CHAPTER vol.31【EAT】

中澤瑠梨 (28)

La mela代表

La melaのジュースがたくさんのひとにおいしいと言ってもらえている、とつくり手たちが知ることで、「そもそものりんごも、本来自分たちが設定したい値段で売ってもいいんじゃないか?」と、あるべき方向に考えが向かうことがうれしい。長野の景色や自然のゆたかさが、これから先もずっと続いてほしいと思う私にとっても、それはとても意味のあることだから。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地について教えてください。
長野県安曇野市です。見渡せば360度を山に囲まれているような場所ですが、イオンがあったりする、田舎のちょっとした繁華街で。実家は、曽祖父の代から飲食業を営んでいます。

●子ども時代はどんなことをして過ごしていましたか?
近所の湧き水が出る池や小川で弟と一緒にサワガニを獲ったり、知り合いのおじちゃんのわさび畑で遊ばせてもらったり。あと、叔母がりんご農家なので、農作業を手伝ったりもしていました。

●実家が飲食業を営むということは、まわりには大人が多かったのでしょうか?
実家にお店がくっついていて、父や祖父の知り合いがよくうちに来たりしていました。バー営業もしていたので、そこに私もたまに顔を出して、知っているお客さんとお話ししたり、お料理を配膳したり。いわゆる核家族よりも、コミュニティーみたいなものは広かったかもしれません。

●そうした環境にいたことで、なにか影響を受けたと感じますか?
人見知りしない性格になったのは、そのためかもしれません。あと、変に取り繕ったりしないとか。

●実家で過ごしたのはいつまでですか?
高校卒業までです。高校は、実家から電車で20分ほどの松本市の学校でした。


当時の松本は、芸術でも音楽でもファッションでも、同世代がすごく盛り上がっていたタイミング。とくに私のまわりにはファッション好きが多く、自分たちでなにかをやってみようというような雰囲気もあった。服好きの大人たちのイベントに誘われて行ったり、部活終わりに朝までクラブで遊んだり、そんなことを楽しんでいた。


●高校生活について、印象に残っていることを聞かせてください。
中学から高校へ上がる時期、家庭環境が荒れていたこともあって、逃げ場所を探すようにダンス部に打ち込みました。松本市にある高校って、各校が持ち回りでクラブハウスを使ったダンスイベントを主宰する文化があって、私たちも自分たちでイベントを企画したりしていました。

●ほかにも力を注いだことはありますか?
ファッションでした。当時の松本って、芸術でも音楽でもファッションでも、同世代がすごく盛り上がっていたタイミングで。とくに私のまわりにはファッション好きが多く、自分たちでなにかをやってみようというような雰囲気もあって。服好きの大人たちのイベントに誘われて行ったり、部活終わりに朝までクラブで遊んだり、そんなことを楽しんでいました。

●その土地のカルチャーをたっぷりと享受していたのですね。
松本は昔から学生運動も盛んだった場所で、私が通っていた高校も含めて、公立高校なのに私服のところが多かったりします。だから、当時からファッションも楽しめていたというか。

●伝統を大切にしながら、同時に、先進や自由さみたいなものを積極的に取り入れているイメージがあります。
当時、20代後半から30代前半くらいの大人たちが集まった「松本盛り上げ隊」というグループがあって、そうしたひとたちがまた10代とも交流して、シーンを盛り上げていましたね。


「高校生は高校生らしくしなさい」というような抑圧があるなか、「自分たちはこういうことをしたいんだ」という、反骨精神というか、同じ意志を持つ仲間たちのなかにいたという意識はあった。


●なかでも影響を受けたひとはいますか?
一個上の代ですね。高校生でも参加できるクラブイベントを企画したり、ウェブメディアを立ち上げたり、ファッションショーをしたり。あるひとは、行政の許可を得ながら松本城でのファッションショーを成功させていた。そんな背中を見ながら、「高校生でもこんなに大きなことができるんだ」って、そんなことを感じていました。

●そうしたシーンや仲間のなかに自分もいたという、矜持みたいなものもありますか?
「高校生は高校生らしくしなさい」というような抑圧があるなか、「自分たちはこういうことをしたいんだ」っていう、反骨精神というか、同じ意志を持つ仲間たちのなかにいたという意識はありました。

●抑圧された感情や行動を発散するのが、ダンスやファッションといった自己表現だったわけですね。
いまもそうですが、私はものづくりができないので、そうじゃない方法で、自分の意志をなにかに反映したい。その対象が、そうした活動だったのかもしれません。

●その当時から、現在の姿を思い描いてもいましたか?
PRの仕事をしたいって決めていました。だから、デザイナーをやろうとしている友達がファッションショーをやりたいと言えば手伝っていたし、巡ってきたもので自分がやりたいと思えることは、ぜんぶやってきました。


当時の私は、どれだけファッションそのものへの熱があって、どれだけコレクションブランドを知っているか、そうしたことが重要と考えていた。でも学校には、本当にいろんな子がいて、彼らを見ていると、どれだけファッションが好きかは、あまり関係ないように思えた。そのひとがなにを着ているかでは判断できないと思った。


●PRの仕事に就きたいと考えるようになったきっかけは?
高校時代はとくにコレクションブランドを見ることに夢中になっていて。それで、ファッションに携わる仕事をいろいろと調べていたときに見つけたのが、PRの仕事でした。自分は、なにか服を通して表現したいわけじゃないから、スタイリストじゃない。バイヤーみたいになにかを買い付けて店をやりたいわけじゃない。それよりも、自分が魅力的だと思うブランドを、裏方として支えたい。世に広める仕事をしたいと思ったんです。

●自分の好きや性に合うことが、わりと明確にあったのですね。
コレクションブランドといっても、ぜんぶがぜんぶ好きなわけじゃなくて、つくり手の思いや背景に共感できるブランドが好きでした。いい革を使い職人を大事にしながらものづくりをするブランドや、創始者の遺志を継ぎながらいまの時代に向けて打ち出しているブランド、そうした物語やフィロソフィーが伝わってくるブランドに惹かれていた。

●実際に自分が手に取って着るブランドもしかりですか?
もちろんそうですね。購買活動って、投資活動じゃないですか。そのブランドが長く続いてほしいと思って、私は購入します。

●高校を卒業してからのことについて聞かせてください。
ファッションの専門学校へ進みました。長野であれだけのことをやったから、東京でも自分はどんどん成長していくぞ、みたいな気持ちで上京したんですけど、甘くはなかったですね……。

●どうしてそのように感じたのですか?
当時の私は、どれだけファッションそのものへの熱があって、どれだけコレクションブランドを知っているか、そうしたことが重要と考えていました。でも学校には、本当にいろんな子がいて、彼らを見ていると、どれだけファッションが好きかは、あまり関係ないように思えたんです。ギャルもいればギャル男もいたし、いわゆるヤカラみたいな子でも、考え方がすごく面白かったりして、本当に衝撃でした。それこそ、そのひとがなにを着ているかでは判断できないと思いました。


La melaのジュースがたくさんのひとにおいしいと言ってもらえているとつくり手たちが知ることで、「そもそものりんごも、本来自分たちが設定したい値段で売ってもいいんじゃないか?」と、あるべき方向に考えが向かうことがうれしい。長野の景色や自然のゆたかさが、これから先もずっと続いてほしいと思う私にとっても、それはとても意味のあることだから。


●その後の進路について聞かせてください。
19歳のとき、ファッションPRの会社でインターンとしてPRの仕事に就きました。また、卒業後に就職した会社は欧州のファッションブランドで、そこでもPRを担当。その後も27歳までPRの仕事を続け、2023年に独立しました。いまもファッションPRの仕事は続けながら、りんごジュースのブランド・La mela(※1)の代表としても活動しているところです。

※1:長野県中信地区の同一畑のりんごのみを使用し、県内で搾汁・瓶詰めした100%ストレートりんごジュースブランド。「Your choice made future of us」をコンセプトに、生産者そして消費者と、未来を創造する。自然で美味しいりんごジュース作りをしながら、県内農家の人手不足や高齢化、加工用作物の安価な取引などの改善にも努める。

●La melaをスタートしたきっかけは?
りんご農家の叔母の話はしましたが、高齢化やロスの問題、また、どんな育て方をしてもほぼ一律で値段が決まってしまうこと、それならとりんごジュースをつくっても、農作業しながら販路を開拓して売っていくのは実際のところかなり難しいこと、そうした状況を物心ついた頃から見てきて、どうにかしたいと思いブランドを立ち上げました。La melaでは、ブランディングをはじめ、経営、生産管理まですべてをひとりでおこなっています。

●ファッションの仕事をしてきたからこそ活かせる知見があったり、反対にギャップを感じていたり、そうしたことはありますか?
PRの仕事では、これまで欧州のファッションブランドを中心に担当してきました。欧州って、自分たちが持っている文化を外へ発信するのがものすごく上手なんです。ファッション以外でも、たとえばワインなら、つくり手がいて、広めるひとがいて、各国にはインポーターがいて、だから失われずにおいしいものを届けることができる。そういう土壌が整っています。でも、農業を家業にしていくのってすごく難しくて、日本の農業には、いまそこが足りていないと感じています。

●仕事でやりがいを感じているポイントは?
つくり手の意思がより広く伝わったときや理解を呼んだときはもちろんですが、逆に、伝わった結果、つくり手の考え方や反応が変わってくることにも喜びを感じています。たとえばLa melaのジュースがたくさんのひとにおいしいと言ってもらえていることを知ることで、「そもそものりんごも、本来自分たちが設定したい値段で売ってもいいんじゃないか?」と、そうあるべき方向に考えが向かったり。長野の景色や自然のゆたかさが、これから先もずっと続いてほしいと思う私にとっても、それはとても意味のあることなんです。

●「そのブランドが長く続いてほしいから買う」という想いにも通ずるところがありそうです。
そうですね、ファッションでもそうじゃなくても、自分のなかでは繋がっていることかもしれません。でもだからこそ、何でもいいわけじゃないというか。いまは、そのものの本質がなくても売れる時代にありますよね。でも、自分が伝え広めたいのはそうしたものじゃなくて、やっぱりあくまで、物語やフィロソフィーがあるものなんです。

●最後に、これから見据える先について聞かせてください。
これからもファッションの仕事は続けていきたいと思っています。一方La melaは、いま2年目で、30以上の店舗(24年7月時点)に使っていただいています。どれもが本当に素敵なお店で、というのも、きちんと直接会ってお話しして、「長くお付き合いさせていただきたい」と思えるところだけに卸しているから。そうするとまた、新しい素敵なお店から声をかけていただけたりするんです。そうしたことを積み上げていくように、これから先も続けていきたいと思っています。


Profile:中澤 瑠梨 Luna Nakazawa

長野県出身。1995年生まれ。
欧州のブランドでPRとして経験後、2022年独立”La mela”創業。
叔母が農家という背景から生産者の課題改善に向け運営している。

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Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : mitsuharu yamamura(BOOKLUCK)
Photo : Masahiro Kosaka(CORNELL)

2024.7.14