岡崎 洵 (29)
Commonでは、自分のままでいられる。カウンターを挟んではいるけれど、ひととひととして、お客さんと接することができる。そうすると、労働時間がまるごと自分の時間になる。
CHAPTER
今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を
CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地はどちらですか?
生まれたのは台湾の台北。母親が台湾のひとなんです。出産のタイミングで日本にきて、小学校の途中までは千葉にいました。それから引っ越して、いまは横浜市に実家があります。横浜中華街の大通り付近で、家の近くにはゲームセンターがあって。
●土地柄、いろんな国のひとがつねに周りにいそうですね。
そうですね、小さい頃からいろんな文化圏のひとと交流することにまったく違和感はありませんでした。学校のなかにも、海外からきているひとが馴染みやすい特別学級がありましたし。
●岡﨑さんはどんな子どもでしたか?
子どもの頃は、日本のひとには「日本人に見えない」と言われ、台湾のひとからは「台湾人に見えない」と言われていました。どちらのひとでもなく、曖昧で、どこにも所属していないみたいな自認もずっとありました。学校では僕は通常クラスに入っていましたが、特別学級にいる海外のひとと友達になることのほうが多かったですね。

その街では、時間を見ずなんとなく家を出てもだれかと会えるし、ちょっとお茶したり散歩したりして、気が済んだら帰る、みたいなことができた。自然の流れに身を任せた生活だった。
●その、どこにも属していない意識は、たとえばその頃の行動などにも影響していましたか?
コミュニティーのなかに居座ることや、腰を据えるみたいなことは、意識的に避けていた気がします。遊ぶ友達も定期的に変わっていました。
●根を下すことへの憧れはありませんでしたか?
ありました。大学に入ると、新しいひとと遊ぶか、昔馴染みのひとと遊び続けるかに分かれたりするじゃないですか? そういうときには、自分にどれだけ昔からの友達がいないかを認識させられたりして。これまで同窓会にもいちども行ったことがありません。
●その後、なにか転機になることはありましたか?
中学3年から4年間、カナダへ留学したことは大きかったですね。バンクーバー島というところで暮らしました。“島”といっても九州くらいの大きさがあって、その一番南に住んでいたのですが、その街の規模が自分にはちょうどよかった。繁華街の端から端までは30分くらいで歩けて、ひとが住んでるエリアも、海も山も、どこに行くにも同じくらいなんです。また、集まる場所はダウンタウンくらいなので、街に出ればとりあえずだれかしらに会える。東京には狭苦しさを感じることがあるのですが、それは、なにをするにも計画を立てないといけないから。でもその街では、時間を見ずなんとなく家を出てもだれかと会えるし、ちょっとお茶したり散歩したりして、気が済んだら帰る、みたいなことができた。自然の流れに身を任せた生活でした。

東京にいると、物理的に密集している息苦しさはあるけど、自然発生的につねにいろんな新しいことが集まるし、いるだけで刺激がたくさん入ってくる。がっつりコミュニティーに根を下さなくても、そうしたひとやものごとに触れられる。
●そこで知り合ったのは、どんなひとたちでしたか?
高校時代でしたが、友達にはいろんなひとがいました。大学生や、データサイエンティスト、海軍で働いているひと、建設現場で日雇いしてるひととか。パルクールをやっていたので、そこではみんな対等でしたし、自然に身を任せて生きているみたいなひとが多かった気がします。
●すごく居心地がよかったのだと思いますが、そのままカナダや台湾など、海外で暮らす選択をしなかったのはどうしてですか?
たしかに日本に窮屈さを感じていましたが、圧倒的に生活はしやすいんですよね。ふつうに生活しているだけで命を落とすリスクは低いし、ご飯もおいしい。なので、ちょっと離れづらい。それに、僕のいま持っている文化的な価値観は、その後日本に戻ってから培われたものなんです。カナダは生活こそすごく自然でラクだったけど、そうしたカルチャーに日常的に触れる機会があまりなかった。逆に東京にいると、物理的に密集している息苦しさはあるけど、自然発生的につねにいろんな新しいことが集まるし、いるだけで刺激がたくさん入ってくる。それこそ、がっつりコミュニティーに根を下さなくても、そうしたひとやものごとに触れられる。いまはフォトグラファーとしても活動していますが、その点では、自分の写真とも相性がいいと思っています。
●それはどのような点においてですか?
僕は、見たものをそのまま撮るのが好きなんです。東京は狭いからこそ、ちょっと歩いているだけでもどんどん状況が変わっていく。刺激も勝手に入ってくるし、新しいものを自然と享受できるから、それをそのまま切り取ればいいんです。自分が頑張らなくても、力まなくても、ただ撮る、ただ自分であることができるような気がしています。

Commonでは、自分のままでいられる。カウンターを挟んではいるけれど、ひととひととして、お客さんと接することができる。そうすると、労働時間がまるごと自分の時間になる。
●現在働いているCommonも、まさに、次から次に刺激がやってくる環境なのではないかと思います。
そう思います。Commonは、そもそも知人が働いているのもありますし、お客さんも自分の友人の層と被っていたりします。もともと馴染みあるものが多いから、お店でやるイベントや展示などの魅力も、言葉にしやすかったりして。それで居心地のよさを感じているかもしれません。
●バンクーバー島の街の話とも通じるような気がしますね。小さな環境のなかにいろんな要素があって、かつ、馴染みがいい。
どちらも自然体でいられる場所だと思います。Commonで働いているスタッフたちのコミュニケーションのとり方も、最初にいいなと思ったことのひとつ。Commonの空気をつくっている彼らのコミュニケーションがすごく新鮮で、自分にも取り入れたいと心から思ったんです。
●具体的に教えてください。
たいてい、飲食の仕事をしていると、自分を殺さないといけない場面も多いですよね。ひとりの人間ではいられないというか。でもCommonでは、自分のままでいられるんです。カウンターを挟んではいるけれど、ひととひととして、お客さんと接することができる。そうすると、労働時間がまるごと自分の時間になります。

個性がゆたかな場所は、「何者かであれ」というような強要も強制もなく、個性が自然と表に出てくるようなところだった。すると、それに共感するひとも自然と集まってくる。そうしたいい循環が、Commonにもある。
●おうおうにして労働は、自分をリソースとして捧げなければならず、それに対して対価が払われたりする。自分でいるだけでいいというのは、素晴らしいことですね。
だから、Commonではコミュニケーション全般のことをずっと考え続けることができるし、自分と向き合う時間も増えます。アメリカ大陸のことしか僕は知りませんが、逆にそれが当たり前だったりする国もありますよね。自分を殺さないでいられる環境があれば、自然と、個性も生まれてくるんじゃないかと思います。
●自然体でいられる環境をつくることが、個性の醸成につながるということですね。
いろんなお店で働いたことがありますが、個性がゆたかな場所は、「何者かであれ」というような強要も強制もなく、個性が自然と表に出てくるようなところでした。すると、それに共感するひとも自然と集まってくる。そうしたいい循環が、Commonにもあると思っています。
●日本に居続けたから、そうした自分にあう場所を見つけることにもつながったわけですね。
居心地はよかったけれど文化的な刺激が少なかったバンクーバーの街と比べて、Commonは、刺激がどんどんやってくる場所でありながら、自分にとって居心地がいい空間でもある。両方があります。ここに居続けたいと思う理由です。
Profile:岡崎 洵 Makoto Okazaki
台北生まれ、横浜育ち。武蔵野美術大学映像学科卒業。
在学中より写真媒体での作品制作や、ファッション・音楽の領域を中心に撮影を手がける。
同時期にバーテンダー・バリスタとしてのキャリアもスタート。横浜のジャズバーや都内のカフェ等、数店舗を経て現在はオリジナルカクテルの開発やバリスタトレーニング、オペレーション設計等の店舗業務を中心に、イベントや展示会へのケータリングなど幅広く活動する。
Interview : mitsuharu yamamura
Text / Photo : Masahiro Kosaka(CORNELL)
2026.6.27