加藤 裕美 (29)
テニスをしていたときは、休みの日に遊ぶとか、彼氏がいるとか、そういうのは“弱み”だと考えて、自分の情報はひとにさらけ出さないようにしていた。でも、この会社では違うと思う。いい意味で、仕事とプライベートがごちゃまぜで、ありのままの自分でいい。そういうことを大切にしたいと、いまは思っているところ。
CHAPTER
今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を
CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地はどちらですか? どんなことが印象に残っていますか?
生まれは母の実家の静岡で、育ったのは東京の三鷹市です。幼少期の記憶はあまりないのですが、小学生からはずっと習い事をしていました。水泳、お習字、お絵かき教室、バレエ、テニス、バスケなど、月曜から金曜まで、毎日違う習い事を。あまり友達と遊んだりせず、ずっと忙しくしていた気がします。
●そうした習い事のなかで、一番楽しかったことや打ち込んでいたことは?
いろいろやりましたが、母親がテニスのコーチをやっていたのもあって、テニスに関しては3歳からはじめていました。それで、小学校高学年でテニスに絞り、高井戸にあるテニススクールに入って。そこからはテニス一本の生活に。
●どんなテニススクールでしたか?
プロを目指すひとや、テニスを真剣にやりたいひとが集まるスクールでした。基本的には小学校低学年で入る子が多かったので、私はちょっと遅くて、年下でも自分より上手な子がうじゃうじゃいるような環境。食らいつくのに必死でした。
●人一倍練習したりして?
そういうのはぜんぜんなくて(笑) でも、負けず嫌いで、何でも一番になりたいっていうタイプなので、辛くても辞めたいとは思わなかったし、諦めるのはダサいって思っていました。
●がむしゃらに練習するというより、自分なりの頑張り方で食らいついていた?
無理して高いレベルの環境に身を置いて、そこで必死に頑張る。それで、気づいたら順応している。そういう感じは、当時もその後も同じだったかもしれません。中学はテニスの推薦で強豪校に入りましたが、そのときもすごく成長できた。キャプテンをやることにもなったし、主要メンバーには絶対入れるくらいのところまではいけました。

1年単位でランキングが出続ける環境だった。「自分がいまこれくらいのレベルなんだ」ってことは目で見てわかったし、つねに比べられ競い合い続けていた。
●自分やまわりの“レベル”というものがはっきりとわかる環境だった。
そうですね。1年単位でランキングが出続けるんです。「自分がいまこれくらいのレベルなんだ」ってことは目で見てわかったし、つねに比べられ競い合い続ける環境でした。
●高校時代も似たような環境でしたか?
中学と同じように推薦で、兵庫県の学校に入り、寮生活を送りました。高校の方がもっと本気で、到底敵わないような相手が何人も。試合には基本出られなかった。
●そういうとき、くじけたりはしませんでしたか?
しなかったですね。結果としては、高2の春の選抜大会で、団体戦で優勝しました。決勝には出られなかったけど、やっとの思いでメンバーには入れて。それが、小学生の頃からずっとテニスをやってきた財産でした。
●そのときの心境は覚えていますか?
うれしかったけど、でも、やっぱり試合に出たかった。自分のなかで最大限努力した結果だったかというと、そうでもなかったなとも思った。その大会で燃え尽きて、そこからはもうテニスをしたくなくなってしまいました。
●それからは、なにか新しいことに向かったのでしょうか?
働きたいって思いました。高校を出て、自分でお金を稼いで、それを好きなことに遣ったり、好きな時間を過ごしたりしたかった。それで、大学には行かず東京に戻り、地元のスターバックスで働きはじめたんです。

ひとを観察して、吸収して、実践していくのが得意な方。それでできるようになって、磨きを掛けていく。
●テニスと同じように打ち込めましたか?
細かくレベル分けがされていたり、役職があったり、そういう環境は性に合っていました。負けたくなくて、それでまたのめり込んじゃって。
●とはいえ、テニスとはまったく違う新しい領域ですよね。そこにハードルはなかったですか?
ひとを観察して、吸収して、実践していくのが得意な方なんです。それでできるようになって、磨きを掛けていく。当時スターバックスは、「察して、応える」という基本姿勢を掲げていて、まさにそれが発揮できるタイプだったので、たまたま評価されたところもあると思います。
●そうした観察力は、それまでにも自覚していた?
たとえばテニスの団体戦のとき、試合に出ていないひとがマネージャーみたいなサポートに回っていたんです。私はそういう機会が多かったおかげで、「こういうとき何が必要か」とか、「こういう状況ではどうしたらいいか」みたいなのが身についたのかも。表に立つよりも裏方の方が得意だなって自覚はありました。
●逆に難しかったことは?
ほとんどなかったかもしれません。ただ、マネージャー職になってからフィードバックやトレーニングをする機会が増えたのですが、そこはわりと苦戦しました。感覚やスキル、視野が違う相手にどう伝えればいいか、それはいまの課題でもあって。

ひとつの環境で上を目指して、そこに到達したとき、さらに上がいないと満足できない。つねにレベルが上げられる環境にいたかった。
●その後スターバックスではどれくらい働いたのでしょうか?
21歳になるまで、3年間くらい働きました。2年くらいその店舗で働いたあと、地域密着型の新業態の社内公募があって、そこに採用されました。手動のマシーンを扱ったり、コーヒーに特化していたり、接客もより重要視されたりするような、レベルの高い環境でした。
●それまでやっていたことを、より研ぎ澄ましていきたかった?
その頃は、ちょうどコーヒーにハマりはじめていたタイミングだったのと、接客にも磨きをかけたかった時期だった。あと、ぬるま湯に浸かっている感じもしていたんです。ひとつの環境で上を目指して、そこに到達したとき、さらに上がいないと、満足できないんです。つねにレベルが上げられる環境にいたかった。ただ、新しい店では目指せるものが見出せず、長くは続けられませんでした。
●それからは?
21歳になって、まわりの友人たちが社会人になるタイミングで、いわゆるなOLとして働いてみたくなって。それで、スタバの日数を減らしながら電話営業の派遣の仕事をするように。
●コーヒーに傾けていた熱意を、一旦覚ますような意味合いもあったのでしょうか?
結果的にそうでもなくて、まったく変わらなかったんです。ノルマやインセンティヴがある環境だったので、負けたくなくて、休日返上でがむしゃらに働いて(笑) 同じメーカーを扱う代理店全体でのランキングがあったのですが、あるときそれで一番を取ることができて、成し遂げた気がして3年間で退職しました。

改めてコーヒーをやりはじめてから、個人で頑張っている同世代と出会う機会が増えた。お花屋さん、料理人、イラストレーター……、ジャンルは違うけど、自分のやりたいことをやっている子たちに刺激をもらった。
●どの環境でも、のぼり詰めるまでひたむきに頑張って、到達したらまた別の環境へ。そこは一貫していたのですね。それからのことについて教えてください。
またコーヒーがやりたくなりました。きちんと、世間一般でいうところのバリスタになりたかった。それで浅煎りのコーヒーを扱うお店に入りました。そこでの仕事は楽しかったですね。自分より10歳上とか、バリスタとして断然経験があるひともいて、毎日忙しく、チーム戦みたいで日々達成感もあって。
●“達成感”や“楽しい”という言葉が出たのは初めてですね。
だいたいのことはやっていればできるようになるから、淡々とやるより、状況が毎回イレギュラーだったり追い込まれたりするほうがいい。そこでいかに早くやるかとか、どう効率よくやるかを考えるのが好きなんです。あと、初めて“チーム”という感覚を味わったのが、そのお店でだったかもしれません。ライン分けもなく、よりよくするためにみんなで練習したり意見したり、そういうことが大切にされている場所でした。
●それまで、“仲間”というと、目指す到達点だったり超えるべき競争相手だったりしたけれど、そこでは、別の側面が見つけられたのですね。
同時に、2年くらい続けたあたりからは、個人で活動する場面も増えていきました。間借りカフェとかイベントをやったりして。
●なにかきっかけがあったのでしょうか?
改めてコーヒーをやりはじめてから、個人で頑張っている同世代と出会う機会が増えたんです。お花屋さん、料理人、イラストレーター……、ジャンルは違うけど、自分のやりたいことをやっている子たちに刺激をもらいました。そうした10人くらいで集まって、イベントを開催したりも。
●それは、新しく勤めたコーヒーショップで得たチームプレーの楽しさとも、また違いそうです。個人だけどチーム、のような。
競い合いがなく、高め合える仲間たちに出会えたっていうのは大きかったですね。

テニスをしていたときは、休みの日に遊ぶとか、彼氏がいるとか、そういうのは“弱み”だと考えて、自分の情報はひとにさらけ出さないようにしていた。でも、この会社では違うと思っていて。いい意味で、仕事とプライベートがごちゃまぜで、ありのままの自分でいい。そういうことを大切にしたいと、いまは思っているところ。
●価値観の転換点でもあったわけですね。現在も、そうしたことを大切にしながら働いていますか?
まさにその通りです。いまは静岡の『PART COFFEE ROASTER』でマネージャーをしていますが、系列店の『Common』には、以前からお客としてよく行っていて。仕事上だけじゃないひととひととの関わり合いがある会社だと感じていました。そういうチームに入りたいと思ったんです。それまでは、人間関係やコミュニケーションが得意ではなかったので、気になっていても自分が我慢することでやり過ごすとか、ぶつかり合いを避けることが多かった。でも『Common』は、いい意味でときにぶつかり合い、一丸となってつくりあげている感じがした。自分に足りないものが必要とされる環境だと思ったんです。
●働きはじめて、そうしたことを身につけられている実感がありますか?
まだまだ修行中、でも、ちょっとずつできるようになっているのかなとは思います。基本的には、会話をしていても、パッとは返せないタイプ。一度ひとりになって考えないと答えを出せないんです。比べると、みんなは自分の気持ちや意見を言語化するのが上手だなと思います。
●ほかに、環境や人間関係でそれまでと変わったことはありますか?
20代前半とか、自分よりも下の世代が多い環境です。少し前の時代は、努力や根性が認められて成果になることも多かったと思いますが、いまは、より合理性が重視されていると感じます。いかに効率よく仕事をこなして、自分のライフスタイルを確保するか、そうしたことが。自分は根性論で育ってきたので、そういう意味では、ちょうど狭間。だから、両者のいいものを引き出しつつ、共存していく方法を模索しています。
●ひととの向き合い方ひとつとっても、いつも新しいハードルにぶつかって、どんどん解像度が上がっていますよね。ただ割り切るでもなく、踏み込みすぎるでもなく、より難しい領域へ。
テニスをしていたときは、休みの日に遊ぶとか、彼氏がいるとか、そういうのは“弱み”だと考えていました。だから、自分の情報を極力ひとにさらけ出さないようにしていた。働くようになってからも、仕事は仕事って考えで、職場で自分の感情を出したり気持ちを話したりしないようにしていました。でも、この会社では違うと思っていて。ときに感情をきちんと表現したり、仕事と関係のない話をしたり、いい意味で、仕事とプライベートがごちゃまぜで、ありのままの自分でいい。そういうことを大切にしたいと、いまは思っています。
Profile:加藤 裕美 Yumi Kato
1996年、東京都生まれ。
間口の広さと気軽なコミュニケーションに惹かれバリスタの道へ。
都内のカフェやロースター、レストランなどの飲食店で経験を積み
2024年The Youthに入社。
静岡に移住しPART COFFEE RAOSTERのマネージャーとして日々奮闘中。
Interview : mitsuharu yamamura
Text / Photo : Masahiro Kosaka(CORNELL)
2026.2.1