっという間に高校生活が終わってとりあえず大学には行かないといけないけど、特別行きたい学校があるわけでもなければ、したいこともなかったので家系的に医療系の大学に進学することにしました。

●学生時代はどのようなことを学びましたか?
結果的に1年生が終わり大学を辞めているんですけど、自分が入学する年に臨床工学科という学科が新たに設置されて、その1期生になることで就職に有利になる、みたいな話しもどこかで聞いていたので単純にその学科に入りました(笑)。

●実際に入学してみてどうでしたか?
ほんとつまらなくて(笑)。そもそも義務教育ではないから、自分で意欲を持って専門的なことを学ばないといけないわけですけど、いかんせん全く興味がない分野だったので、、、今の自分だったら全然知らないことでも興味を持って話しを聞こうとするだろうけど、当時はそれを悪だと思ってましたね(笑)。

●実際に経験したから分かったことでもありますよね。
そうですね。綺麗にいうとこんな思いや考えで人の命に携わる仕事をしてもいいのかなという、想いも正直少しはありました。なので学生時代の学びで言うと、何事もほんとにシンプルにやってみないとなっていう感覚を掴めたことですかね。


今焦って就職のために何かをしなくとも、自分の好きなことを楽しく仕事にしてる人もいるんだなあということを感じられたのが大きな学びであり、学生である意義を考えるきっかけにもなりました。


●大学に入って良かったなと思うことはありますか?
ありますね。大学内にはいかにもガリ勉みたいな真面目な人しかいなくて、自分が想像していた学生像ではなかったので友達がほんとにできなくて。ただ大学進学のタイミングで『J.S. FOODIES』(※1)というベイクルーズ系列の飲食店でバイトを初めて、そのお店での人との出会いは大きいですね。それまでは高校生だから年上と遊ぶことはほとんど無かったんですけど、自分より5歳も20歳も年上の人が自分と同じくらいの時給と勤務時間で生活できるんだなあとか考えて。今焦って就職のために何かをしなくとも、自分の好きなことを楽しく仕事にしてる人もいるんだなあということを感じられたのが大きな学びであり、学生である意義を考えるきっかけにもなりました。

※1:JOURNAL STANDARDが提案する、こだわりのハンバーガーやサンドウィッチ、ワッフル、フレッシュで飲み応えのあるスムージーなど、専門店の味わいを楽しむことのできる”食のセレクトショップ”。

●偶然そのバイト先だったからこそ感じ取れたことかもしれないですよね。
やはりベイクルーズの系列ということもあり、服とか食とか色んなカルチャーに感度が高く話の合う人が多かったのはあります。先輩と一緒にご飯に行ったり、社販で安く服を買ったりと楽しく日々を過ごすことが出来ました。

●何がきっかけで退学されたのでしょうか。
入学当初からつまらなさを感じていたのはあるんですけど、沸々と日々を過ごしてる中で辞めることを決断した出来事があって。大学1年生の春休み前のレポート提出でグループ毎に実験をしてまとめて提出するという形式だったんですけど、何故か自分だけ再提出になり休み中に来てください、みたいなことを言われて。みんなと同じことをして変わらない内容で提出したはずなのにそう言われて、「一体おれは何をしてんだろう」って(笑)。興味もないレポートのために休みを削ることがよく分からなくて、ああもういいやと思って辞めることを決意しました。

●ご両親の反応はどうでしたか?
辞めたいという意志はきちんと伝えないといけないと思っていましたし、ただつまらないとかやりたくないとか形的に逃げるのは嫌だったので、アパレルを仕事にしたいという前向きな理由で伝えたらすんなりと理解をしてくれました。決断をしてから2カ月くらいで辞めてるんですけど、今でも思い立ってから行動に移すまでの勢いは大事だと思います。


小さな個人店ということもあり働き方が新鮮で楽しくて。いつも同じメンバーでお店を回して、新たな出会いも沢山生まれて。今振り返るとその時はすごい頑張っていたなと思いますね。


●その後はどのように過ごされたのですか?
大学を辞めてすぐに中途採用の社員としてユナイテッドアローズに入社しました。自分もちゃんと確認していなかったのが悪いんですけど、配属先がアウトレット店舗ということもあってすごい暇だったんですよね。色々業務とかあるけど毎日服を畳んでばかりで、理想と現実のギャップが大きくて。まあそれも言い訳ですけど(笑)。そういう意味では当時は結構不安でした。大学を辞めて周りのみんなは3年後に会社に入るわけで、自分もその時までに何かを成し遂げないといけないという気持ちはあったので、意外と同い年の学生を意識していたのはありますね。

●退職後はどうされたのですか?
そこからコーヒーの道に入りました。正直辞めるときに次に何をしようか何も考えていなくて、ただ漠然とカッコいいことをしたいとは考えていたんですけど。それまで月に1度くらいのペースで東京に遊びに行ってたりもしたので、当時たまたま『POPEYE』に載っていた情報をもとにコーヒー屋さん巡りとかをして(笑)。それまではドトールとかスタバしか行ったことがなかったので、東京で『ONIBUS COFFEE』(※2)や『FUGLEN』(※3)を訪れて、こういう仕事もあるんだという気持ちになり、コーヒーショップの求人を探し始めました。実際に仙台のコーヒーショップに応募したのですがタイミングも合わず断られてしまい、お金も無くなっていく一方でひとまず何かバイトを始めようとしたときにかつてのバイト先の先輩に紹介をしてもらったのが成沢くん(※4)だったんです。

※2:「コーヒーで、人と人をつなぐ」をコンセプトに、現在は都内に5店舗、ベトナムホーチミンに1店舗を運営。トレーニングやワークショップなど行いながらアフリカや中米のコーヒー農園に積極的に訪れ、現地との持続的な取引を大切にしながら、素材のトレーサビリティを明確にする活動を積極的に行う。
※3:最高品質のコーヒーを焙煎するマイクロロースター。 季節毎に新鮮で最もおいしいコーヒーを、世界中の農園から最も透明性の高いルートで購入しコーヒーを提供する。
※4:エアロプレス選手権世界第2位。現在は両国にある『Single O Japan』にて焙煎士およびバリスタを務める成沢 勇佑氏。

●実際にお会いしてみてどうでしたか?
夜の7時くらいにベローチェで初めましてをして、当時は内心「あ、ベローチェなんだ」とか思ってたんですけど(笑)。ちょうどそのタイミングで成沢くんが東京の両国にある『Single O』に転職予定ということもあり、ちょうど入れ替わる形で仙台の『CYAN』というカフェで働き始めました。『CYAN』では1年半くらい働いたのですが、小さな個人店ということもあり働き方が新鮮で楽しくて。いつも同じメンバーでお店を回して、新たな出会いも沢山生まれて。今振り返るとその時はすごい頑張っていたなと思いますね。


もちろん味は大事なんだけど、それよりもお店の雰囲気や働いている人、お店で流れている音楽とかそれらが結びついてのコーヒーカルチャーだし、自分はそういうお店が好きですね。


●『CYAN』を卒業されてからはどうしたのですか?
仙台で働きたい場所が見つからなくて、もう少し外の世界を見たいなと思い、海外に行くか東京に行くか悩んだんです。最終的にお金もないし英語もできないし、東京に行くことを決めました。仙台の家は先に引き払い退去ギリギリのところで入社が決まったのが東京の蔵前にある『Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE』(※5)でした。他にもコーヒーショップは何社か受けたのですが、唯一受かったのが『Nui』ということもあり入社を決めましたね。

※5:2012年開業のホステル兼バーラウンジ。玩具会社の元倉庫を改装したホステルは外国人旅行者を中心に世界中から人が訪れる。一階スペースは宿泊客以外も利用可能なラウンジとなっており、昼はカフェ、夜はバーとして地元の人や宿泊客で賑わう。

●実際に『Nui.』に入社してみてどうでしたか?
面白かったです。それまではカフェでドリンクをつくる業務がメインだったんですけど、『Nui.』に入ってからは最初に館内(ホステル)の掃除をしたり、キッチンでご飯を作ったりと、正直「何しに東京に来たんだろ」みたいな気持ちはありましたが、色んな年齢、国籍の人が沢山いることがすごい楽しくて。朝までみんなで飲んで遊んでみたいな感じで素直に楽しんでましたね(笑)。

●魅力的な空間ですよね。
でも実は入って3日後くらいに辞めようかなと思ってたんですよ(笑)。結果どんどん楽しくなってきちゃって2年くらい働いたんですけど、もともと1年くらいで辞めて海外に行く予定だったんです。でもそのタイミングでコロナが起こり、海外に行くのを延期したんですよね。延期を決めた時期くらいからこの場所で働くモチベーションが薄まってきて自分的にも良くないなと思い、『PIZZA SLICE』(※6)や『OHKA THE BESTDAYS』(※7)でも働き始めたのですが、大きく環境を変えようという考えのもと『PADDLERS COFFEE』(※8)に入社しました。

※6:スライス売りのピザ屋。ピザの味はもちろん、外観や内装まで徹底的にこだわり抜かれた店舗は単なるピザ屋ではなくカルチャーの発信地となっている。
※7:皮から手作りするこだわりの餃子はもちろん、種類豊富なクラフトビールも人気で連夜さまざまなお客で賑わう中目黒のヒップな餃子屋。
※8:アメリカ・ポートランドの「Stumptown Coffee Roasters」の新鮮な豆を直輸入して使用している日本唯一のコーヒーショップ。コーヒーが溶け込む日常を自然と感じられ、店舗に併設したギャラリースペースではアーティストの展示などが開催される常にあたらしく、誰にとっても刺激的な空間。

●これまで色々なコーヒーショップで働かれてきたと思いますが、コーヒーに対する考え方に変化はありましたか?
ロースターで働いていたらまた大きく違ったんだろうなとは思うんですけど、一貫してコーヒーコーヒーしていないというか。もちろん味は大事なんだけど、それよりもお店の雰囲気や働いている人、お店で流れている音楽とかそれらが結びついてのコーヒーカルチャーだし、自分はそういうお店が好きですね。


ただ自分のコンテンツを持って何者かになりたかったんだと思います。コーヒーはみんなやってるし、服もみんなやってますけどプリントティーよりも糸から自分で選んでやりたいと思ったのがきっかけですかね。


●現在はコーヒー以外に『CHEERFUL WEDNESDAY』(※9)という屋号で自身の活動もされていると思いますが?
ブランドを立ち上げたのはまさにコロナ期間中で一昨年の夏頃に動き始めました。もともと一つの明確な目標に色々準備をして熱量を注ぐタイプでは無かったんですけど、当時はシンプルに時間もあり自分の中で何かを始めたいという想いがあって。それが何かは分からなくて色々と探したときにたまたま見つけたのがデザインだったんです。パソコン1台で出来てしまうし。

※9:オリジナルマルチボーダーのカットソーをメインアイテムとするライフスタイルブランド。アパレルに限らず、「CHEERFUL WEDNESDAY」の世界観を多様なアイテム群に落とし込んで提案していく。

●デザインというと服以外にも色々なものがあると思いますが?
そういわれてみると何故服にしたのかパッと出てこないんですけど、ただ自分のコンテンツを持って何者かになりたかったんだと思います。コーヒーはみんなやってるし、服もみんなやってますけどプリントティーよりも糸から自分で選んでやりたいと思ったのがきっかけですかね。

●活動を初めてみて何か変化はありますか?
面白い。反面、同時に生きることって大変だなあということを感じた一年間でしたね。普通にただ生活してるだけなら週5でどこかに勤めてたまに遊んで好きな服を買って何も不自由はない。それっていい意味で何も考えなくていいわけだけど、今自分がしていることはある程度の資産が無いとできないことでもあるので、そのバランスを取ってやり続けるのがすごい大変だなと感じました。


そこまでクイックに動くというタイプではないので、もっと先にあるビジョンに向けてどう動いていこうかなみたいなのは常に考えていますね。


●色々な活動に取り組む中で大事にしていることや意識していることはありますか?
なんでもそうだけど早くにはじめることや、好きなものを見つけることは自分にとってプラスでしかないし、大事なことだなと最近は強く感じます。ただそこまでクイックに動くというタイプではないので、もっと先にあるビジョンに向けてどう動いていこうかなみたいなのは常に考えていますね。

●これからやりたいことはありますか?
ティーシャツは作り続けたいですね。あとは来年くらいには海外に行けたらいいかなと考えてはいるので、それまでにどれだけアイテムを出して、今活動するための資金も海外で自由に使えるお金も見据えて活動に取り組んでいこうとしています。実は今服以外のプロダクトも作っていて、消臭効果のあるウッドブロックに自分で焼き印を付けて、服に不随するアイテムとして2月くらいにローンチを考えています。もうひとつあって木彫りのオブジェみたいなものも作ろうと考えてて、その準備を始めているところです。

●自分の中でモノづくりとはどういう行為なのでしょうか?
なんでしょうね(笑)。ただただ手を動かすのが好きなんですよね。きっとなんでもいいんだろうけど、小さいときから木が好きで父親がもともとDIYがすごい好きということもあり、家に工具や作業スペースがあったのがきっかけかもしれないです。昔はよく廃材を持ってきて釘を打ち箱を作ったりしてました。


常にやりたいことをやるなかで色んなものを見つけている感じです。自分の中で昔ほど焦りは無くなってきているし、好きなことはいつでもできるなぁみたいな感覚があります。


●服と木。同じモノづくりでも全然性質が異なるのではないでしょうか?
特に考えたことは無かったですね。常にやりたいことをやるなかで色んなものを見つけている感じです。自分の中で昔ほど焦りは無くなってきているし、好きなことはいつでもできるなぁみたいな感覚があります。ゆっくり無理をしない、ということですね。

●これまで生きてきた人生の学びは何でしょうか?
謙虚であること。素敵だなと思う人とかいいなと思う人には共通して謙虚さがある。やっていることは尖ってるんだけど、人は尖っていないみたいな。自分のなかでそれがかっこいいと思っています。

●最後に将来の夢を教えてください。
湖のふもとで大きな犬を連れたおしゃれなおじいちゃんになることですかね(笑)。いつまでも服とか音楽とか自分の好きなものを増やしていきたいですし、好きなことを長く続けていきたいです。


宮舘 大 Dai Miyadate

1998年宮城県出身。地元仙台や東京でバリスタとしてコーヒーをサーブする傍ら、2021年に自身のブランド『CHEERFUL WEDNESDAY』を立ち上げる。アパレルをはじめとする様々なプロダクトを提案、その他ショップやブランドにグラフィックを提供。現在は幡ヶ谷の『PADDLERS COFFEE』の系列である中野の『LOU』にてバリスタを務めながら『CHEERFUL WEDNESDAY』のプロダクトデザインや個人制作を続けている。

Instagram
Facebook


Text : Gaku Sato
Photo : Gaku Sato
Interview : Gaku Sato

2022.02.13