CHAPTER Vol.6 【EXPRESS】

ベイン理紗 (22)

その場その瞬間で知れることや学ぶことは沢山あるけれど、社会の色々なものが進化し続ける中で、その変化に気づくことができないようになってしまっている気もしてて、それをどうにかしないといけないという想いが大きい。

 

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。


Photo Kota ishida

面白いと思うことや関心があることはなんでも受け入れるし、性別とか国の違いとかを気にしなくなったというのは大きい。


●出身地はどちらですか?
出身と育ちは日本なんですけど、父がオーストラリア人ということもあり、小さい頃はよくオーストラリアに帰って現地の学校に通ったりしていました。

●現地の学校に通うというと?
中学校から部活が忙しくなり全然行けなくなってしまったんですけど、小学校を卒業するまでは必ず年に一度、夏休みに1~2カ月家族みんなでオーストラリアへ行って、現地のサマースクールに通ったり転校生扱いで現地の学校に入学したりというのを繰り返していました。

●小学生のころに異なる文化や価値観を経験できたというのは大きそうですね。
本当にいい経験でした。オーストラリア自体が移民の国なので多様性を受け入れる雰囲気がすごいあるし、独自の文化ももちろんあるし、家族も沢山現地にいるのでとても良い時間でした。

●その時の経験や学びが今でも活かされていると思いますか?
面白いと思うことや関心があることはなんでも受け入れるし、性別とか国の違いとかを気にしなくなったというのは大きいですかね。色々な人がいるということを学びましたし、誰に対してもあんまり偏見を持たなくなったのはあります。実は私人見知りなんですけど、いぇーいみたいな感じでハグとかも全然普通にしますし(笑)。あとはお父さんのお姉ちゃんがオーストラリアの森の中に住んでいて、夜になると普通に鹿が歩いてたり、飼っている大きな山猫のすぐそばで薪割をしていたということもあり、自然が好きという感覚はそこから来ていると思います。

写真2 ブリズベン(オーストラリア)にて

見えてる世界の姿を形にできていることに感動し、私もそういう世界観を想像したいし見てみたいと思い、絶対に芸術を勉強すると心に決めた。


●小さいころから色々とスポーツもやられていたと拝見したのですが。
こう見えてスポーツ少女でした(笑)。小学1年生から中学1年生まではずっとサッカーをしていて、その後も普通に続けられると思って中学の体験入部に行ったら、「何で女子が来るの」みたいな雰囲気になってしまい、じゃあもういいやと思ってバスケを始めたんです。それからはずっとバスケをしていました(笑)。

●高校生活もスポーツ漬けの日々を送られていたのですか?
そうですね。中3の時に芸術関係の人と出会い、すごい面白そうだなあと思ったのですが、すでに高校も決まっていたので、そのままバスケに集中して取り組んでました。ただやっぱりどこか自分の心の中で写真とか美術の面白さを知りたいという気持ちはずっとあって、大学受験や留学に向けて部活を早めに引退したんです。

●そもそも写真や美術に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか?
中学を卒業する直前くらいにお母さんの友人伝いで美容師のモデルをしてほしいというお話があり、その時はどうしようかなぁと考えたんですけど、髪を染めてくれると聞いてすぐさまやりますと答えました(笑)。その時のカメラマンの方が当時日芸の4年生で、私を撮るために使う時間とか、カメラを通して何かを見るしぐさとかその全てがカッコよくて。正直そのときの私は特別やりたいことがなければ、スポーツで楽して高校に入っちゃおうみたいな感じだったので、一つのことにすごい夢中になってる人の姿がすごいカッコよく見えたんですよね。
後日撮影した写真をいただいて見てみたら、自分が自分じゃないようでこんな風に見えていたんだと感動して。何より見えてる世界の姿を形にできていることに感動したし、私もそういう世界観を想像したいし見てみたいと思い、絶対に芸術を勉強したいと心に決めたのがきっかけです。

写真3 2016年 高校の通学路にて

知識や教養を勉強で与えるのではなく、経験で与えてくれる人なので、お母さんからもお父さんからも別々に全く違う影響を受けてきた。


●部活を早期引退することを決めたときの周りの反応はどうでしたか?
そもそも当時はスポーツしかしていなかったので、最初は親にも部員の人にも部活の先生にも一体何を考えてるの、みたいなことを言われて反対されました。それから何度もみんなと話し合い、自分はこれをしたくてこうなりたいという想いを伝え続けたら、最後はみんなに背中を押してもらい引退することができました。

●勇気のいる決断かと思いますが。
いやもう本当に考えすぎて電車を乗り過ごして総武線の終点まで行くことがありました(笑)。どうしようどうしようってずーと考え続けて、今思えばほんとちょっとしたことだったけど、そういう決断をしたことも無かったし、辞める勇気の方が大変だなと思いましたね。

●ご両親はどのような反応でしたか?
引退の話とともに私がやりたいことが変わったと伝えたら、私自身もともと飽き性ということもあって、かなり心配をされましたね。悩んでどうするかをなあなあにしていることが一番心配されました。何をしてもいいけど決めるのは自分だし、決めたのなら絶対に最後までやり遂げなさいと言われたことは今でも覚えています。

●ご両親から言われたことや受けた影響で今でも大切にしていることはありますか?
そうですね。実は母が仕事で全然家にいなくて、それがすごく嫌な時期も多かったんですよね。女性としては尊敬するけど母親としてはどうなんだ、みたいなことを考えることもあって。でも逆に何かを犠牲にしてまでじゃないけど、自分の好きなことを大人になってもちゃんと仕事としてやり続けるのって実はそんな簡単にできることではなくて、そのために死に物狂いで動き続けて初めて自分の好きなことができるんだなと。周りがどうこう言おうと私は私であり続ける姿勢、というのはお母さんから学んだ大きなことの一つです。一方でお父さんはいつでも子供たちを見守り、誰かを察したり優しさを与えてくれる人です。実は私の趣味はお父さんとすごく似ていて、畑だったり、ガラクタとかの落とし物拾いだったり(笑)。海に行ったら浜辺で小石とか貝殻を拾うんですけど、それは全てお父さんから受け継いだことだと考えてて。知識や教養を勉強で与えるのではなく、経験で与えてくれる人なので、お母さんからもお父さんからも別々に全く違う影響を受けてきましたね。

●実際に部活を引退してからはどのように過ごされたのですか?
モデルをしたときのカメラマンさんに連絡をしてお茶に行き、モデル業をしていたら色々なカメラマンの方に出会えるかもと考えて、そこからモデル業に励むようになりました。結果的に色々なブランドさんのお仕事もいただき、その中であるカメラマンさんに「カメラマンになりたいのでアシスタントに行かせてください!」と直談判して、実際に行かせてもらえるようになったんです。そこから学校では出会えない色々な人と出会うことができて、モデルの仕事もしつつカメラマンとかアシスタントのお仕事もいただき、高校3年生の夏に初めて自分の展示を開催しました。

写真4 2017年 展示”Journey of What” at cafe Hohokam”

その場所を訪れた人がその作品を見て感じた後にどうするか、ということまでを見据えた作品作りをしたいと思ったのがきっかけ。


●考えてから行動に移すまでのスピードがすごいですね。
実際に展示には高校の友達や外部で出会った人が来てくれて、それがすごい楽しくてうれしくて。そのときからただ展示をするだけではなくて、自分が感じたことや思っていることを作品を通じて伝えて、相手に考えるきっかけを与えることがしたいと思うようになりました。そこからクリエイティブの友達がどんどん増えて自分たちでZINEを作ったり、1年に2回くらいのペースで展示をしていくなかで別に写真じゃなくても、まず自分が面白いと思ったことをやってみるという延長で今があります。

●より相手に考えてもらいたいと思うようになったきっかけは何かあったのですか?
初めての展示の内容がバリ島で撮影した写真で、「Journey of What」というタイトルのもと自分が旅の中で何を見つけるか、旅とは何だろうということをテーマに開催したのですが、展示の仕方なんて分からなかったのでとりあえずプリントを各テーブルと壁にぶわーと貼り付けて(笑)。それで何が残ったかというと、「旅をしている気持になった」とか「理紗頑張ったね」みたいなコメントで、それだけで満足できていない自分がいたんですよね。展示をした先に満足感しかないのはいけないと思い、東京工芸大学の写真学科に入りました。もともと写真の専門学校から大学に変わっているので、細江英公さん(※1)や森山大道さん(※2)などの作家の方が多く、何故写真を撮るのかみたいなところから、自分の思っていたことに肉付けするような形で情報や技術を学んできました。美術館やギャラリーにも行くことが増え、その場所を訪れた人がその作品を見て感じた後にどうするか、ということまでを見据えた作品作りをしたいと思ったのがきっかけですね。

※1:山形県生まれ。51年に富士フイルム主催「富士フォトコンテスト」学生の部で最高賞を受賞。東京写真短期大学(現東京工芸大学)に入学後は、デモクラート美術家協会を主催する瑛九と交流を深め、既成概念に挑む独自の芸術観を確立する。写真家集団・セルフ・エージェンシー「VIVO」を立ち上げ、当時主流の「リアリズム写真運動」に対抗し、より「私的」かつ「主観的」な写真表現を展開。

※2:大阪府池田市生まれ。グラフィックデザイナーを経て、岩宮武二、細江英公のアシスタントを経験。64年にフリーランスとなった後、実験的でラディカルな作品を写真雑誌や写真集で発表し続けている。その影響力は日本国内にとどまらず、近年では海外でも高い評価を受け、世界各地で大規模な展覧会が開催されている。東京工芸大学客員教授。

写真5 2021年 展示 “My encyclopedia” at same gallery Photo same gallery

その場その瞬間で知れることや学ぶことは沢山あるけれど、社会の色々なものが進化し続ける中で、その変化に気づくことができないようになってしまっている気もしてて、それをどうにかしないといけないという想いが大きい。


●現在は写真の他にもモデルや畑など多岐にわたる活動をされていると思いますが、そのモチベーションは何なのでしょうか?
なんだろうなあ(笑)。自分の知らないことが世界中にあるから、それを知らないまま死ぬのはやばいという想いですかね。実は私、大学に入ってすぐに重い病気にかかってしまい、肉体的にも精神的にも追い込まれてしまったんです。このまま死ぬんじゃないかなとか考えたりもしたんですけど、まだまだ勉強したいことも知りたいこともいっぱいあるのに、このまま死んでたまるかという強い想いが生まれて。その後手術して、病気が発覚してから半年後にフルマラソンに挑戦したら完走できたんです(笑)。その瞬間「よし、行けるぞ!」と思って、それまでのパワーが倍になったんですよね。
人は生きている間に、その場その瞬間で知れることや学ぶことは沢山あるけれど、社会の色々なものが進化し続ける中で、その変化に気づくことができないようになってしまっている気も同時にしてて、それをどうにかしないといけないという想いが大きいと思います。

●「生」と向き合えたからこそ、一瞬一瞬をより大切にできるのでしょうか。
本当にそのとおりだと思います。私自身生き急いでしまってると思うんですけど、もっとゆっくり生きて何も考えなくていいと思うし、お茶を飲みながら本を読んで寝る、みたいなことができるなら私もそうしたい。でもその一瞬一瞬の経験って実はすごく大事だとも考えていて。自分が動くことで周りの人に何か特別な経験なのか気づきを与えることができたらいいなと考えています。

写真6 2020年 神奈川

相手を失望させてしまうこともあるかもしれないけど、自分のなかで本当にこうしたいという想いがあるならば、それは決して逃げることではないから、自分の意志を尊重して大切にしてあげたいなと思います。


●これまでのエピソードにありましたが、ベインさんが感じたことを目の前に相手に伝えるということを大切にされているんですね。
今思うとほんとにすごいなと思うんですけど、やっぱり若さってすごいですね(笑)。今だったら色々大人の事情とかを気にすることもあるかもだけど、その時はもう何も知らないからただ「やりたいです!」って言い続けてました(笑)。

●これまで色々な経験をされて来たと思いますが人生の転機が訪れたのはいつでしょうか?
それで言うと部活を引退すると決断した時ですかね。それがはじめて何かを辞めるという決断でしたし、初めて人と心の内を話すという経験でした。自分が決めたことを絶対にやってやるという覚悟が芽生えたのもその時でしたね。

●辞めるということはネガティブにも見えてしまうことかと思いますが、「辞める勇気」みたいなことはご自身の中で大切にされているのですか?
大切にしたいです。もちろん失望されたり呆れられたりすることもあるかもしれないけど、めちゃくちゃ長い目で見たら人生を生きている中でその経験って1ミリくらいのことじゃないですか(笑)。もしあの時にバスケを続けてそのまま大学に入っていたら、おそらくずっと言い訳をし続けている気がして。相手を失望させてしまうこともあるかもしれないけど、自分のなかで本当にこうしたいという想いがあるならば、それは決して逃げることではないから、自分の意志を尊重して大切にしてあげたいなと思います。

2021年 山梨県にて畑作業 Photo Futo Sakaki

写真とか執筆とかの境界線を無くして全てが繋がっている、ということをちゃんと言えるようになりたい。


●これからの目標みたいなものはありますか?
目標というより現在進行形で努力をしているのは、写真とか執筆とかの境界線を無くして全てが繋がっている、ということをちゃんと言えるようになることですかね。多分80%くらいの人は私のことをモデルと思っていて、10%の人は畑をやっていて、残りの10%は執筆者やアーティストだと認識してるかと思うんですけど、それってそれぞれに名前が付いているだけで、実は全部が繋がっているんですよね。だからこそ、それらを繋ぐプラットフォームのような人になれたらいいなと思います。

●ベインさん自身がMedia(媒介者)になるということでしょうか。
そうですね。あんまり名称みたいなのが好きじゃなくて、インタビューとかで肩書を聞かれて「無しでベイン理紗でおねがいします!」みたいに言うんですけど、実際にそれってすごく難しくて。人はみんな分類したがるし、もちろんその方が分かりやすいんだけど、たくさんの場所に拠点を置くことで色々なことを面白く伝えられるかな、というのは意識しながら活動してます。ほんとはインスタのプロフィールの職業も「Platform」にしたいんですけど、それだと駅しか出てこなくて、いつか自分で作れないかなと考えています(笑)。

Photo Karin Noguchi

いつ死ぬか分からないからこそ今日を一生懸命楽しんで生きていきたい。カッコよく言ったらそうだけど、いっぱい泣いて、いっぱい遊んで、いっぱいやりたいことやって頑張る。


●これまで生きてきた人生の学びは何でしょうか?
22年しか生きていないからなあ(笑)。「明日死ぬと思って今日を生きろ」ということですかね。とりあえず会いたい人に会いに行って、やりたいことやって、むかついたら伝えるし、無理だと思ったらバイバイする。よく私の口癖で「まあいっか」と「いい経験だよね」って言葉を使うんですけど、いつ死ぬか分からないからこそ今日を一生懸命楽しんで生きていきたい。カッコよく言ったらそうだけど、いっぱい泣いて、いっぱい遊んで、いっぱいやりたいことやって、頑張るみたいな感じです(笑)。

●最後に将来の夢を教えてください。
自分のしたいことを全てやって、すごく楽しそうに生きてるおばあちゃんになりたいです。それか早くやりたいことをやり切って早く死ぬかのどっちかがいい。若者を見て一緒に遊んだり、子供から理紗って呼び捨てのため口で話しかけられるようなおばあちゃんになりたいですね(笑)。


Profile:ベイン理紗 Bayne Lisa

東京工芸大学写真学科在学。モデル、アーティストのほか執筆や学会への登壇など表現媒体の垣根を超えて東京を中心に活動。山梨県北杜市に畑を持ち、農作を通して五感について触れていく連載記事「FEEL FARM FIELD」がNEUT Magazineにて公開中。

Profile Photo:Kenshiro Tatsumi

Instagram


Text : Gaku Sato
Interview : Gaku Sato

2022.05.31