CHAPTER Vol.8 【EAT】

中村 啓 (24)

MAISON CINQUANTECINQ 料理人

これまで出会ってきただれもが恩師。人それぞれに想いがあって、そこから出てきた言葉や行動が、たとえちょっとしたものでも、自分のなかに長く残っています。

CHAPTER

今を生きる若者たちの
生き方と明るい未来の話を

CHAPTERは、EAT、LISTEN、EXPRESS、THINK、MAKEをフィールドに、 意思を持ち活動する20代の若者たちに焦点を当て、一人ひとりのストーリーを深く丁寧に掘り下げることで、 多様な価値観や生き方の発信を目的とするメディアです。

●出身地はどちらですか?
宮城県仙台市です。

●どんな幼少期を過ごしましたか?
自然いっぱいの環境で育ちました。隠れ家的なものをつくって遊ぶことが多かったですね。

●習い事などはしていましたか?
習い事はとくにしていませんでした。でも、兄貴がサッカー好きだったので、つられて僕もよくサッカーをして遊んでいました。

ご両親のことについて訊かせてください。
父親は仙台で床屋をやっています。僕の曽祖父がはじめたそうで、いま三代目ですね。僕はいまのところ継ぐ予定はないので、途絶えてしまいますが……。母親は料理が好きで、子どもの頃はよくお弁当をつくってくれていました。

●ご両親から受けた影響や、心に残っている教えはありますか?
あまりないんですよね。ふたりともやさしく奔放で、わりと自由に好きなことをさせてくれました。「こうであれ」とか、「ああしなさい」といったようなことはあまり言われませんでした。どちらかというと、成長するにつれて出会ってきたさまざまなひとたちと関わるなかで、自己が形成されてきたように思います。


学校の友達はみんな、それぞれに好きなことがあって、突き詰めている面白いやつらだった。それがかっこよくて、自分もそんな風になりたいと思った。


●小中学生の頃のことで、印象に残っていることはありますか?
中学一年の頃、カリフォルニアへ3週間の短期留学をしたこと。それは、良くも悪くもその頃の僕にとってかなり大きな出来事でした。じつは英語と日本語の授業が半々の幼稚園に通っていたこともあって、幼い頃から英語に触れてきました。でも、実際にアメリカに行って現地の同世代たちと会ってみると、ぜんぜん話せないんですよね……。話したくてしょうがなかったのを覚えています。

●どちらかというと苦い経験になったわけですね。
そうですね。言語の壁があるだけでしゃべれないことが、とても悔しかったです。

●その後の学生生活についても訊かせてください。
中高一貫の男子校に通っていたのですが、学校での生活自体にはこれといって思い出がないんですよね。どちらかというと勉強以外のことがたのしくて、力を注いでいました。たとえばテニス部に打ち込んで、キャプテンになり、いろんなひとをまとめあげる経験をしました。あと、まわりのやつらがとにかくおもしろかったのは大きかった。みんなそれぞれ好きなことがはっきりとあって、それを突き詰めていました。

●たとえばどんなことを?
とくに、古着が好きな友達や、音楽に詳しい友達が多かったですね。「これのこんなところが〇〇だからいいんだ」としっかり言える、いい意味でオタクっぽい彼らのそばで、「かっこいいな。自分もそんな人間になりたいな」とどこか憧れていました。


社会起業家になりたいと、高校卒業前に“やりたいこと”を見つけた。でも、大学に入って実際の現場を目にしたり、それに関わるひとと出会ううち、その現実に失望することに。


●それから大学へ入学するまでのことについて訊かせてください。
指定校推薦を受けて、獨協大学に入学。大学への進路は、わりとなりゆきというか、流れのままに決めました。同時にその頃は、社会起業家になりたいと考えるようにもなっていて。

●どうしてですか?
まず、指定校推薦を受けるためには校内選考会がありました。かなり厳しい審査がおこなわれるので、対策として、自分の考えなどをしっかり見つめなおしたんです。将来なにをしたいとか、どんな人間になりたいとか、そのために大学でなにを学びたいかを真剣に考えてみたとき、社会起業家という姿に思い至りました。

●どんなところに惹かれましたか?
ひと助けを仕事にできること。そこにシンプルに惹かれました。

●大学に入って、その道を志すようになったということですか?
そうなのですが、まず講義を受けているうち、自分の想像していた仕事とは少しズレがあることに気がついて。それで、大学の外にも目を向けてみようと、学生団体にコンタクトを取って話を聞いてみることにしたんです。活動内容に興味を持って、そこに参加させてもらうことになりました。でも、あるとき代々木公園で開催されたフェスにその団体と参加したときのこと、社会やひとのためというのは名ばかりの、ネガティブな実態が見えてしまって。自分たちが本当にいいと思っていないものを提供して、簡単にお金を稼ごうとしているとしか思えない一面を知って、すごく悲しい気持ちになりました。ベンチャーって、結局はそうなのかと、失望してしまったんです。


料理好きの母親がいつもつくってくれた弁当。畑を持っていた祖父に食べさせてもらった、採れたての野菜や果物。そうした原体験が、食に興味を抱くベースかもしれない。


●そのあと、なにかほかに夢中になれることを見つけましたか?
草加市にあったタンジールカフェ(※1)というダイナーで、アルバイトをはじめました。オーナーたちは兄弟で、彼らにはかなり強く影響を受けましたね。もともとはアパレルをやっていたらしく、洋服のおもしろさもそこで教えてもらいましたし、音楽や、アメリカのカルチャーについても、その頃から興味を持つように。また、キッチンを担当していたので、料理にものめりこむようになりました。

※1:2008年、埼玉県草加市にオープンしたアメリカンダイナー。種類豊富なボリュームあるハンバーガーと、自家製レモネードが人気。

●それまでも、料理には関心がありましたか?
とくに地元を出て一人暮らしをはじめてからは、料理をたのしんでいました。もとをたどれば、母が料理好きで、子どもの頃は毎日お弁当を作ってくれたり、自宅のプランターで育てたバジルでジェノベーゼを作ってくれたり、そうした思い出があります。また、おじいちゃんが畑を持っていて、そこでできた野菜や果物を採って食べるみたいなこともしていた。そうした体験が、食に興味を持つベースになったのかもしれません。

●根底にあった気持ちや関心は、実際に飲食店で働くことで膨れ上がったということでしょうか? それで、大学を出て、食の道に進むことになった?
就職活動も少しはしました。会社説明会にもいくつか参加して、食関連でいうと、『dancyu』(※2)の編集部なんかも受けてみました。でも、みんな右に倣えのあの独特の就活ムードに、嫌気が差してしまって……。同じ頃、友達が代々木八幡のPATHで僕の誕生日を祝ってくれたんです。初めてPATH(※3)のコース料理を食べて、衝撃を受けた。「自分もこんな料理をつくりたい」と、それがきっかけでフレンチの世界を目指すことに決めました。そのあとすぐに、いくつかのフレンチレストランやビストロにアプライしてみましたがうまくいかず。やはり人柄もきちんとわかってもらうには、実際に店に食べに行って直接掛け合う方がいいだろうと、それでMAISON CINQUANTECINQに行ってみました。それで採用してもらったのが、大学4年生の頃。卒業して、2020年4月から働いています。

※2:プレジデント社が発行する月刊誌。1990年12月創刊。日本初の本格的な食のエンターテインメントマガジンであり、時代の大きな潮流である本物志向をベースに「食」の豊かさ・楽しさを追求。男女の隔たりなく料理のプロや流通関係者も含め、「食」にこだわる人々に信頼される。

※3:名店のレストランパティシエとして腕を磨いた後藤裕一と、人気店・ビストロロジウラを立ち上げたことでも知られる料理人・原太一が、2015年12月、代々木八幡に開いたビストロ。朝食、ブランチには看板メニューの「ダッチパンケーキ」をはじめ、自家製クロワッサンやマドレーヌなどを提供。夜は本格的なコース料理とアラカルト。旬の食材を組み合わせた、クリエイティブな料理をたのしめる。

●フレンチやビストロは数あるなか、どんな基準で働きたい店を選んでいましたか?
空間や雰囲気です。もちろん料理のおいしさは大事ですが、内装やインテリア、音楽、働いているひとの所作など、むしろそうした料理以外のところが気持ちいい店が好きなんです。


いまは、パンづくりに夢中。下積みの身でありながら自分なりにやりたいことを突き詰め、クリエイションを発揮する場でもある。いつか、パンとワインを出す店をやりたい。


●MAISON CINQUANTECINQでの2年間、どんなことをしてきましたか?
1年目は、食材や調理器具、調理の方法など、とにかく基礎を細かいところまでひたすら、実践をまじえて覚えていきました。自分にできることが少しだけ増えた2年目は、まだ店では一番下でいわゆる下積みの時期にあたりますが、それでも、自分なりになにか目標をもって挑戦したいと思えるようになった。

●挑戦したいこと、とは?
最近は、店で自家製酵母のパンをつくっていて、個人的にものめり込んでいます。これまで吸収してきたことをアウトプットできる場のようにも感じているところです。

●自分のクリエイションの場にもなっている、と。
パンとワインをたのしめる酒場、に惹かれていて。僕はお酒が好きなので、以前から、さまざまなひとがお酒を飲みにきて、いい音楽を聴きながら、コミュニケーションも活発におこなわれる夜の店を理想としていました。でも最近、朝の時間の気持ちよさにも気づきはじめて。夜の酒場より、もっと人々の毎日に寄り添える可能性がありますし。だから、パンをもっと極めたいなと。と言いつつも、やっぱり夜も捨てがたいですが……(笑)

●どちらもをかなえるための、「パンとお酒」ということなんでしょうね。
そうです。朝からパンを売って、そのまま夜は飲み屋になる。そういう店がいまは理想ですね。


これまで出会ってきただれもが恩師。ひとそれぞれに抱く想いから出てきた言葉や行動が、たとえちょっとしたものでも、自分のなかに強く長く残っています。


●ほかに、今後やりたいことはありますか?
海外に行きたいです。いまの料理長もフランスで5年間働いてきて、彼の話を聞いていると、やっぱり海外に行くことで得られるものはかなり多そうだなと。行くとしたらNY。もちろんヨーロッパもいいですが、食にしてもなににしても、学生時代に憧れたアメリカに、やはりおもしろいものがたくさんありそうな予感がしています。

●人生の恩師は?
正直言って、出会ってきただれもが恩師です。ひとそれぞれに抱く想いから出てきた言葉や行動が、たとえちょっとしたものでも、自分のなかに強く長く残っています。

●これまでの人生で得たまなびは?
とにかく、素直に生きること。ときに自分を大きく見せることが大事な場面もありますが、いつも身の丈にあった生き方をして、嘘をつかないでいたいです。

●最後に、将来の夢を教えてください。
自分の店を持つことです。理想は、以前パリで行ったことのあるレストラン。老若男女さまざまなひとがやってきて、テラスではタバコを吸ってくつろいだり、店内ではみんなが好き好きに会話を楽しんでいたり、そうした活気ある場所をつくりたいです。


Profile:中村 啓 Hiromu Nakamura

MAISON CINQUANTECINQ キッチンスタッフ

1997年宮城県出身。大学卒業後、代々木上原の「MAISON CINQUANTECINQ」にて日々研鑽中。現在は、料理に加えSourdough Bread(自家製酵母)に没頭している。

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Text : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Photo : Masahiro Kosaka(CORNELL)
Interview : Gaku Sato

2022.06.23