CHAPTER vol.41【THINK】

榊 風人 (27)

八百屋

ふと、“食”も表現なんじゃないかと思った瞬間があった。あらゆるものがアートや表現にかならず結びつくとするなら、“食”は唯一、ひとの体のなかに直接入っていって、言葉通り“吸収される”。それがめちゃくちゃ格好いいなって。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●人生を遡ると、現在の自分を形成した発端には、なにがありそうですか?
転勤族だったことだと思います。生まれは大阪ですが、半年後に埼玉へ、そのあと愛媛へ行って、小学校5年生のときにシンガポールへ行きました。中学2年で東京に初めてやってきて、そのあとは10年くらい実家で暮らしていました。転勤族って、2種類の人間に分かれると思っています。内気になってひとと関わるのを辞めてしまうか、とにかく頑張ってひととコミュニケーションを取っていくか。僕は圧倒的に後者で、でもそれだけに、表面的にひとと関わるのが上手になりすぎてしまったとも感じていて。とくに、都会的な場所にいるとそうしたことをより強く感じてしまうんです。それで、一時期、都会を離れて山梨県で生活していました。

●「ひとと関わるのが上手になりすぎた」。そのことについてもう少し詳しく教えてください。
無意識に、消費し、消費されてしまっているような感覚。都会にいると、いい出会いもたくさんあるけど、全部を感じ切ることができなかったりします。なにごとにも深く入り込めない感じが、ずっとありました。


ふと、“食”も表現なんじゃないかと思った瞬間があった。あらゆるものがアートや表現にかならず結びつくとするなら、“食”は唯一、ひとの体のなかに直接入っていって、言葉通り“吸収される”。それがめちゃくちゃ格好いいなって。


●その解決の方法として、地方へ行くことを選んだ。
その方が密なコミュニケーションを取れるんじゃないかと思ったんです。その頃は、農家支援もおこなう八百屋を手伝っていて、そのこともきっかけでした。

●どういういきさつで、八百屋で働くことに?
遡ると、大学時代、通っていた古着屋の店主からの「もっと自分軸で選んで生きるほうがいい」という言葉に触発されたのがはじまりです。それで、自分で選んでみるってどういうことだろうって、周りが普通に就活をしているあいだ、ちょっとフラフラしていました。

●具体的には、どんなことを?
僕なりの就活のつもりで、とにかくいろんなひとに会うことにしたんです。その古着屋さんがきっかけで、アートやファッションに出合って、展示やイベントなどに積極的に顔を出すようになると、そこに集まる企画者やアーティストみたいな面白いひとたちともたくさん知り合うことができて。自分もなにか表現したいと考えるようになったのですが、彼らはみんなその道で本気でやってきたひとたちなので、到底およばない。そこで葛藤に苦しんだりもして。

●そうした世界を知ってしまったばかりに。
でも、ふと、“ご飯”も表現なんじゃないかって思った瞬間があったんです。あらゆるものがアートや表現にかならず結びつくとするなら、“食”は唯一、ひとの体のなかに直接入っていって、言葉の通り“吸収される”。それがめちゃくちゃ格好いいなって。もちろん食の世界にもその道のプロがいるから、でも、僕は僕なりに、いろんなことに興味を持ってしまう性分を受け入れて、積み重ねていくしかないって、納得もして。


“食”は、必然的にだれもが関わっていくものだし、間口が広い。食事も“消費”だが、一方で、ちゃんと咀嚼して、“消化する”こともできる。


●“食”には、それまでも特別な関心を抱いていた?
幼少期から、ひととコミュニケーションを取るために重要なのは、食だと感じていました。必然的にだれもが関わっていくものだし、間口が広い。食事も、“消費している”じゃないですか? でも、ちゃんと咀嚼して“消化する”こともできる。都会的なコミュニケーションに違和感を感じたときは、噛み砕けずどんどん流れていくことを気にしていたけど、逆に、ちゃんと噛み砕く時間と体力さえあれば、健康であれば、そうしたことにはならないのかもなって。

●自身のコミュニケーション能力を生かしつつ、だからこその葛藤にもおりおりで悩まされ、でも、「咀嚼して、消化する」という深く理解するための糸口がつかめたわけですね。“健康である”ためには?
栄養価の高いものを食べ続けることが健康か、というと、かならずしもそうじゃない。心のことを想ってジャンクなものを食べなきゃいけない瞬間だってあるし、だから、健康・不健康、消費する・咀嚼する、みたいに、行ったり来たりなんだと思います。八百屋で働いてみたいと考えるようになったのも、わりとそこが理由というか。地方からやってきた野菜を、ひとが集まる都会で売る。その結び目になりたかったんです。

●扱うものが野菜であることにも、意味を見出していましたか?
ときどき、農家さんから大量のB品をいただくことがあって、それを知人や友人に配ったりしていました。そこで気づいたのは、僕から野菜をもらうことで、彼らは必然的に料理をしなければならなくなる。それが最高だなって。そして、親しいひとや顔の見えるひとが関わった瞬間、“消費”しづらくなるんですよね。感じずにはいられなくなるというか。「一番の調味料は空腹だ」なんてよく言われますが、二番目の調味料は「どれだけのひとがどのように関わっているか、想像すること」だと思う。僕は、そこに加担したいんです。


わかりやすくポップなものをすごく避けていた時期がある。でも、それは“優しさの塊”かもしれないと気づいた。その先にある信念に触れるきっかけを作っているのは、そうしたポップなもので、そういう意味で、Commonはいい“入り口”になると思った。


●山梨から東京へ戻ってきてから、六本木のCommon(※1)で働こうと思った理由は何ですか?
そこには、資本主義へのあらがいみたいな視点が関係していて。大学を卒業する頃、どうやって資本主義から抜け出そう、みたいなことをずっと考えていた時期があって、ヴィパッサナー瞑想(※2)を体験してみたり、半自給自足の生活を送っている友人の実家に遊びに行ったりしてみたんです。お金という価値から自由になって、自分たちが好きなひとたちだけで村みたいなものを作れたら、それは幸せなんじゃないかって考えて。ただ、実際にそうした生活を目にしていると、自分が思っていたほど自由じゃなかった。むしろ、お金があることによって受けていた恩恵に気づいたんです。お金があることでひとを助けることができたり、触れられる価値があったりする。お金を払っているからこそ、きちんとそこからなにかを感じようと意識できたりもする。

※1:都市の広場。食・音楽・アートが交わる、六本木の街に開かれたカフェレストラン&ミュージックバーラウンジ。
※2:インドで古くから行われてきた瞑想法。物事をありのままに観察し、心と体の相互作用を体験することで、心の浄化や解脱を目指す。

●資本主義へのあらがいと、反対にお金によって得られるもの。二項対立だと思っていたものが、じつは両方あってこそだと気づいた。
それを体験としてわかって、じゃあそうしたことにどうやって向き合おうって思ったとき、僕なりに決心して入ったのがCommonだったんです。

●そこになにか共通項があったのでしょうか?
同じ頃、わかりやすくポップなものをすごく避けていたんです。でも、それってじつは“優しさの塊”かもしれないと気づいて。その先にある信念に触れるきっかけを作っているのは、そうしたポップなもので、そういう意味で、Commonはいい“入り口”になるんじゃないかと思いました。潜り込んでみるような気持ちで、働くことにしてみたんです。

●お金の話と同じで、片方が悪だと決め込んでいたけれど、それはそれとして必要なものだった。それも含めて大切なものだったと気づいたのですね。
いろんな塩梅の繰り返しなんだろうなと思います。だから、毛嫌いしていたわかりやすいものにいま立ち向かうことは、いずれまたその逆へ向かうための“溜め”になるのかもしれない。そう思って、そこに身を置いていました。


アーティストたちのように、なにかひとつを選んで突き進んでいく人生にも、すごく憧れていた。彼らは一個の種を蒔いて、ひたすら栄養を与え続けて大きな木をつくるようなひとたち。でも、自分は種をばら撒いて、「どれかが芽吹けば」と生きていくしかない。ただ、どちらもやろうとしているのは「大きな木を育てること」で、じつは同じだった。


●そうして、Commonにいるあいだに学んだことはありますか?
やりたいことは、“だれがいるか”によって変化していい、ということ。「このひとがいるからこれができる」っていうのを、柔軟に、どんどんやっていくことが大切で、そしてすごく有機的なんじゃないかということ。「有機的とはなにか」というのを、いま八百屋をしながらよく考えるのですが、僕は、有機栽培にこだわろうとは思っていないんです。ただ、有機的な野菜は売りたいと思っていて。

●その違いは?
有機野菜って、たんなる定義付けの話で、たとえば「海外で育てられた有機野菜」と「国産の慣行栽培野菜」を比べたとき、どちらがより有機的かというと一概には言えないんですね。だから、ときには慣行栽培のものでもいい瞬間があるだろうし、それより、自分たちがどう繋がっているかってことの方がよっぽど大事だなと。いま周りにいる仲間と、できる範囲のことを続けて、そのなかで自分が大事にしたいことに繋げていくことを忘れないでいたいんです。

●資本主義も、ポップなものも、有機野菜も、どれも一元的に考えず、反対の側面まで自分で経験することによって、どんどん解像度が高くなる。どちらの自分も生かして、結んでいく。そうしたことを、これからも続けていくのでしょうね。
大学時代に出会ったアーティストたちのように、なにかひとつを選んで突き進んでいく人生にも、すごく憧れていました。彼らは一個の種を蒔いて、そこにひたすら栄養を与え続けてめちゃくちゃ大きな木をつくるようなひとたちで、でも、自分は種をとにかくばら撒いて、「どれかが芽吹けば」と生きていくしかない。ただ、どちらもやろうとしているのは「大きな木を育てること」で、じつは同じなんですよね。だから、僕は僕なりに、撒き続けている最中なんです。


Profile: 榊 風人  Futo Sakaki

1997年生まれ。
コロナをきっかけに自炊に目覚め、食を通したコミュニケーションに興味を持つ。
2020年山梨県北杜市と東京を行き来し、農作業の手伝い・野菜の物流・野菜販売を行う。
2024年八百屋yaowの立ち上げに携わる。
現在庭の畑作りに注力中。

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Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : mitsuharu yamamura(BOOKLUCK)
Photo : Masahiro Kosaka(CORNELL)


2025.3.20