田坂 真人 (28)
農家さんの畑でしか感じられない空気がシンプルに心地よかった。その心地よさは、雲を追いかけていた頃に感じたものと通じる気がする。そして、農家さんの人柄や畑の表情を知ってつくるものには、違いが出ると僕は思う。つくり手として込められる思いの解像度も上がると思う。
CHAPTER
今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を
CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地はどちらですか?
神奈川県の川崎市です。実家は、山の標高の高いところにある集合住宅で、自然と触れ合う時間が多かったですね。いまでも、自然のある場所が好き。公園や水辺が家の近所にあると落ち着きます。
●子どもの頃、とくに夢中になっていたことはありますか?
雲です。小学校5年生のときの自由研究では、雲を調べたり、撮った写真をまとめたりしました。中学2年生の頃にも同じような発表をして。漠然と、天気予報士になりたいと考えていましたね。好きと思うと熱中するタイプなんです。
●雲の、どういったところに興味を持ったのでしょう?
その頃は、ただ綺麗だなっていう感覚でした。でも、カメラで撮ったのを現像して、貼り付けて、みたいなのも楽しかった。
●それを誰かに見せて承認を得るようなことも含めて好きだった?
いえ、むしろ完全に自己満でした。自由研究でまとめたりはしたけど、発表みたいなことはどちらかというと苦手で。過程というか、やっているときが一番楽しかったかもしれません。

突き詰めてやってきたところもありながら、カレーの出店のときには焼き菓子もつくる。そもそも専門学校にはパンを学びたくて入って、でもそこは和食も中華も西洋料理も学べる学校で、そうした環境もすごく合っていた。
●では、たとえば学校の得意教科の好き嫌い、得意不得意にも偏りがあったりしましたか?
そこは意外とそうでもなくて、バランスよく楽しんでいました。いまの職場でも、わりとマルチな働き方を求められるのですが、そういうポジションはこれまでも多かったかもしれません。
●もう少し詳しく具体的に聞かせてください。
たとえば、カレーの活動をはじめてもうすぐ5年になりますが、突き詰めてやってきたところもありながら、学校が製菓メインの専門学校だったのもあって、カレーの出店のときには焼き菓子もつくって販売しています。また、そもそも専門学校にはパンを学びたくて入って、でもそこは和食も中華も西洋料理も学べる学校で、そうした環境もすごく合っていました。料理も全般的に好きだったので。
●突き詰めたい欲求と、広く網羅するのも好きな性格と。一見すると相反していますが、それを両立してきたような?
いまは、実店舗をつくる計画を立てているところですが、そこではカレー以外にも、もっとやってみたいことがあるんです。たとえばモーニングだったり、好きな作家さんのプロダクトを販売したり。どこまでできるかはわかりませんが、そんなことを楽しみに考えています。

砂の岬のオーナー夫妻は、それまで会ったことがない大人だった。僕の気持ちや状況も踏まえたうえで、あえて違う道も示してくれるような。だから、「絶対にここで働きたい」と思った。
●飲食の道に進んだいきさつについて聞かせてください。
最初は、高校時代にカフェを巡っていました。それこそ、雲に夢中だった頃と同じ感覚で、写真を撮ってノートにお店の情報をまとめていました。同時にパンも好きになって、パン屋さんも巡るように。
●そこから、カレーをつくろうと思うようになったのは?
21歳のとき。当時はパン屋で働いていたのですが、そのままパンを続けたいかというとそうは思えなかった。ちょうどその頃、通っていた下北沢のカレー屋さんで、カレーの面白さに気づいて。それから家でもつくるようになったんです。
●その頃は、なにを面白いと感じていたのでしょう?
とくに、食材の組み合わせです。好きで食べに行っていたカレーが、日本のネギを使ったものだったり、それまでにない食べたことのない新鮮なものだった。
●そして、カレーの道に?
まずはカレー屋で働きたいと思って、桜新町の砂の岬(※1)に応募しました。募集が出ているのを見て、とりあえず食べに行ってみると、サービスも空間も、それまで感じたことのなかった食体験や感動があって。オーナーのご夫婦も、それまで会ったことがない大人、という感じでした。面接のときも、僕の気持ちや状況も踏まえたうえで、あえて違う道も示してくれた。「ほかにもいろんな世界があるから、見てみたら?」って。でも僕は、逆に「そんなことを言ってくれる大人がいるんだ! 絶対にここで働きたい」と思ったんです。
※1:”蔦の絡まる小さな一軒家で、2010年インド料理屋『砂の岬』をオープン。 毎年インド各地を巡りながら郷土料理を学び、現地の味を表現し続ける。

自分がどういう人間なのかも認識できた。20代前半のほとんどをそこで過ごしたなかで、それがすごく大きな財産だった。そうした成長の実感も、続けてこられた理由かもしれない。
●働くなかで、初めて店に行ったときの感動の正体にも気づきましたか?
オーナーのふたりやスタッフを含めて、やっぱり“ひと”だと思います。いい意味で厳しいお店でもあるし、でも、まだ飲食に入って2年目の僕のひととしての弱さもちゃんと受け止めて、愛をもって伝えてくれる。その頃は、取り繕って隠してしまったり、「うまく回ればいいか」みたいに考えてしまうところもあって。「ミスをしたときからが、すべて」だっていうのを、すごく学びました。
●学んだのは、仕事上のことだけじゃなかったわけですね。
自分がどういう人間なのかも認識できたというか。6年弱、20代前半のほとんどをそこで過ごしたのですが、それがすごく大きな財産でした。自分が変われている感覚もあって、そうした成長の実感も、続けてこられた理由かもしれません。
●好きという基軸がきっかけにあって、でもそれがうまくドライブすることで、どんどん深めていくことができる。どれだけ熱を込められるかというのは、タイミングにも左右されますよね。
それこそ、Nadiをはじめたいと思ったのも、(砂の)岬に出合ったことや、コロナで間借りカレー屋が増えはじめていた時期だったことが関係していると思います。2017年に砂の岬で働きはじめて、2020年にNadiをはじめて。当時は月に2回、Nadiでカレーを出していました。砂の岬を辞めたのが2022年のこと。
●砂の岬で働きながらも、自分でもやりたいと考えるようになったのはどうしてですか?
ずっと、表現はしたかったんです。お店をやりたいとも思っていました。でも直接のきっかけは、通っていた千歳船橋のエンドロール(※2)というビストロです。2019年の最終営業日、シェフのマサさんに、「今年は自分のカレーでお金をいただくっていうのをしてみたかったけれど、できなかった」と話をしたら、「じゃあうちを使いなよ」って言ってくださって。それで翌年の2月から間借り営業をはじめました。
※2:オーナー夫婦が厳選したナチュールワインを多く取り揃えるレストラン。木のぬくもりを感じる居心地のいい店内で、肩ひじ張らずに食事やお酒をゆったり楽しめる。

農家さんの畑でしか感じられない空気がシンプルに心地よかった。その心地よさは、雲を追いかけていた頃に感じたものと通じる気がする。そして、農家さんの人柄や畑の表情を知ってつくるものには、違いが出ると僕は思う。つくり手として込められる思いの解像度も上がると思う。
●砂の岬で学びながら、同時に、自分ならこうしたい、といったことも見つけられたのでしょうか?
Nadiをはじめた当初は引き出しが少なくて、正直、砂の岬で得たイメージしかなかった。もっと自分の色を出さなきゃって思いはじめたのは、2年目くらいからでした。
●そのときに見出した、自分らしさとは?
やっぱり、季節が好きなんだって思いました。季節がめぐると、心が躍る感覚があります。食べるひとにも、カレーのプレートからそうしたものを感じてもらいたいと思った。その頃、日本にはこれだけ美味しい野菜もあって、こだわった栽培方法でつくっている農家さんもいることを知ったのもあります。
●では、野菜をはじめとした素材を活かすようなことがポイントですか?
「素材があってのスパイス」という考えを、すごく大事にしています。野菜を美味しく味わうために、引き立てるスパイスがある。素材次第では、スパイスは入れないという選択をすることもあります。
●野菜がどういうふうにつくられているかにも興味を持ったり、そこがカレーづくりにつながっていったり、そうしたことも?
2024年に、雲仙のタネト(※3)で、3週間にわたってポップアップ出店をしたのですが、そのとき、農家さんの畑にも足を運んだりして。そこでしか感じられない空気がシンプルに心地よくて、その心地よさは、雲を追いかけたり、近所の緑地に行ったりしていた頃に感じたものと通じる気がしました。農家さんの人柄や畑の表情を知ってつくるものと、そうでないものとでは、違いが出ると僕は思う。つくり手として込められる思いの解像度も上がると思うんです。
※3: 在来種野菜を軸に、直売所から半径20km圏内のオーガニック農家さんの野菜を雲仙市千々石町に根ざして直売している。
●きっと、野菜や料理に対して、そう感じているひとも多いと思います。でも、具体的に、なにが、どう変えているのでしょう?
それを言葉にするのは難しくて。でも、自分でその野菜を触っているときから、感覚的に「なんか違うな」って思うんですよね。もちろん、言葉でより伝わることもあると思うので、そうした伝える力も身につけていきたいと思う一方で、“知った”うえでつくるとき、これはもう魂みたいな、目に見えないものですけど、それをつくるものに込めることが、つくり手としていま僕にできる最大限だと思っています。知った自分がつくるものは違うものであってほしいと、これからも想いを込めて向き合っていくつもりです。
Profile: 田坂 真人 Masato Tasaka
1996年神奈川県川崎市生まれ。
調理・製菓の専門学校を卒業後、パン屋での勤務を経てカレーの世界に惹かれ、桜新町 砂の岬で修行を始める。2020年にNadiの活動を始め、現在はpopupやイベント、間借りでの出店をしながら、来年の実店舗オープンに向けて準備中。
Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : mitsuharu yamamura(BOOKLUCK)
Photo : Masahiro Kosaka(CORNELL)
2025.6.4