CHAPTER Vol.7 【MAKE】

小林 亮大 (26)

Insitu Japan マネージャー

自分らしく生きる。自分らしさに正解は無いから、こういう風に生きたいとおもったらそう生きればいいし、自分らしく生きてるなって思えたらそれでいいと思う。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地はどちらですか?
東京都出身ですが、幼少期は海外に住んでいたり、中高生は神奈川に住んでいたりと、バックグランドはかなり転々としています。大体6年おきに住む場所も周りにいる人も変わる環境で育ってきました。

●6年おきというと?
具体的には6歳まで海外にいて12歳までは東京。そして18歳までは神奈川で24歳から現在までは広島県尾道市にある瀬戸田町という場所で過ごしています(笑)。

●すごいですね(笑)。幼少期を海外で過ごしたとのことですが、どんな日々を送られていましたか?
もともと両親の仕事の都合で6年間シンガポールに住んでいました。当時はあまりビデオゲームとかをさせてもらえなくて、架空の設定で寸劇をしたり、工作をしたり遊んでましたね(笑)。

●幼いころから住む場所を転々とされていますが、それぞれで過ごした記憶は鮮明に残っていますか?
最近はあまり過去のことを考えなくなりました。昔は色々と考えることも多く、6歳まではグローバルな環境にいたということもあってそれが当たり前だと思っていました。その後東京の公立の小学校に通い、人も環境も全く異なる場所で過ごしたので、そういう意味では常に”ギャップ”に驚かされてきたと思います。逆に中高は私立の学校に通い多様性の無さのようなものを感じた反面、大学に行くとまた違う感覚を覚えた気がします。


何かの分岐点で瞬間的に考えるときのベースには過去の経験が生きてくるとは思う。節目節目で仮に人と違う選択肢だとしても「自分はこうしたい」という決断をし続けている。


●そういう意味では”特定の場所での経験”というより、「移動」そのものが今の自分を形成する大きな要素なのでしょうか。
そうですね。間違いなく世界一周の経験は大きいですし、今の仕事も働き方もふくめて独特ではあるかなと。やっぱりそういう意味では自分らしいなと思います。人とは違う環境の中で働けているということもそうです。

●一方で特定の瞬間や経験が、今に生き続けているなと感じることはありますか?
自分を振り返った時に何でこういう決断をしたんだろうとか、どうしてこの道を選んだんだろうとか、そういう分かれ道に直面したときに自分のバックグラウンドが大きく影響しているのはあるけど、日常の中で当時の生活スタイルが今の自分を支えているとはあまり感じないです。ただ今後も何かの分岐点で瞬間的に考えるときのベースには過去の経験が生きてくるとは思う。そういう意味では、節目節目で仮に人と違う選択肢だとしても「自分はこうしたい」という決断をし続けてます。もちろんそれは今もそうだけど、大学選びの時も就職先を決めたときも、瀬戸田に移住すると決めたときも、ダイナミックとまでは行かないけど次の数年間の人生を決めるタイミングでは、これまでの経験が自分を大きく支えていると思います。

●幼少期の移動は良い面も大変な面もあるかと思いますが、それを感じたことはありますか?
当時はもちろんストレスに感じたかもしれないですが、今となってはどんな環境に身を置いたとしてもやっていけるし、その中でうまくバランスを取りながら地域の人や町の人ともコミュニケーションを取ることはできるようになったので、移動と環境の変化に対する苦みたいのは無いですね。とはいえ今後もどの街でどんな仕事をするのがベストなのか、みたいなことは考え続けたいと思っています。確かに今こうして話してみると、小さい頃からの「移動」のルーツみたいなものは通じているのかなと思います。


自分も周りの仲間を大切にしていきたいし、単純に人生を豊かにするために一番大切なことだったりするんじゃないかなと思う。


●話は変わりますがご両親はどのようなお仕事をされていたのですか?
父は普通の会社員で、母は大学と大学院に通っていました。教育に対しての関心がとても強く、僕が小学生の頃は大学に通いながら子育てしていました。年を取ればとるほど自由放任主義化していったので、僕がどこで何をしていようと何も言わないみたいなのはありましたね。

●ご両親から受けた影響はありますか?
友達を大切にする、ということは当たり前なことだけど、学び続けたことの一つですかね。年に数回は友達に手紙を書くとか、親の友人ともいまだに連絡を取ったりするのですが、親からの愛も含めてこれだけ人に恵まれていたんだなと。自分も周りの仲間を大切にしていきたいし、単純に人生を豊かにするために一番大切なことの一つだったりするんじゃないかなと思います。

●日本に帰国したのちに過ごした中高6年間はどうでしたか?
中高は部活漬けの日々でした。中高6年間って本当に毎日同じメンバーと部活をして受験勉強をする、みたいな生活だったので、”自分の見ている世界の狭さ”みたいなものを強く感じていました。一方SNSで「〇〇国際学生会議」に出ている他校の同級生を見たときに、自分が見ている世界とのギャップにストレスを感じたりして、それもあり大学選びでは色々な人に出会える環境を目指して慶応義塾大学に入りました。

●世界の狭さを感じた瞬間は?
高校時代に通っていた塾には海外の大学を目指すような生徒も来ていて、そういう人って日頃からボランティアワークをしていたり、そういう意味での意識がすごく高くて。部活しかしていなかった自分からしたら、「この人たちは同じ高校生なのにすげえな」みたいな(笑)。そこで視野が広がったというのはあります。


●大学は慶応一択だったのでしょうか?
実はもともとは何となく国公立を目指していて、周りに一橋大学を目指している人が多いということもあり、センター試験ではひとまず合格ラインは超えていたんです。ただ改めて自分の行きたい道がここで合っているのかと考えたときに、このまま進学しても高校生活とあまり変わらないなと思い、極端な話ですけど、早稲田や慶応には芸能人もいればオリンピックに出ちゃうような選手もいて、その多様性って自分が生きてきた人生の中でも無いなと考えて絞りました。

●そこまで考えて大学選択をしている高校生はそう多くないと思いますが。
でも本当に直前です。なんならセンター試験も既に終わっていたのでむしろ遅いわ、みたいな(笑)。

●実際に大学生活はどうでしたか?
大学はみんなが全く異なるバックグラウンドと凄いスキルや才能を持った人で溢れていたので、じゃあ自分は一体何ができるんだろうと悩み、クリエイティブなことをしている友人に憧れていたのはあります。ただ自分は素直に旅が好きだったし、いろんな環境に順応する力はあると思っていたので世界一周をしようと決意しました。世界一周以外でもバイトしてお金を貯めて長期休暇で海外に行ったりと、自分の好奇心を満たす生活をしていましたね。

●学生時代はどのようなことを学びましたか?
経済学を専攻していてゼミでは東南アジア経済を学んでいました。歴史的な側面も学術的に勉強はしてましたけど、最近の若者がどのような購買活動をしているのかとか、SNSマーケティングをどのように行っているのかとか、デジタルサービスがもたらす人々の生活への影響などを研究してましたね。

●学生時代に目指していたことはありましたか?
正直無かったですね。どちらかというと新しいものに対する興味関心が強くあったので流行のサービスや、時代的にも周囲の環境的にもITやコンサルは人気が高く、結果的に就活もその分野を志望していました。実際は本当にそれがしたいという想いで受けていた訳ではないですが。


言葉の壁は関係なしに一人の人間として相手がどういう人か、それだけが本当に大事なことだという学びはとても大きい。


●高校時代に感じていた”自分の見ている世界”を広げるアクションは何か起こされましたか?
実は大学に入る直前にずっと憧れていたタイに一人で意気揚々と行ったんです。結果怖すぎて一週間ホテルから一歩も出ることができず、海外まで来て一体おれは何をしてるんだろうと感じて。その時の悔しさから、大学一年生の夏や春休みには色々な人と自分の壁を超えて交流したいという想いで海外へ旅に出るように。そのうち1~2カ月じゃ全然物足りないなと感じ始めて、大学3年生の時に世界一周をすると決意しました。

●世界一周を振り返った時に思い起こすことは何かありますか?
常に思うのは行く前と後での変化って単純に言い表せなくて、一年という期間の中で一日一日見るものが変われば、自分の考え方も少しづつ変化していった結果としての今の自分なので、明確にこれほど視野が広がったみたいなことは言えなければ言いたくないですね。印象的だった瞬間やエピソードははあるんだけど、世界一周総論で言うと他の一年と何か飛躍的に特別な一年だった訳ではない。間違いなく色んな環境に順応する耐性はさらに強くなったし、言葉の壁は関係なしに一人の人間として相手がどういう人か、それだけが本当に大事なことだという学びはとても大きいです。

●素晴らしい学びですね。
人は人レベルでも国レベルでも勝手なバイアスやステレオタイプを持つ生き物なわけで、僕自身どの国が一番良かったと聞かれたときに答えるのは中国なのですが、何でかと言ったらギャップが一番大きかったから。実態を知らなくても、反日反中だったり行儀が良くなかったりというイメージがあるけど、でもそれって行ってみたらそういう行動の背景には歴史的な理由や文化があり、個人レベルで悪い人なんて一人もいなくて、むしろみんなが一人の旅人をもてなしたいという気持ちの方が強かった。そういう経験からいかに人をニュートラルに見ることができるかは強く意識するようになりました。


感じたことをどう伝えるか。そして自分の中にどうノイズを取り込んでいくか。なんとなく目的地を決めてしまうと、意外と想定外のことって起きなくて。普通だったらここ行かないよねとか、こっち行ってみようかなみたいな突発的な行動は大切にしてました。


●これまで話を聞いていて「ギャップ」という言葉が一つ大きなキーワードなのかもしれないですね。
確かにそうですね。影響を受けるというか心動かされる瞬間で言うとそういうところなのかもしれないです。思っていたものと違うものがそこにあったときとか、想像していなかったことが起きたときに自分はそれをギャップと呼んでいるのかもしれないかな。心動かされるというよりモチベーションになる、という方が近いかもしれません。

●何を考えながら旅をしていましたか?
感じたことをどう伝えるか。そして自分の中にどうノイズを取り込んでいくか。なんとなく目的地を決めていくと、意外と想定外のことって起きなくて。普通だったらここ行かないよねとか、こっち行ってみようかなみたいな突発的な行動は大切にしてました。それをしないと面白くない旅になっちゃうなと。

●具体的なエピソードはありますか?
世界一周って実は規定ルートみたいなものがあって、王道コースだと東南アジアに行って中国に行かずにインドに飛び、ヨーロッパに入るみたいな。でもそれだと面白くないなと思って自分は大陸を横断する方向にシフトしたんです。決してそこに面白いものがあるかどうかは分からないけれど。ひたすら電車に乗って東南アジアから中国に入り、中国から横に移動し続けてヨーロッパに入りました。それだけで半年くらい時間かけてるのでめっちゃ時間を無駄にしてるんですけど(笑)。

●世界一周後はどのように過ごしたのですか?
帰国後は就活をしていくつか内定もいただき、その中から選択しようと考えていたのですが、なんとなく自分の中で腑に落ちない感覚が残り続けていて。その矢先に当時アルバイトをしていたBackpackers’ Japan(※1)の外部取締役だった雄大(※2)さんがFacebookでインターンを募集していて、実際に会ったことが無かったけど周りにいる人が自分に雄大さんの話しをしていたということもあり、最終的に直接会い、雄大さんのもとで働くことを決意しました。

※1:旅多き世界のため、関わる人々とともに、まだ世の中にない新しい景色を生み出していく会社
※2:早稲田大学卒業後、米Starwood Capital Groupの東京及びサンフランシスコオフィスにてホテル・不動産投資に従事。その後Insitu及びナル•デベロップメンツ創業。瀬戸田と日本橋を中心に「ローカルのためのマイクロデベロッパー」として場や街の企画・開発・運営を行う。


いかに抵抗を持たずして目的のためにありとあらゆることができるかというフィールドで仕事をしている。


●それからはどのように過ごされたのですか?
内定も全て辞退して大学生活を送りながら半年くらいの間、インターンとして雄大さんのお手伝いをしていました。大学卒業のタイミングで、正式に株式会社Insitu Japan(※3)に入社しました。

※3:新たな街を知り、そこに生きる人々の暮らしを知り、その土地の風土や自然体系を知り、10年後、50年後そこに生きる人々と自然の共存、経済と文化の関係性に思いを馳せる企画・開発・運営会社

●現在の肩書は何になるのでしょうか
Insitu Japanの小林か、しおまち企画(※4)取締役の小林です、のいずれかです。大元は変わらないので相手にどう受け取ってもらいたいかですね。基本的には店舗の財務管理や新店舗の開発を担当しています。「開発」をもう少し具体的にいうと、店舗の企画から事業計画の作成、銀行からの資金調達、人の採用、オペレーションの構築など、開業に向けたあらゆる準備を行っています。

※4:しまなみ海道沿いに浮かぶ島、生口島瀬戸田(広島県)にて、ローカルに根差した街づくりを行いながら、瀬戸田地域全体の経済を活性化させる新たな「地域商社」。

●現在は場を作る仕事をしているかと思いますが、仕事に対して入る前と後でのギャップはありますか?
会社として目指したい方向とかつくりたい景色は決まっているけど、どう働くかとかどう仕事していくかがもともと決まっていた訳ではなければそれは今もそうなので、ギャップというものが成立しないです。いかに抵抗を持たずして目的のためにありとあらゆることができるかというフィールドで仕事をしています。

●現在は瀬戸田に住まわれてるかと思いますがどういったきっかけでしょうか?
2019年の入社時に瀬戸田で『SOIL Setoda』(※5)という事業がスタートすることは決まっていたのですが、誰も瀬戸田にいるわけではなくリモートで計画を進めていました。やはり誰かが現地に行かないと難しいよねとなった時に、当時自分を含めて3人しかいないチームだったので、もはや誰かって自分しかいないじゃん、みたいな(笑)。既に瀬戸田の町の人との交流も愛着もあったので、移住して立ち上げまでやろうと覚悟を決めました。

●実際に瀬戸田での事業をスタートしてみていかがでしたか?
やろうとしている事業が飲食も宿泊も含んだ複合的な施設でもあったので、地元の人との調整も非常に必要でした。色々な人にアドバイスをもらいながらでしたけど、資金調達を自分主体で実行できたのは経験として大きかったです。そういう意味では雄大さんとも話したことですが、開発の規模感がちょうど良かったのかもしれないです。当時の自分にとっては良いストレッチになる良い機会を与えてもらえたのだと。


自分らしく生きる。自分らしさに正解は無いから、こういう風に生きたいとおもったらそう生きればいいし、自分らしく生きてるなって思えたらそれでいいと思う。


●移住してから1年半が経つかと思いますが、町や取り組みに対して新たに感じることはありますか?
もちろん愛着は湧いたんですけど、同時にここは変えていかないといけないなという課題とポテンシャルを感じています。多様性のある街にしていくためにも、開発の規模感をもう少し小さくして、その分多くの点を打っていく。
かつカフェやレストランだけではく、惣菜屋だったりリサイクルショップだったり、人々の生活に寄り添った場をさらに作っていければと思っています。

●その街で生まれ育った人でないからこそ、気づくことや感じることもまたありそうですね。
そうですね。自分たちの立場としてそれは非常に大きいと思う。外の目線もちゃんと持たないといけないけど、しっかり中に入り込んでいくというそのバランスが大事だなと思います。

●これまで生きてきた人生の学びを教えてください。
自分らしく生きる。分からないけど、自分らしく生きるということ。自分らしさに正解は無いから、こういう風に生きたいとおもったらそう生きればいいし、自分らしく生きてるなって思えたらそれでいいと思う。

●将来の夢を教えてください。
今の時点では無いです。無いけど今自分がしていることの延長に、将来の自分がやっていて楽しいなと思うことがあれば嬉しく思う。キャリアパス的に次のステップアップってこれだよねみたいのはあるんだけど、それをずっとやっていたいかというとそうではない気がしていて。違う領域、違うフィールドで違う仕事をしてみたいという想いもあるし、いつかそこにたどり着いたときに今やっていることが活きたり、何かしらの共通項があったら嬉しいなと思う。


Profile:小林 亮大 Ryota Kobayashi

Insitu Japan マネージャー / しおまち企画 取締役
慶應義塾大学在学中に休学をし、世界一周の旅へ。大学卒業後は、株式会社Insitu Japanへ入社。Hotel K5のアセットマネジメントなどを担当後、2020年にはSOIL Setodaの開発責任者として尾道市瀬戸田に移住。直近では、Aoshima Beach Village (宮崎県青島市)の開業に従事したほか、2022年7月には尾道駅内の新店舗の開業を予定している。(クラウドファンディングも絶賛実施中です!)

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Text : Gaku Sato
Interview : Gaku Sato

2022.06.11